117話 悪かった
神様サバイバル16日目
「……お前なんか、怖くない。」
ビビりの声は。
自分でも驚くほど、静かだった。
「……あ?」
山田の眉が跳ね上がる。
「今、なんつった?」
ビビりは答えない。
ただ、山田を見る。
昔なら。
その視線だけで目を逸らしていた。
怒らせないように。
機嫌を損ねないように。
余計なことを言わないように。
ずっと。
ずっと、そうしてきた。
けれど。
今は違う。
「聞こえなかった?」
ビビりが言う。
「お前なんか、怖くないって言ったんだよ。」
「……てめぇ。」
山田の顔が歪む。
拳が握られる。
「調子に乗るなよ!」
山田の拳が飛んだ。
ドンッ!
ビビりの頬をまともに捉える。
身体が横へ流れる。
だが。
「……。」
ビビりは倒れなかった。
頬を押さえる。
痛くない。
痛覚が消えている。
だからこそ。
今までなら恐怖で固まっていたはずの身体が。
止まらなかった。
「……。」
ビビりが山田を見る。
そして。
拳を握った。
「――っ!」
今度は。
ビビりの拳が山田の顔面へ入った。
ドンッ!
山田の身体がよろめく。
「てめぇ……!」
「……。」
また殴る。
山田も殴り返す。
拳と拳。
身体と身体。
まともな喧嘩なんて。
二人ともしたことがなかった。
だから。
綺麗な殴り合いなんてものにはならなかった。
掴む。
殴る。
蹴る。
倒れる。
起き上がる。
また殴る。
「この野郎!」
「……!」
頬が腫れる。
唇が切れる。
鼻から血が流れる。
服が乱れる。
それでも。
二人は止まらなかった。
痛みがない。
だからこそ。
今まで身体の奥底に押し込めていたものまで、一緒に吐き出しているようだった。
三年間。
言えなかったこと。
悔しかったこと。
殴り返したかったこと。
逃げたかったこと。
助けてほしかったこと。
全部。
全部。
拳に乗せた。
「ふざけんな……!」
山田が叫ぶ。
「お前が……!」
「……!」
ビビりも叫ぶ。
「お前だって……!」
言葉にならない。
ただ。
殴る。
殴る。
殴る。
そして。
「……。」
「……。」
ほとんど同時に。
二人は床へ倒れ込んだ。
ドサッ。
静かになった。
荒い息だけが。
狭いトイレの中に響いている。
二人とも。
顔は腫れていた。
血も流れている。
それでも。
痛くない。
ビビりは天井を見つめた。
「……。」
不思議だった。
胸の奥に。
ずっと引っかかっていた何かが。
少しずつ剥がれていく。
錆びついた金属を。
長い時間をかけて擦り落としたような。
そんな感覚。
高校時代からずっと。
心の奥に残っていた。
憎しみ。
悔しさ。
怒り。
山田を見るだけで蘇っていた感情。
それが今は。
不思議なくらい薄れていた。
嫌悪感が消えている。
だからなのか。
ビビりは。
もう山田を憎むことすら疲れてしまったのかもしれない。
「……なぁ。」
隣で山田が呟いた。
「ん?」
「……悪かった。」
ビビりは目を開く。
「……。」
山田は天井を見たまま。
ビビりの顔を見ようとしなかった。
「ずっと。」
「いつか謝ろうと思ってた。」
「でも……。」
山田が苦笑する。
「いざお前を見たら。」
「また、昔みたいに強がっちまった。」
ビビりはしばらく黙っていた。
そして。
「……そっか。」
小さく笑った。
「じゃあ。」
「許すよ。」
山田が驚いたようにビビりを見る。
「……いいのか?」
「うん。」
ビビりは笑った。
「もう。」
「そんなに怒ってないから。」
その言葉に。
山田も。
少しだけ笑った。
二人はしばらく。
そのまま床に寝転がっていた。
やがて。
ビビりが立ち上がる。
「行こう。」
「……あぁ。」
二人は。
ゆっくりとトイレを出た。
そして。
「……。」
「……。」
目の前に。
金剛が立っていた。
腕を組み。
ものすごい顔で。
二人を睨んでいる。
「……。」
ビビりの顔が引きつる。
「金剛さん。」
「……。」
「待っててくれたんですか?」
「あ?」
金剛の眉間に皺が寄る。
「なわけねぇだろ。」
「……。」
「階段がねぇんだよ。」
金剛は苛立ったように周囲を見回す。
二階層。
どこまで探しても。
三階層へ続く階段が見つからない。
「クソが。」
金剛は壁を睨む。
「二階層から上に行く道がねぇ。」
「どうなってんだ、このクソみてぇな場所は。」
ビビりは黙って周囲を見渡す。
その隣で。
山田が口を開いた。
「あ……。」
金剛が振り返る。
「……。」
「……誰だ、てめぇ。」
声が低い。
空気が一瞬で変わった。
山田の身体が。
硬直した。
さっきまで普通に話していた口が。
動かない。
「……。」
金剛の目を見る。
その瞬間。
身体が理解した。
こいつは。
今まで自分が相手にしてきた人間とは違う。
