121話 化物
金剛過去回
人は。
生まれた瞬間から、人生を決められているわけではない。
どんな家庭に生まれるのか。
どんな人間と出会うのか。
何を好きになるのか。
何を嫌いになるのか。
何者になるのか。
それは誰にも分からない。
ただ。
金剛那樂という少年には。
生まれた瞬間から。
他の子供とは、明らかに違うものがあった。
身体だった。
「……大きいねぇ。」
看護師が思わずそう口にするほど。
那樂は、生まれた時から大きかった。
隣のベッドにいる赤ん坊たちと比べても。
一目で分かる。
「あの子だ。」
そう言われるくらい。
大きな身体。
大きな手。
大きな足。
そして。
その身体は。
成長するにつれて、さらに大きくなっていった。
両親は。
ごく普通の人間だった。
父親は。
どこにでもいるような会社員。
母親は。
家を守る、ごく普通の主婦。
二人にとって。
那樂は。
待望の息子だった。
「元気に育ってくれればいい。」
それだけだった。
那樂が幼い頃。
両親は、少しだけ心配していた。
同じ年頃の子供たちが。
簡単な文字を覚えていく。
ひらがな。
数字。
簡単な言葉。
しかし那樂は。
なかなか覚えられなかった。
「那樂。」
母親が紙に文字を書く。
「これは?」
「……。」
那樂は。
じっと紙を見る。
分からない。
「もう一回やってみようか。」
母親は笑った。
怒らなかった。
何度でも教えた。
父親も。
仕事から帰ってくると。
那樂の隣に座った。
「ゆっくりでいい。」
「那樂は那樂だからな。」
二人とも。
息子を心配していた。
それでも。
那樂は。
身体だけは。
恐ろしいほどの速度で成長していった。
腕。
脚。
肩。
身体能力。
同年代の子供たちとは。
明らかに違っていた。
そして。
那樂にはもう一つ。
大きな問題があった。
言葉だった。
自分の気持ちを。
上手く言葉にできない。
嬉しい。
悲しい。
嫌だ。
怖い。
助けてほしい。
遊びたい。
そういう気持ちを。
那樂は。
上手く説明できなかった。
だから。
「やめて。」
その一言が出てこない。
「嫌だ。」
その一言が出てこない。
そして。
気づけば。
拳が出ていた。
「……。」
殴る。
相手も殴る。
那樂は殴られる。
しかし。
那樂は倒れない。
相手は。
倒れる。
泣く。
鼻血を出す。
時には。
救急車を呼ばれるほどの怪我をする。
那樂自身は。
ほとんど無傷だった。
「どうして殴ったの?」
母親が聞く。
「……。」
那樂は答えられない。
「嫌なことされた?」
那樂は頷く。
「何をされたの?」
「……。」
答えられない。
父親は。
怒鳴らなかった。
「那樂。」
しゃがんで。
目線を合わせる。
「暴力は駄目だ。」
那樂は俯く。
「でも。」
父親は。
那樂の頭に手を置いた。
「嫌なことがあったなら、ちゃんとお父さんたちに話しなさい。」
那樂は頷いた。
両親は。
その度に相手の家へ謝りに行った。
頭を下げる。
何度も。
何度も。
「本当に申し訳ありません。」
那樂の両親は。
息子を見捨てなかった。
少なくとも。
この頃は。
小学校高学年。
那樂に。
真正面から手を出す子供は。
もういなくなっていた。
理由は。
単純だった。
怖いから。
那樂は。
誰よりも大きかった。
誰よりも強かった。
そして。
喧嘩になれば。
誰にも止められなかった。
だから。
那樂の周りから。
少しずつ。
人が消えていった。
教室でも。
休み時間でも。
一人。
帰り道も。
一人。
那樂は。
それを理解していなかった。
ただ。
「みんな、遊ばなくなった。」
それだけだった。
そんなある日。
学校からの帰り道。
「おい。」
声をかけられた。
振り返る。
中学生が三人。
那樂より年上。
身体も大きい。
「金出せよ。」
那樂は。
三人を見る。
「……。」
怖い。
という感情より。
先に出てきたのは。
別の感情だった。
遊んでくれる。
那樂は。
少しだけ嬉しくなった。
「……いいよ。」
三人が笑う。
そして。
殴る。
蹴る。
那樂は。
殴られる。
蹴られる。
それでも。
倒れない。
やがて。
那樂の拳が。
