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3話 状況整理

鍵を回す音が、やけに乾いていた。


カチ、と軽い音。


それだけで、外と内が分かれるはずなのに。


ドアを開けた瞬間、部屋の空気が少しだけよそよそしく感じた。

昨日まで、自分の場所だったはずなのに。


「……入れ」


振り返らずに言う。

後ろから、足音がついてくる。


靴の音じゃない。

床に直接触れる、柔らかい音。


リビングに入って、振り返る。


楓は、裸足だった。

白い足の裏に、うっすらと汚れがついている。


どこかで走ったのかもしれない。

あるいは、逃げてきたのか。


「……」


“自分の家で食べろよ”

喉まで出かかった言葉が、引っかかる。


今この世界で、その言葉にどれだけの意味があるのか、分からなくなる。


「……腹、減ってんのか」


「うん」


即答だった。

迷いがない。


「ご飯食べさせて」


頼み方も軽い。

けれど、その軽さの裏側を考えないようにする。


「……適当に作る」


キッチンに立つ。

冷蔵庫を開ける。

卵が二つと、萎びた野菜。


昨日までの自分は、ここで生きるつもりがなかった。

それでも、手は動く。


“何かを作る”という行為だけが、まだ世界と繋がっているみたいに。


「シャワー借りていい?」


背後から声。


「……ああ」


水の音が流れ始める。

一定のリズム。


その音を聞いていると、思考が戻ってくる。


「……」


包丁を持つ手が止まる。


自分は35歳。

あいつは。


制服。

高校生。


「……まずい」


そう思った。


「……いや」


すぐに、違和感が追いつく。


何が、まずい。

法律は、もうない。

昨日、消えた。


だったら。

仮に。

この状況で、何かが起きたとしても。


誰も罰しない。

誰も咎めない。

罪にはならない。


「……」


沈黙。


水の音だけが続く。


「……違うだろ」


小さく呟く。


何が違うのか、言葉にはできない。

けれど、分かっていた。


これは、“できるかどうか”の話じゃない。


「……やるか、やらないかだ」


包丁を握る手に、力が入る。


「……それを決めるのは、俺だ」


息を吐く。


「……落ち着け」


そのとき。


ピンポーン。

チャイムが鳴る。


やけに現実的な音だった。

ドアを開ける。


そこにいたのは、中学生だった。

少しだけ背が伸びている。

けれど、目は昔のままだった。


「……焔くん」


懐かしい呼び方。


「久しぶり」


音棘廃人(ねとげはいと)

昔、よく遊んでやった子供。


「……どうした」


「親いない」


短い答え。


「海外。今も」


少しだけ間を置いて。


「ニュース見た?」


「ああ」


「やばいよね」


軽い。

軽いまま続ける。


「頼れる人、焔くんしかいないから来た」


その言葉に、遠慮はなかった。

だからこそ、重かった。


「……入れ」


ドアを開ける。

廃人は迷わず入ってくる。

部屋を見回す。


変わっていないことを確認するみたいに。


「なんか、落ち着くね」


ぽつりと言う。

その一言が、妙に引っかかった。


飲み物を出す。

ソファに座らせる。

テレビをつける。

どのチャンネルも同じだった。


『――速報です。全国の刑務所で暴動が発生しています』


映像が切り替わる。


鉄格子。

壊れた扉。

走り回る人影。


『受刑者たちが一斉に暴れ出し、職員の制御が効かない状態となっており——』


怒号。

叫び声。

カメラが揺れる。


『現在、鎮圧の目処は立っていません』


画面の向こうで、何かが爆発する。

それを見ても、もう驚きはなかった。


「……そりゃそうでしょ」


廃人が呟く。


「法律なくなったんだから」


当たり前みたいに言う。


「捕まってる理由、なくなったし」


言葉が、やけに軽い。


「じゃあさ」


廃人が続ける。


「“悪いことした人”って、もういないよね」


「……違う」


気づいたら、口に出していた。


「悪いかどうかは」


一瞬、言葉を選ぶ。


「……消えない」


廃人が、少しだけ眉を動かす。


「法律がなくなっても」


視線をテレビに向けたまま。


「やったことまで、なくなるわけじゃない」


沈黙。


楓の足音が近づく。


濡れた髪。

無防備な格好。


廃人が、にやっと笑う。


「やるね、焔くん」


「……は?」


「生徒連れ込むとか」


「違う」


即答だった。

少し強い声。

楓が首を傾げる。


「生徒?」


「……違う」


一拍。


「元教師だ」


「へー」


楓は気にしない。


水無月楓(みなづきかえで)


自分から名乗る。


「女子高生」


軽い。

廃人も続く。


音棘廃人(ねとげはいと)。中学生」


「引きこもり。ネトゲ好き」


「……不知火焔(しらぬいほむら)


「元高校教師」


「倫理」


楓が笑う。


「倫理の先生がこの状況って、ちょっと面白いね」


「……」


否定できない。

沈黙が落ちる。

テレビの音だけが続く。


暴動の映像。

叫び声。

壊れる音。


「……整理しよう」


廃人が言う。


「30日」


「毎日1個消える」


「防衛キーワード1つ」


「生き残れば報酬」


淡々と並べる。


「で、今。法律なし」


楓が言う。


「外、無法地帯」


「うん」


廃人が頷く。

少しだけ間。


「だから」


声が少し低くなる。


「食料と武器、必要」


現実だった。


「俺、出前だったし、今もう無理」


「焔くんもコンビニでしょ」


「……ああ」


「つまり食料不足確定」


「あと」


一瞬だけ笑う。


「俺ら、弱い」


楓が肩をすくめる。


「否定できないわ」


「だから武器、最低限の自衛」


言葉が整理されている。


「……あんた、すごいわね」


楓が言う。

素直に。


「サバゲー知識」


軽く返す。


「こういうの、だいたい一緒だから」


「てかさ」


廃人が続ける。


「30日って、わりと余裕じゃない?」


軽い。

けれど、計算している。


「消えるもの次第だけど」


「初日これなら、まだマシ」


「……」


不知火は、二人を見る。


軽い。

軽いまま、現実を処理している。

その軽さが、少しだけ怖い。


そして。

少しだけ、救いに見える。


「じゃあ」


楓が言う。


「ここ拠点でいいじゃん」


部屋を見回す。


「廃人の家は?」


「倉庫」


即答。


「親いないし、使える」


「じゃあ」


楓が笑う。


「資源と武器、探しに行こうか」


外を見る。

壊れた世界。


「……」


少しだけ考える。

昨日までなら、選ばなかった選択。

でも。


「……ああ」


頷く。


それが自然だった。

その自然さに、遅れて気づく。


法律が消えたんじゃない。

“守る理由”が、消え始めている。


そして、自分も。

その中にいる。


それでも。

まだ、手放したくないものがあった

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