75話 花魁夜後編B
花魁夜過去回完結
キャバクラで天下を取って一年。
私は毎日が夢のようだった。
指名は増え続け。
雑誌にも載り。
テレビの取材も来る。
全国ナンバーワン。
昔の私なら、想像もできなかった景色だった。
そして。
一人の男性と出会った。
会社を経営する社長。
最初はお客さんだった。
でも、お酒を飲まない日も私に会いに来てくれた。
店の外でも食事へ行き。
他愛もない話をした。
「夜ちゃんはさ」
「肩書きとか関係なく、一緒にいると落ち着くんだよ」
その言葉が嬉しかった。
私は初めて。
“花魁夜”ではなく。
“私”を見てくれる人に出会えた気がした。
やがて私達は。
結婚を前提に付き合うようになった。
「今度ね」
私は笑って言った。
「私の親友を紹介するわ」
「私をここまで変えてくれた、大切な人なの」
彼も笑った。
「ぜひ会ってみたいな」
私は嬉しかった。
羽衣もきっと喜んでくれる。
そう思っていた。
数日後。
出勤前。
店の専用メイクルーム。
Bちゃんが私のメイクを仕上げてくれていた。
『よし今日も完璧』
満足そうに頷く。
そのまま自分の特殊メイクを剥がし。
缶ビールを開ける。
『ぷはぁ〜』
タバコに火をつける。
『仕事後の一服は最高だな』
私は思わず笑った。
その時だった。
コンコン。
扉が開く。
「あ、夜ちゃん」
「今日は会社の連中を何人か連れて──」
彼の言葉が止まる。
Bちゃんと目が合った。
特殊メイクを剥がした素顔。
吸い込まれそうなほど整った顔立ち。
彼は少し驚いたように目を見開く。
「あ……」
「メイクさんかな?」
「すごく……綺麗な人だね」
その一言だった。
胸が、少しだけ痛んだ。
私は笑顔を作る。
「この子が羽衣」
「私の親友で、専属メイク」
Bちゃんは珍しく背筋を伸ばした。
『どうも』
『いつも夜がお世話になってます』
少しだけ丁寧な口調。
彼も頭を下げる。
「こちらこそ」
「夜ちゃんをいつも素敵にしてくださって、本当にありがとうございます」
数分話して。
彼は店へ戻っていった。
静かになった部屋。
Bちゃんはタバコを灰皿へ押し付けながら笑う。
『優しそうなやつじゃねぇか』
私は少しだけ笑った。
「……えぇ」
だけど。
胸の奥が、
ざわついていた。
それからだった。
彼は時々聞いてくる。
「羽衣さんってさ」
「どうやってあんなメイクを覚えたの?」
「昔から知り合いなの?」
「今度ちゃんとお礼したいな」
悪気なんて一つもない。
分かってる。
全部分かってる。
それでも。
私の耳には。
こう聞こえてしまう。
“結局、羽衣なんだ”
ある日。
私は耐えられなくなった。
「ねぇ」
彼が顔を上げる。
「もし」
「私と羽衣が並んで立ってたら」
「どっちを選ぶ?」
彼は困ったように笑う。
「どうしたの急に」
「答えて」
私の声は震えていた。
彼は少しだけ考えた。
その”少し”が。
私には永遠のように感じた。
「夜ちゃん」
「俺は君が好きだから付き合ってるんだよ」
優しい声だった。
でも。
私はもう駄目だった。
“今、迷った”
そう思ってしまった。
私は別れを告げた。
彼は最後まで理由が分からないまま。
静かに去っていった。
翌日。
私は店を休んだ。
部屋は真っ暗だった。
カーテンも開けない。
何もしたくない。
チャイムが鳴る。
返事はしなかった。
ガチャ。
合鍵で扉が開く。
「夜ちゃ〜ん?」
「お店行ったら体調悪いって聞いてぇ〜」
「栄養ドリンクとぉ、お薬とぉ、ゼリー買ってきたよぉ〜」
羽衣だった。
両手いっぱいの袋を抱えている。
その優しさが。
今の私には苦しかった。
羽衣は電気を点けようとする。
「やめて」
羽衣の手が止まる。
「えぇ?」
「どうしたんですかぁ?」
私はゆっくり顔を上げた。
暗闇の中でも。
羽衣の素顔だけは分かった。
綺麗だった。
悔しいほど。
綺麗だった。
涙が溢れる。
「やめてよ……」
羽衣は困ったように首を傾げる。
「夜ちゃん?」
私は叫んだ。
「その顔!!」
「私が人生全部使って手に入れようとしてきた顔も!」
「必死にしがみついて、努力して!」
「やっと手に入れた顔も!」
「……あんたのスッピンにすら勝てないじゃない!!」
呼吸が乱れる。
涙が止まらない。
「なんなのよ!!」
「どうしてなのよ!!」
「私は……!」
「私は……!」
言葉にならない。
羽衣は何も言わなかった。
ただ。
悲しそうに私を見つめていた。
その優しい目が。
もっと苦しかった。
私は俯いたまま。
最低の言葉を吐き出した。
「消えてよ……」
震える声。
「もう……」
「私の前から消えて……」
静寂。
長い沈黙が流れる。
やがて。
羽衣は買ってきた袋を床へ静かに置いた。
「……分かりましたぁ」
小さな声だった。
泣いていた。
それでも。
最後まで笑おうとしていた。
「夜ちゃん」
「ちゃんとご飯食べてくださいねぇ」
それだけ言って。
羽衣は部屋を出ていった。
扉が閉まる音がした。
私は追い掛けなかった。
追い掛けられなかった。
親友を失った日だった。
その後。
私はBちゃんから教わったメイクを、
何度も何度も研究した。
自己流に改良した。
仕事は続けた。
全国ナンバーワンの座も守り続けた。
だけど、
心の穴だけは。
埋まらなかった。
もっと愛されたい。
もっと必要とされたい。
もっと求められたい。
誰かに。
私だけを見てほしかった。
その想いに引き寄せられるように。
私はキャバクラを辞めた。
そして。
風俗嬢になった。
愛されたかった。
ただ、それだけだった。




