14話 この気持ち
帰り道は、妙に静かだった。
エンジン音だけが車内に残り、
誰も、ほとんど喋らない。
助け出した人たちは後部座席と荷台に身を寄せ合っていた。
泣く者もいない。
安心しきれていないのだと、すぐに分かった。
まだ終わっていない。
そういう顔だった。
不知火も、何も言えなかった。
バックミラーを見るたび、
あの建物の前に残った男の姿が浮かぶ。
だが。
胸の奥は、妙に静かだった。
置いてきた。
見捨てた。
本来なら、もっと重くのしかかるはずの言葉が、
どこか遠い。
それが、逆に気味が悪かった。
マンションへ戻る。
車を止める。
全員で人を降ろし、部屋へ運ぶ。
田中は足を引きずりながら、玄関で待っていた。
扉が開いた瞬間、
妻と娘の姿を見つける。
「……っ!」
声にならない声を漏らし、這うように近づいた。
「よかった……よかった……!」
涙を流しながら抱きしめる。
妻も娘も、抱き返した。
だが。
どこか、温度が薄かった。
遅れてきた再会を、形式だけなぞるような抱擁だった。
「……助かった……」
田中は泣いている。
妻は、その背中を撫でながら、
どこか別のことを考えている顔だった。
娘は、黙っていた。
不知火は視線を逸らした。
罪悪感がなくなっても、
失われたものまで戻るわけじゃない。
廃人の部屋を、一家に使わせることになった。
布団を敷き、水を置き、食料を分ける。
リビングへ戻る。
四人だけになる。
空気が広い。
的場がいないだけで、
部屋の密度が変わっていた。
「……遅いね」
楓がぽつりと言う。
いつもの調子ではなかった。
廃人がソファにもたれる。
「捕まってたら終わってる」
現実的な言い方だった。
医楽は黙って酒瓶を開ける。
不知火は窓の外を見る。
暗くなり始めた街。
火の手が、昨日より増えている。
「……助けに戻るか?」
自分でも驚くほど平坦な声だった。
誰もすぐには答えない。
行くべきかもしれない。
でも、今さらかもしれない。
その葛藤があるはずなのに、
胸の内側に重みがない。
「……いや」
廃人が先に口を開く。
「今行っても、返り討ち」
「昼より状況悪い」
楓も頷く。
「私も、そう思う」
不知火は黙る。
本来なら、
一人置いてきたことに耐えられず飛び出していてもおかしくない。
それなのに、
計算だけで座っていられる。
その事実が、一番怖かった。
「待つしかないね」
楓が言う。
結論は、それだった。
夜。
楓はシャワーを浴びに行く。
水音が流れる。
廃人はソファで眠ってしまった。
疲労が限界だったのだろう。
医楽が缶を二つ持ってくる。
「飲むか」
不知火に一本渡す。
「……ありがとうございます」
プルタブを開ける音が、小さく響く。
しばらく無言で飲む。
やがて、医楽が言った。
「なぁ、不知火」
「はい?」
「あんた、最初に見た時と顔つきが変わったな」
不知火は苦く笑う。
「そうですか?」
「あぁ」
医楽は酒を口に含む。
「最初は、わしと同じ顔しとった」
「……同じ?」
「生きとるのに、死んどる目だ」
不知火は言葉を失う。
否定できなかった。
医楽は続ける。
「今は違う」
「壊れた世界に、少しだけ引っ張られとる顔だ」
窓の外を見る。
遠くで誰かが叫んでいる。
「話したくなければいい」
医楽は肩をすくめる。
「だが、話したほうが楽になることもある」
「ただの酔っ払いだが、話し相手くらいにはなってやる」
不知火は、少しだけ笑った。
「……ありがとうございます」
そのときだった。
時計が、0時を指す。
空が黒く染まる。
街の上空に、巨大なスクリーンが浮かぶ。
『やぁ、神だよ』
軽い声。
人を苛立たせるほど明るい。
『罪悪感がなくなって、どう?』
『幸せだよね』
『だってさ』
『やったことは消えないのに、いつまでも引きずるのって非効率じゃん』
笑う声。
『あ、ごめんごめん』
『今日の本題いこっか』
間。
『四日目に消すのは――』
空気が止まる。
『“鍵”』
沈黙。
『人類みな兄弟なんでしょ?』
『じゃあ、お互いの家にも』
『金庫にも』
『牢屋にも』
『鍵なんて、いらないじゃん』
楽しそうに言う。
『じゃあ四日目、楽しんでね』
スクリーンが消える。
静寂。
部屋の全員が、同じものを想像していた。
家。
店。
武器庫。
薬品庫。
留置場。
守るための境界線。
それが、なくなる。
誰より先に、医楽が舌打ちした。
「……ろくでもない神様だ」