ビビりが、
すぐに二人の間へ入った。
「僕の友達です。」
金剛の視線がビビりへ移る。
「……。」
ビビりは少しだけ緊張しながら。
それでも退かなかった。
「山田です。」
「二階層の住人で。」
「三階層への道を知ってるみたいです。」
金剛は山田を睨む。
「……本当か?」
「は、はい……。」
ようやく。
山田が声を出した。
「昔、父親と政府関係者が話しているのを聞いたことがあります。」
「三階層へ行く普通の階段はない。」
「隠し扉があるはずです。」
「場所は……分かります。」
「なら案内しろ。」
「はい!」
三人は歩き出した。
しばらくして。
山田が足を止める。
「ここです。」
目の前には。
何の変哲もない壁。
豪華な装飾が施されているだけ。
金剛が壁を叩く。
コン。
コン。
「……。」
何も起きない。
「開けろ。」
「え?」
「お前、場所を知ってるんだろ。」
「場所は……ここで合ってます。」
「じゃあ開けろ。」
「……。」
山田が壁を探る。
押す。
引く。
触る。
しかし。
何も起こらない。
「……分かりません。」
「……。」
金剛の額に。
青筋が浮かぶ。
「……。」
「分からねぇ?」
「す、すみません……。」
「……。」
金剛が拳を握る。
「クソがぁぁぁ!」
壁を殴る。
ドンッ!
「ひぃっ!」
山田が飛び上がる。
ビビりも思わず肩を震わせた。
「こんなもん……。」
金剛が周囲を睨む。
「どこ押しゃ開くんだよ!」
ビビりは。
その声を聞きながら。
壁を見つめた。
何か。
おかしい。
隠し扉。
なら。
開くための仕掛けがある。
でも。
どこに?
視線を落とす。
床。
壁。
装飾。
柱。
そして。
「……。」
ビビりは足元を見た。
金剛の足元。
そして。
山田の足元。
「……あれ?」
二人の足元にあるタイル。
一見。
何の変哲もない。
だが。
よく見ると。
周囲のタイルと僅かに違う。
「金剛さん。」
「あ?」
「ちょっと。」
ビビりは指を差した。
「このタイル。」
金剛が見る。
「……。」
「山田の足元にも同じものがあります。」
「……それがどうした。」
「たぶん。」
ビビりは考える。
「二人同時に踏むんです。」
「……。」
「同時に。」
金剛が眉をひそめる。
「くだらねぇ。」
「でも。」
ビビりは言う。
「やってみましょう。」
「……。」
金剛は苛立ちながらも。
タイルの上へ足を置いた。
山田も。
恐る恐る足を乗せる。
「せーの。」
二人が。
同時に踏み込んだ。
カチッ。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
壁の奥から、
重たい機械音が響いた。
「……!」
三人が顔を上げる。
壁が。
ゆっくりと横へ動いていく。
隠されていた空間が。
姿を現した。
その奥。
そこには。
また。
長い階段が続いていた。
「……!」
ビビりの顔が輝く。
「やった!」
思わず声が出る。
金剛は。
そんなビビりを一瞬だけ見た。
そして。
「……。」
何も言わない。
山田が苦笑する。
「じゃあ。」
「俺はここまでだな。」
「……。」
ビビりが振り返る。
「うん。」
「ありがとう。」
山田は手を上げる。
「じゃあな。」
「あぁ。」
山田は、
二階層の街へ戻っていく。
ビビりはその背中を見送った。
そして、
金剛と共に。
長い階段を降り始める。
一段。
また一段。
二人の足音だけが響く。
しばらく無言だった。
そして。
不意に。
「おい。」
金剛が口を開いた。
「……はい?」
ビビりが振り返る。
金剛は前を向いたまま。
「雲雀。」
「……!」
その名前を。
金剛が呼んだ。
今まで。
「お前」
「てめぇ」
そればかりだった。
雲雀は。
少しだけ目を見開く。
「はい?」
金剛は。
少しだけ間を置いて。
「……いいツレを持ったな。」
それだけ言った。
「……。」
雲雀の胸が。
じんと熱くなる。
「はい!」
自然と笑顔になった。
「……。」
金剛はそれ以上何も言わない。
ただ。
二人は並んで。
三階層へ続く階段を、
静かに降りていった。
消滅ワード
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2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”
6日目 “ 肉”
7日目 “ 地図”
8日目 “ 鏡”
9日目 “ 約束”
10日目 “ アルコール”
11日目 “ 血の繋がり”
12日目 “ 疲れ”
13日目 “ 財産”
14日目 “ 嘘”
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16日目 “ 嫌悪感”




