20話 痛みの無い世界
朝は、静かだった。
音はある。
遠くで何かが壊れる音も、怒鳴り声も聞こえる。
それでも。
その一つ一つに、誰も“止まらない”。
「……変だな」
廃人が窓の外を見たまま言う。
「反応がない」
楓も外を見る。
人はいる。
動いている。
けれど、その動きはどこか雑だった。
ぶつかっても止まらない。
転びかけても、そのまま進む。
「……痛覚、か」
不知火が呟く。
昨夜、“それ”は消えた。
そして今、
その影響が、ゆっくりと現れている。
外に出る。
空気は冷たい。
現実だけが、妙に鮮明だった。
少し歩いたところで、異変はすぐに見つかる。
男が一人、歩いていた。
足を引きずっている。
ズボンが赤い。
血だ。
「おい」
不知火が声をかける。
男が振り向く。
普通の顔だった。
苦しそうでもない。
「足、怪我してるぞ」
「あー?」
自分の足を見る。
少し間。
「……ほんとだ」
軽く言う。
「全然気づかなかったわ」
笑う。
そのまま歩き出す。
止まらない。
「……おかしいだろ」
廃人が言う。
「普通あれで動けない」
「動けるんじゃない」
医楽が静かに言う。
「“止まれない”んじゃ」
一同が黙る。
さらに進む。
人だかり。
中央には、倒れている男。
腕が明らかにおかしい方向に曲がっている。
骨折。
「大丈夫か」
不知火が近づく。
男は笑っていた。
「いやー、転んだだけ」
軽い。
「なんか腕変だけど、まぁいけるっしょ」
起き上がろうとする。
ぐにゃり、と音がする。
それでも。
悲鳴は出ない。
「……動くな」
不知火が押さえる。
「折れてる」
「え、マジ?」
まだ笑っている。
理解が浅い。
「痛みがないと」
廃人が言う。
「判断できない」
医楽が頷く。
「人はな、痛みで止まる」
「それがないと、どこまで壊れてるか分からん」
少し間を置く。
そして、低く言った。
「特に内臓は厄介だ」
視線を不知火に向ける。
「外から見える怪我は、まだいい」
「血が出る。腫れる。分かる」
「だがな――」
一拍。
「内臓は見えん」
「痛みがなければ、気づけん」
静かに続ける。
「気づいたときには、もう手遅れだ」
空気が止まる。
「それはな」
医楽が言う。
「無自覚に、死に近づくということだ」
帰り道。
誰もすぐには話さなかった。
理解してしまったからだ。
これは、
優しさじゃない。
「……戦いも変わるな」
廃人が口を開く。
「止まらないやつが増える」
楓が続ける。
「怖くても、身体が止まらない」
「止めるには」
盗丸が言う。
少しだけ顔が引き締まる。
「壊すしかない」
誰も否定しない。
「骨を折るか」
廃人が指を折るように言う。
「気絶させるか」
楓が続く。
「……殺すか」
不知火が最後に言う。
短く。
それが現実だった。
そのとき。
「……止まれ」
盗丸が小さく言う。
全員が動きを止める。
路地の奥。
男が一人、立っていた。
身体は血まみれ。
それでも、立っている。
目が合う。
「……へぇ」
男が笑う。
歯が赤い。
「いいな、これ」
ナイフを持っている。
「全然痛くねぇ」
踏み込む。
速い。
雑だが、止まらない。
楓がスタンガンを構える。
廃人が銃を上げる。
不知火は、
一歩、前に出る。
ナイフが腕を掠める。
血が出る。
それでも。
動きは止まらない。
「……そうか」
小さく呟く。
痛みがない。
だから。
迷いもない。
ヌンチャクを振る。
側頭部。
一撃。
男の身体が崩れる。
動かない。
静寂。
「……やった?」
楓が聞く。
「気絶だ」
不知火が答える。
自分の腕を見る。
血が流れている。
そして。
別のことに気づく。
包帯の下。
撃たれた傷。
「……」
違和感がある。
けれど。
痛みはない。
「……最悪だな」
ぽつりと呟く。
どこまで壊れているか、分からない。
それでも、動けてしまう。
古民家に戻る。
扉を閉める。
光がある。
水がある。
守られているはずの場所。
それでも。
不知火は、自分の腕に触れる。
傷。
血。
感覚はない。
その代わりに、
別のものがあった。
止まる理由が、ない。
それは自由じゃない。
ただの欠落だ。
「……厄介だな」
静かに言う。
痛みがない世界は、
優しくなんてなかった。
ただ。
壊れることに、
気づけなくなっただけだった。
消滅ワード
1日目 “ 法律”
2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”




