88話 世捨て人
神様サバイバル14日目
【人類残り37%】
「昔のわしはな。」
「今よりずっと忙しかった。」
医楽は静かに語り始めた。
小さな診療所。
古びた木造の建物。
決して大きくはない。
最新設備もない。
それでも。
朝から晩まで患者は途切れなかった。
「先生。」
「今日は払えません……。」
診察を終えた老人が申し訳なさそうに財布を握る。
医楽は笑った。
「ええ。」
「身体が治ってからでええ。」
「命の方が先じゃ。」
老人は何度も頭を下げる。
「ありがとうございます……。」
診療所の外まで見送る医楽。
そんな姿を、待合室から一人の男性が見ていた。
白衣姿。
医楽の息子だった。
診察が終わると息子はカルテを机へ置く。
「父さん。」
「このままじゃ駄目だ。」
医楽は振り返る。
「ん?」
「薬代、設備費、人件費。」
「全部赤字だ。」
「病院はボランティアじゃない。」
「経営なんだ。」
医楽は静かに聞いていた。
息子は続ける。
「新しいレントゲンも買えない。」
「手術器具も古い。」
「看護師も増やせない。」
「困るのは誰?患者だよ。」
医楽は腕を組む。
「ほう、じゃあ聞く。」
「払えん人はどうする?」
息子は迷わなかった。
「断る。」
静寂。
時計の音だけが診療所へ響く。
「それが普通だ。」
「設備がある病院を紹介する。」
「助けられる可能性が高い。」
「その方が患者のためだ。」
医楽はゆっくり首を振った。
「違う。」
息子も首を振る。
「違わない。」
「父さん。」
「父さんは目の前しか見えてない。」
「俺は十年後も、この診療所が続くことを考えてる。」
医楽は少し笑う。
「わしは今日助けられる命を考えとる。」
二人は似ていた。
誰よりも患者を救いたかった。
だから。
譲れなかった。
やがて。
息子は診療所を出ていく。
「もう無理だ。」
その一言だけ残して診療所を出ていった。
小さな男の子が振り返る。
「おじいちゃん。」
「またね。」
孫だった。
医楽は笑顔で手を振る。
「また来るんじゃぞ。」
◇
数年後。
夜だった。
激しい雨。
診療所の扉が勢いよく開く。
「先生!!」
「助けてください!!」
男が少女を抱えて飛び込んできた。
全身血まみれ。
交通事故だった。
医楽は少女を見る。
「……!」
知っている顔だった。
孫が毎日のように遊んでいた女の子。
診療所へ来るたび、
「おじいちゃん先生!」
と笑っていた子。
医楽はすぐ処置を始める。
「酸素!輸液!血圧は!」
全部一人。
助手が電話を取る。
救急車。
搬送依頼。
だが。
悪天候。
道路は寸断。
到着まで時間がかかるという。
「くそっ……。」
医楽は歯を食いしばる。
少女の呼吸は浅い。
鼓動も弱い。
「大丈夫じゃ。」
「まだ助かる。」
「お前さんは強い子じゃ。」
少女は返事をしない。
医楽は胸骨圧迫を始める。
何度も。
何度も。
汗が滴る。
「戻ってこい。」
「まだ終わっとらん。」
「戻ってこい!」
時計だけが残酷に時を刻む。
やがて。
心電図が一直線になった。
ピーーーーーーー。
静寂。
医楽の手が止まる。
肩が震える。
「……死亡確認。」
その言葉を口にした瞬間だった。
診療所の扉が開く。
立っていたのは。
息子だった。
その隣には孫。
「……。」
孫は動かない少女を見る。
「さきちゃん?」
返事はない。
「起きて。」
「ねぇ起きてよ。」
小さな手で肩を揺らす。
何度も。
何度も。
息子は少女を見る。
そして。
医楽を見る。
「父さん。」
静かな声だった。
怒鳴らない。
責めない。
だからこそ痛い。
「設備のある病院へ。」
「最初から送っていれば。」
「助かったかもしれない。」
医楽は俯く。
「……。」
「父さん。」
「目の前の患者を助けたい。」
「その気持ちは分かる。」
「でも、助けられないなら。」
「助けられる場所へ送るのも医者の仕事だ。」
何も言い返せなかった。
全部。
正しかったから。
息子は孫の肩へ手を置く。
「帰ろう。」
孫は動かない。
泣きながら医楽を見る。
息子は手を引く。
孫は何度も振り返った。
診療所。
医楽。
横たわる少女。
全部を見ながら。
遠ざかっていく。
医楽は追えなかった。
足が動かなかった。
それからだった。
夜。
誰もいない診療所。
机へグラスを置く。
酒を注ぐ。
