八話 ヒーラー
エンジンの振動が、まだ体に残っていた。
車は、動いている。
それだけで、異常だった。
「……見られてるね」
楓が言う。
前を見たまま。
歩道の人間が、こちらを見ている。
驚き。
警戒。
そして、目を離さない。
理由を探るような視線。
「電気、か」
不知火が呟く。
この車が動いている理由。
それが、楓にあることを、
誰も知らない。
「優越感ある?」
廃人が聞く。
少しだけ、試すように。
「別に」
楓は肩をすくめる。
「ただ便利なだけ」
ハンドルを切る。
迷いがない。
「……運転、慣れてるな」
不知火が言う。
「学校の送迎で見てたから」
少しだけ間。
「見てたら分かるよ」
簡単に言う。
けれど、その手つきは迷わない。
道路に出る。
すぐに、進めなくなる。
車が止まっている。
交差点の真ん中。
斜めに。
無造作に。
ぶつかったままの車もある。
ドアが開いたままの車もある。
「……終わってんな」
的場が言う。
「止まった瞬間、逃げたやつもいるな」
シートを指差す。
「血、残ってる」
淡々と観察する。
「……」
楓が少しだけ視線を逸らす。
「……ここまでだな」
不知火が言う。
車を止める。
降りる。
徒歩。
音が、近づく。
人の声。
怒鳴り声。
泣き声。
「……近いな」
廃人が言う。
大型病院。
見えてくる。
入口は開いていた。
人が溢れている。
押し合っている。
「……行くか」
中に入る。
――匂い。
消毒液。
血。
汗。
混ざって、まとわりつく。
「先生!」
叫び声。
「早く!」
別の声。
「電源が……!」
機械は止まっている。
モニターは黒い。
人工呼吸器も。
ただの箱になっている。
「手でやれ!」
「無理です!」
誰かが泣く。
ベッドが足りない。
床に寝かされる人。
動かない人。
目だけ動く人。
「……」
不知火は、足を止める。
目の前にあるのに、
手が届かない。
伸ばせばいい。
分かっている。
でも。
何をすればいい。
「……助けて!」
誰かが腕を掴む。
血のついた手。
「先生、お願いします!」
違う。
自分は医者じゃない。
それでも、
その手は離れない。
「……俺は」
言葉が出ない。
助けられない。
それを、口にすることができない。
的場が、その手を外す。
無理やりではない。
自然に。
「ここ、違う」
一言。
そのまま歩き出す。
「……待て」
不知火が言う。
「助けるんじゃないのか」
的場が振り返る。
少しだけ首を傾げる。
「助けるよ」
即答だった。
「でもさ」
周りを見る。
人の数。
混乱。
止まった機械。
「ここ、もう選別終わってる」
淡々と言う。
「今から入っても、全員は救えない」
一拍。
「なら」
視線を戻す。
「“救える場所”行った方がいい」
正しい。
理屈としては。
「……それは」
不知火が言いかける。
言葉が詰まる。
正しい。
でも。
納得はできない。
「……無理でしょ、これ」
楓が言う。
小さく。
初めて、目を逸らさずに。
「……帰るか」
不知火が言う。
声が少しだけ低い。
誰も反対しない。
外に出る。
空気が軽くなる。
それでも、さっきの声は耳に残る。
「……ヒーラー、ね」
廃人が呟く。
「場所、選ばないと詰むな」
「……あれ」
楓が足を止める。
小さな建物。
診療所。
看板は古い。
扉は閉まっている。
音もない。
「……行ってみる?」
答えはない。
でも、足は向く。
ドアを開ける。
静か。
奥から音。
ゴソゴソ。
「……いるな」
的場が言う。
覗く。
白衣の老人。
椅子。
日本酒。
「……こんにちわ」
不知火が声をかける。
老人が顔を上げる。
焦点が合うまで、少し時間がかかる。
「んあ〜?」
「誰だ〜?」
「ここはもう店仕舞いだ」
手を振る。
追い払うように。
「でかい病院でも行ってくれ」
笑う。
力の抜けた笑い。
「……医者ですか?」
的場が聞く。
「おぉ、一応な」
瓶を揺らす。
「でもこんな酔っ払いじゃ、治せねぇぜ」
自嘲。
楓が近づく。
しゃがむ。
「別に怪我してないけどさ」
「一緒に来ない?」
老人が眉を動かす。
「神様サバイバル」
軽く言う。
「一緒にクリアしようよ」
「……どうでもいい」
すぐに返す。
「未練なんてない」
「ほんとに?」
廃人が言う。
一歩前に出る。
「なんでも叶うかもしれないよ」
「神の報酬なんだから」
老人の手が止まる。
ほんの少し。
「……なんでも、か」
呟く。
廃人を見る。
少しだけ、目が揺れる。
その視線が、
ほんの一瞬、別の誰かを見ていた。
「……ガキだな」
小さく言う。
「……お前」
廃人に向けて。
「何歳だ」
「13」
即答。
老人は、少しだけ目を細める。
「……そうか」
長い沈黙。
酒を置く。
「……まあいい」
立ち上がる。
「どうせ長くない」
「なら、もう少しだけ付き合うか」
白衣を整える。
「行くぞ」
外に出る。
「名前は?」
不知火が聞く。
「医楽世捨」
振り返らずに言う。
帰り道。
病院の前を通る。
まだ声が続いている。
止まらない。
止められない。
「……」
誰も言わない。
でも、分かっている。
全部は救えない。
「……選ぶしかないな」
不知火が言う。
小さく。
誰に聞かせるでもなく。
「そうだな」
的場が答える。
迷いがない。
その差が、残る。
マンションに戻る。
部屋に入る。
少しだけ、空気が変わる。
人数が増えた分、
“戦える形”になった。
「……よろしくな」
医楽が言う。
「ヒーラーよろしくね」
廃人が言う。
「まあな」
医楽が笑う。
一拍。
「死なせないのが仕事だ」
その言葉に、
さっきの病院の光景が重なる。
誰も、すぐには返せなかった。