一人の腹に入る。
ドンッ。
「ぐっ……!」
もう一人。
ドンッ。
三人目。
ドサッ。
静かになった。
そこに残ったのは。
立っている那樂と。
地面に倒れた三人。
後日。
三人は病院へ運ばれた。
警察も動いた。
そして。
那樂の家には。
警察が来た。
両親は。
必死に頭を下げた。
「申し訳ありません!」
「本当に……!」
那樂は。
両親の後ろに立っていた。
「……。」
いつもと違う。
父親も。
母親も。
自分の目を見てくれない。
那樂は。
その理由が分からなかった。
夜。
那樂は。
喉が渇いて。
水を飲みに起きた。
その途中。
両親の部屋から。
声が聞こえた。
「……もう、無理よ。」
母親の声だった。
「分かってる。」
父親の声。
「もう……あの子。」
少し。
震えている。
「手に負えないわ。」
那樂は。
廊下で立ち止まった。
「……。」
そして。
父親が。
小さな声で言った。
「あの子は……」
一拍。
「化物だ。」
那樂は。
動けなかった。
「……。」
初めて。
自分が。
両親から怖がられていることを知った。
⸻
12歳。
那樂は。
両親の知人の紹介で。
青少年再生施設へ入ることになった。
「……なんで?」
那樂は。
荷物を持ちながら聞いた。
「僕、ここに行かなきゃいけないの?」
父親は答えなかった。
「お父さん。」
「……。」
「お母さんと暮らせないの?」
母親は。
泣いていた。
那樂には。
なぜ泣いているのか分からなかった。
父親が。
ようやく口を開く。
「那樂。」
「うん。」
「しっかりいい子にして。」
「……。」
「立派になったら。」
父親は。
目を逸らした。
「迎えにくるよ。」
「……本当?」
「ああ。」
那樂は。
その言葉を信じた。
信じるしかなかった。
施設には。
様々な子供たちがいた。
親に見放された子。
学校に馴染めなかった子。
問題を起こした子。
引きこもっていた子。
誰もが。
何かを抱えていた。
そして。
この施設には。
一つのルールがあった。
入館する際。
子供たちは。
名前を変えることができた。
新しい名前で。
人生をやり直す。
読み方だけを残して。
漢字を変える。
あるいは。
全く違う名前にする。
ただの。
おまじないのようなものだった。
それでも。
ここへ来た子供たちにとって。
「今日から変わる」
そう思える。
小さなきっかけだった。
事務員の女性が。
那樂に尋ねる。
「お名前、どうする?」
那樂は。
困った。
文字が。
分からない。
自分の名前すら。
漢字で書けない。
キーボードも。
打てない。
「……こんごう。」
「うん。」
「だらく。」
事務員が。
優しく笑う。
「じゃあ、一緒に入力してみようか。」
那樂の指を。
キーボードの上へ。
一つずつ動かしていく。
「金剛。」
カタカタ。
「堕落。」
画面に。
名前が表示される。
金剛堕落。
事務員の女性が。
少しだけ困った顔をした。
「……あのね。」
「ん?」
「『堕落』っていう漢字は。」
女性が。
少し迷う。
「違う字にしてみない?」
那樂の顔が。
変わった。
「……なんで?」
「え?」
「僕が馬鹿だから?」
「ち、違うわよ!」
女性は慌てて首を振る。
「そういう意味じゃなくて……。」
しかし。
那樂には。
もう届かなかった。
自分の分からないものを。
笑われた。
そう思った。
身体が。
僅かに強張る。
空気が。
変わる。
事務員の女性は。
その圧に気づいた。
怖い。
目の前の少年が。
怖い。
那樂は。
画面を見た。
そして。
静かに言った。
「……これでいい。」
「でも……。」
「これがいい。」
女性は。
しばらく那樂を見る。
やがて。
小さく息を吐いた。
「……分かった。」
キーボードを閉じる。
画面には。
その名前が残った。
金剛堕落。
こうして。
金剛那樂は。
自分自身で。
新しい名前を選んだ。
まだ。
その言葉の意味も。
その名前が背負うことになる人生も。
何も知らない。
ただ。
自分で選んだ。
それだけだった。
そして。
この日を境に。
少年の名前は。
金剛那樂から。
金剛堕落へと変わった。




