120話 教えてほしい
神様サバイバル16日目
「……12年ぶりかな。」
老人の声は。
あまりにも穏やかだった。
まるで。
つい昨日まで顔を合わせていた相手に、久しぶりと声をかけるような。
そんな声音だった。
金剛は答えない。
咥えた葉巻から、細い煙が立ち上っている。
雲雀は。
老人と金剛を交互に見た。
「……誰なんですか?」
金剛の横顔を見る。
しかし。
金剛は何も言わない。
ただ、老人を見つめている。
その目には。
怒りとも。
憎しみとも違う。
もっと複雑なものがあった。
「……平。」
金剛が。
低く呟いた。
老人が微笑む。
「覚えていてくれたか。」
「忘れるわけねぇだろ。」
金剛の声が少しだけ低くなる。
「お前は」
一瞬。
言葉が止まる。
「……俺に死刑を言い渡した。」
雲雀の目が見開かれた。
「……え?」
老人。
平義行は。
静かに頷いた。
「そうだ。」
その答えは。
あまりにもあっさりしていた。
「私は、君に死刑判決を下した裁判官だ。」
雲雀は言葉を失った。
目の前にいるのは。
ただの穏やかな老人にしか見えない。
しかし。
この人間が。
12年前。
二十歳だった金剛に。
死刑を宣告した。
「……。」
金剛は煙を吐く。
「相変わらず、平然としてやがるな。」
「そう見えるかい?」
平は少しだけ笑った。
「昔からそうだったからね。」
「裁判官の鏡。」
「そんなふうに呼ばれていた。」
「……。」
金剛は鼻で笑った。
「知ってる。」
平はゆっくり椅子に腰を下ろした。
「君の裁判のこと。」
「私は忘れたことがないよ。」
空気が。
少し重くなる。
雲雀は口を挟めなかった。
金剛も。
何も言わない。
平は。
遠い過去を見るように、ゆっくり話し始めた。
「君は二十歳だった。」
「親兄弟を。」
「自分の手で殺した。」
「……。」
「世間は死刑を望んだ。」
「連日のように報道され。」
「君を極悪人として扱う声が、日に日に大きくなった。」
平は目を伏せる。
「私も。」
「最初は、君が何をしたのかだけを見ていた。」
当然だった。
裁判官なのだから。
証拠を見る。
事実を見る。
罪を見る。
感情を排除する。
それが仕事だった。
しかし。
何度も裁判を重ねるうちに。
平は気づいていった。
目の前にいるのは。
怪物ではない。
まだ。
二十歳の青年なのだと。
「君は。」
「犯行そのものを否定しなかった。」
「だが、理由だけは。」
平の声が止まる。
「……最後まで語らなかった。」
金剛は。
黙ったままだった。
「私は何度も考えた。」
「親兄弟を殺す。」
「そんなことを、自ら望んでする人間がいるのだろうか。」
「もし、この青年には。」
「私たちが知らない何かがあるのではないか。」
平の指が。
膝の上でゆっくりと組まれる。
「私は。」
「君に再生の道を与えられないかと考えていた。」
「まだ二十歳だ、人生は長い。」
「やり直せる可能性を。」
そこで。
平の表情が少しだけ曇った。
「……だが。」
世論。
報道。
民意。
そして。
上からの圧力。
「死刑を。」
「そういう声が。」
「私の周りを埋め尽くしていった。」
平は目を閉じる。
「そして私は。」
「裁判官人生で初めて。」
「死刑判決を下した。」
沈黙。
「……。」
金剛は。
何も言わない。
平は笑った。
悲しい笑みだった。
「君の裁判が終わったあと。」
「私は裁判官を辞めた。」
雲雀が驚く。
「……辞めたんですか?」
「ああ。」
「だが。」
平は肩をすくめる。
「これまでの功績があったからね。」
「司法界から完全に離れることはできなかった。」
「今では若い裁判官たちの指導をしている。」
「裁判官ではない。」
「けれど。」
「司法を見続けている。」
平は。
窓のない地下の部屋を見回した。
そして。
「……そして。」
「神様サバイバルが始まった。」
雲雀も息を呑む。
「法律が消えた。」
その言葉を口にした瞬間。
平の顔に。
ほんの少しだけ。
穏やかな笑みが浮かんだ。
「私はね。」
「あの日。」
神に向かって。
「ありがとう。」
そう言った。
雲雀は驚く。
「……ありがとう?」
「ああ。」
平は頷く。
「法律がなくなったことが嬉しかったわけじゃない。」
「私は法律を信じていた。」
「今でも。」
「だが。」
平は自分の胸元に手を当てた。
「12年前から。」
「私はずっと。」
「自分の判決を問い続けていた。」
あれは。
本当に正しかったのか。
自分は本当に。
裁判官として平等だったのか。
それとも。
世論に。
権力に。
流されたのか。
「法律が消えた瞬間。」
平は静かに言った。
「もう。」
「あの判決を正当化するものも。」
「あの判決を覆すものも。」
「なくなった。」
そして。
「だから私は。」
「ようやく。」
「あの日の自分と向き合える気がした。」
金剛は。
ずっと黙っていた。
葉巻の先端が。
赤く燃えている。
平が。
ゆっくりと金剛を見る。
その目に。
12年前の裁判官としての厳しさはなかった。
ただ。
一人の人間として。
目の前の男を見ていた。
「……金剛くん。」
「……。」
「もう。」
平は静かに続ける。
「君を妨げる法律はない。」
「裁判もない。」
「判決もない。」
「私はもう。」
「君を裁く立場ではない。」
金剛の目が。
わずかに細くなる。
平は。
ほんの少しだけ頭を下げた。
「だから。」
「教えてくれないか。」
長い沈黙。
雲雀は息を止める。
平の声は。
震えていなかった。
ただ。
ずっと抱えていた問いを。
ようやく口にする人間の声だった。
「……なぜ。」
「親兄弟を殺したんだ?」
「私は。」
「12年間。」
「その理由だけを知らないまま生きてきた。」
金剛は。
葉巻を咥えたまま。
平を見つめている。
そして。
「……。」
初めて。
その表情から。
いつもの苛立ちが消えた。
地下の古い和室。
立ち上る煙。
目の前にいるのは。
かつて自分に死刑を言い渡した男。
そして。
12年前から。
一度も語らなかった。
自分自身の過去。
金剛は。
ゆっくりと目を伏せた。
「……12年か。」
その呟きだけが。
静かな部屋に落ちた。
消滅ワード
1日目 “法律 ”
2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”
6日目 “ 肉”
7日目 “ 地図”
8日目 “ 鏡”
9日目 “ 約束”
10日目 “ アルコール”
11日目 “ 血の繋がり”
12日目 “ 疲れ”
13日目 “ 財産”
14日目 “ 嘘”
15日目 “ 四季”
16日目 “ 嫌悪感”