一口飲む。
静かに目を閉じる。
「……効く。」
苦笑した。
「薬というのは。」
グラスを見つめる。
「身体だけを治すもんじゃない。」
もう一口。
「心を治す薬も必要なんじゃ。」
窓の外には誰もいない。
「わしにとっては。」
「酒が。」
少し笑う。
「薬じゃ。」
それから毎晩。
医楽は酒を飲んだ。
酔っている時だけ。
ほんの少しだけ。
心の隙間が埋まる気がした。
救えなかった命も。
離れていった息子も。
孫も。
全部。
少しだけ遠くなる。
だが朝になれば。
現実は変わらない。
◇
神様サバイバル2日目
医楽は、酒を飲んでいた。
昼間から飲むようになったのはいつからだったか。
もう覚えていない。
酒が好きなわけじゃない。
医者として処方する薬と同じだ。
自分に効く、唯一の薬。
診療所は静かだった。
昔は患者の笑い声が絶えなかった待合室。
今は時計の音だけが響く。
誰かが扉を開けた。
若い声。
知らない顔。
「……こんにちわ」
医楽はゆっくり顔を上げる。
「んあ〜?」
「誰だ〜?」
もう診療所を開ける気もない。
治す気もない。
ただ酒を飲んで、夜を待つだけ。
「ここはもう店仕舞いだ。」
「でかい病院でも行ってくれ。」
自然と笑う。
自嘲だった。
「……医者ですか?」
若い男が聞く。
「おぉ。」
「一応な。」
酒瓶を揺らす。
「でもこんな酔っ払いじゃ、治せねぇぜ。」
本音だった。
もう自分は医者じゃない。
医者を名乗る資格なんてない。
すると、一人の少女が近付いてきた。
「別に怪我してないけどさ。」
「一緒に来ない?」
神様サバイバル。
そう言って笑う。
興味はなかった。
「どうでもいい。」
「未練なんてない。」
そう答えた。
……答えたつもりだった。
本当は違う。
未練だらけだった。
息子。
孫。
あの子。
全部置いてきた。
全部失った。
それでも。
自分から会いに行く勇気だけは無かった。
もし拒絶されたら。
本当に終わる。
だから酒を飲む。
酒だけが、
まだ大丈夫だ。
と自分に嘘をつかせてくれた。
そんな時だった。
「なんでも叶うかもしれないよ。」
一人の少年が言った。
神の報酬なんだから。
医楽の手が止まる。
(なんでも……。)
その言葉より。
医楽の目は少年を見ていた。
13歳くらい。
痩せた身体。
どこか無気力な目。
その姿が。
別の少年へ重なる。
『おじいちゃん!』
『僕も医者になる!』
『おじいちゃんみたいなお医者さん!』
あの日の笑顔。
孫も13歳だった。
医楽は思わず聞いていた。
「……お前。」
「何歳だ?」
「13」
即答だった。
やっぱりか。
心臓が少しだけ痛む。
いや。
胸の奥が締め付けられるようだった。
「……そうか。」
長い沈黙。
もし。
本当に。
なんでも叶うなら。
あの子を助けたい。
息子に謝りたい。
孫にもう一度。
『おじいちゃん。』
そう呼んでもらいたい。
その夢を。
もう一度だけ。
叶えたい。
酒瓶を見つめる。
これを飲んでも。
現実は変わらない。
今まで散々飲んできた。
何も変わらなかった。
ゆっくり酒瓶を机へ置く。
「……まぁいい。」
立ち上がる。
「どうせ長くない人生じゃ。」
「もう少しだけ付き合うか。」
白衣を整える。
医者としてではない。
一人の老人として。
もう一度だけ。
前を向いてみようと思った。
◇
「……それが。」
「わしの昔話じゃ。」
現在。
診療所。
医楽は小さく笑った。
「神様がアルコールを消した時な。」
「最初は腹が立った。」
「じゃが。」
窓の外を見つめる。
「今思えば。」
「神様は。」
「わしから薬を取り上げたんじゃない。」
少し間を置く。
「逃げ道を。」
「取り上げたんじゃろうな。」
誰も言葉を返せなかった。
医楽は静かに立ち上がる。
「さぁ。」
「診療所の掃除でもするかの。」
その背中は小さかった。
けれど。
白衣だけは。
誰よりも大きく見えた
消滅ワード
1日目 “法律 ”
2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”
6日目 “ 肉”
7日目 “ 地図”
8日目 “ 鏡”
9日目 “ 約束”
10日目 “ アルコール”
11日目 “ 血の繋がり”
12日目 “ 疲れ”
13日目 “ 財産”
14日目 “ 嘘”




