87話 変われないんじゃ
神様サバイバル14日目
「先生!」
「お願いです!」
「この子を助けてください!」
若い父親は、息を切らしながら診療所へ飛び込んできた。
腕には五歳ほどの男の子。
脚からは止まることなく血が流れている。
医楽はその傷口へ視線を落とした。
赤い血。
ぽたり。
ぽたり。
床へ落ちる雫。
その瞬間だった。
医楽の身体が小さく震える。
瞳が揺れた。
呼吸が乱れる。
「……先生?」
父親が不安そうに声を掛ける。
医楽は返事をしない。
いや、返事ができない。
目の前の傷と、過去の光景が重なっていた。
「医楽。」
異変に気付いた不知火が肩へ手を置く。
医楽はゆっくりと不知火を見る。
その目には焦りが滲んでいた。
「……不知火。」
「わしが指示する。」
「手当てをしてくれ。」
思わぬ言葉だった。
「なぜだ?」
不知火は小さな声で尋ねる。
医楽は少しだけ目を伏せる。
「頼む。」
「今のわしじゃ……駄目なんじゃ。」
その声は震えていた。
医者としてではなく。
一人の老人としての弱さだった。
不知火は医楽の表情を見つめる。
そこには冗談も強がりもない。
静かに頷いた。
「あぁ、わかった。」
医楽は深呼吸を一つした。
「まず傷口を洗う。」
「異物が入っとらんか確認じゃ。」
「包帯は強く巻きすぎるな。」
「血は止める。」
「じゃが止めすぎてもいかん。」
不知火は一つ一つ頷きながら、その指示通りに手を動かしていく。
教師だった頃。
応急処置講習。
AED講習。
学校で起こる事故への対応。
その経験が、今役に立っている。
かもしれない。
医楽は隣で見守る。
必要な時だけ言葉を添える。
「そうじゃ。」
「上手い。」
「そのままじゃ。」
やがて。
包帯が巻き終わる。
出血も落ち着いた。
男の子も少し安心したように父親へ抱きつく。
父親は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そして不知火を見る。
「あなたも医者だったんですね。」
「よかった……。」
不知火は反射的に答えようとした。
「いえ、元教師です。」
少し間が空く。
「今は無職です。」
言った瞬間。
自分でも苦笑した。
(まただ。)
(勝手に本当のことが出る。)
父親は目を丸くした。
「え?」
「医者じゃないんですか?」
「えぇ、教師でした。」
「医者ではありません。」
全部、本当だった。
全部、隠せなかった。
父親は少し驚いたあと、深く頭を下げた。
「それでも、助かりました。」
「本当にありがとうございます。」
そう言って、個人モニターを操作する。
パン。
缶詰。
水。
「せめてお礼を……。」
食料を差し出そうとした、その時だった。
「いらん。」
医楽が静かに首を振る。
「……え?」
「治ったんなら。」
「それで十分じゃ。」
父親は困ったように笑う。
「先生。」
「相変わらずですね。」
医楽も少しだけ笑った。
「変われんのじゃ。」
父親はもう一度深々と頭を下げる。
「ありがとうございました。」
親子は診療所をあとにした。
扉が閉まる。
静寂。
医楽は力が抜けたように近くの椅子へ腰を下ろした。
「ふぅ……。」
深く。
長いため息。
廃人が医楽を見る。
「ねぇ医楽さん。」
「そんなに酒飲めないの辛いなら。」
「防衛キーワード。」
「“ アルコール”にすれば、また飲めるよ。」
医楽は苦笑した。
「そんなことはわかっとる。」
静かに窓の外を見る。
「……少し。」
「昔を思い出してしまっての。」
そして不知火へ顔を向ける。
「悪かったな。」
不知火は首を横へ振る。
「いや、いいんだ。」
少し間を置いて続ける。
「もし良かったら。」
「聞かせてくれないか?」
「何があったのか。」
診療所へ静かな風が吹き込む。
医楽は目を閉じた。
「あれは……。」
「まだ息子と一緒に診療所をやっとった頃じゃ。」
ゆっくりと語り始める。
小さな診療所。
古びた待合室。
笑顔で帰っていく患者たち。
そして。
医楽と、息子。
二人で白衣を着ていた頃の記憶。
時は静かに遡っていく。
消滅ワード
1日目 “法律 ”
2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”
6日目 “ 肉”
7日目 “ 地図”
8日目 “ 鏡”
9日目 “ 約束”
10日目 “ アルコール”
11日目 “ 血の繋がり”
12日目 “ 疲れ”
13日目 “ 財産”
14日目 “ 嘘”




