107話 伝えておきます
神様サバイバル16日目
「医者だ。」
「今すぐ医者を連れてこい!」
金剛の怒号が、刑務所中に響き渡った。
その瞬間。
それまで比較的落ち着いていた刑務所内の空気が、一変した。
廊下を走る足音。
飛び交う声。
武器を手に持ったまま指示を聞く者。
事情など分からない。
何が起きたのかも分からない。
ただ一つ。
分かることがある。
金剛堕落が、本気で急いでいる。
それだけで十分だった。
「医者を探せ!」
「近くに生き残ってる病院は!?」
「分かんねぇよ! 地図がねぇんだぞ!」
「だったら片っ端から探せ!」
「車出せる奴は準備しろ!」
金剛の一声で。
刑務所全体が動き始めていた。
所長室。
真っ二つに割れた机。
その前で。
盗丸は腕を組み、金剛を見ていた。
さっきまで葉巻を咥えて笑っていた男とは思えない。
表情そのものは。
いつもの金剛と大して変わらない。
怖い。
偉そう。
態度がデカい。
それでも。
明らかに違った。
余裕がない。
盗丸は。
割れた机の上にある手紙へ目を向ける。
藤崎栞から預かった手紙。
自分は中身を読んでいない。
読む気もなかった。
だが。
金剛の反応を見れば。
ただの近況報告ではないことくらい分かる。
「なぁ、大将。」
「あぁ?」
金剛が低い声で返す。
盗丸は手紙を指差した。
「なんて書いてあったんだ?」
一瞬。
金剛が黙る。
そして。
短く答えた。
「栞のガキが死にかけてる。」
「……。」
盗丸の表情から笑みが消えた。
それだけ。
金剛が口にしたのは。
たったそれだけだった。
だが。
十分だった。
あの小さな賃貸マンション。
玄関の向こうから。
警戒するように顔を出した栞。
自分と朝山を見つめていた目。
そして。
部屋の奥。
盗丸は中へ入ってはいない。
子供の姿も見ていない。
それでも。
栞がなぜ自分で金剛のもとへ向かわなかったのか。
なぜ。
この無法地帯で。
あの部屋に留まり続けていたのか。
全て。
繋がった。
「……そういうことかよ。」
盗丸が小さく呟く。
そして。
すぐに顔を上げた。
「医者ならいるぜ。」
金剛の目が盗丸へ向く。
「あぁ?」
「医者なら知ってる。」
その言葉に。
金剛が一歩近づく。
「腕は確かか?」
「……。」
盗丸の脳裏に。
一人の老人が浮かんだ。
医楽夜捨。
自分たちの傷を診て。
何度も助けてきた。
あの爺さんなら。
少なくとも。
何も分からない自分たちより。
遥かに頼りになる。
盗丸は迷わなかった。
「あぁ。」
金剛を真っ直ぐ見る。
「保証する。」
「……そうか。」
その時。
所長室の扉が勢いよく開いた。
「金剛さん!」
桐山が入ってくる。
普段。
何が起きても飄々としている桐山だったが。
さすがに今回は。
その表情にも僅かな緊張が見えた。
「準備できました。」
「動ける人間には声をかけました。車も一台なら出せます。」
「それと――」
「桐山。」
金剛が遮る。
「はい。」
「行き先変更だ。」
「……はい?」
金剛は顎で盗丸を指す。
「このバカのいた古民家に行け。」
「古民家?」
桐山が盗丸を見る。
当然。
場所など知らない。
だが。
理由を尋ねることはなかった。
「承知しました。」
二つ返事。
それを見て盗丸が苦笑する。
「相変わらず大将の言うことなら何でも聞くんだな。」
「えぇ。」
桐山は笑う。
「長生きの秘訣ですよ。」
「なるほどねぇ。」
盗丸も笑い返す。
そして。
すぐに表情を引き締めた。
今は。
冗談を言っている場合じゃない。
「桐山。」
「はい。」
「車、出せるんだよな?」
「一台だけですけどね。」
桐山が眼鏡を押し上げる。
そして。
盗丸を見ながら付け加えた。
「あんた達のおかげで、無事に出せる車は一台です。」
「……。」
盗丸は数秒黙った。
刑務所へ乗り込んだ時のことを思い出す。
そして。
ニヤリと笑った。
「そりゃあよかった。」
「よくありません。」
「細けぇな。」
「あなたが大雑把すぎるんですよ。」
そんなやり取りをしながら。
二人は急いで所長室を出ていく。
古民家へ。
医楽夜捨を迎えに行くために。
扉が閉まる。
バタン。
「……。」
途端に。
所長室が静かになった。
先ほどまでの騒がしさが。
嘘のように遠く感じる。
残されたのは。
金剛一人。
「……。」
金剛は。
割れた机へ目を向けた。
その上。
一枚の手紙。
ゆっくりと。
手に取り、
再び読み始めた。
『堕落へ。』
その二文字。
いや。
その名前の呼び方だけで。
遠い記憶が蘇る。
藤崎栞。
かつて。
自分のすぐそばにいた女。
『久しぶりね。』
『元気でいると聞いて、驚いたけど、嬉しいほうが大きい。』
「……。」
金剛の眉が僅かに動く。
誰から聞いたのか。
そんなことは。
どうでもよかった。
続きを読む。
『急なお願いになってごめん。』
『子供が熱を出して下がらなくて、ご飯も食べられず、弱りきってる。』
金剛の指に。
僅かに力が入る。
『医者が必要なの。』
『私は傍を離れられない。』
『お願い。』
『助けて。』
「……チッ。」
舌打ち。
金剛は顔を上げた。
天井を睨む。
何を見ているわけでもない。
ただ。
手紙から目を逸らしたかった。
「ふざけやがって……。」
誰に向けた言葉なのか。
栞か。
神か。
この世界か。
それとも。
何も知らず。
今まで好き勝手に生きてきた。
自分自身か。
金剛にも。
分からなかった。
しばらく。
天井を見つめる。
やがて。
葉巻を取り出した。
口に咥える。
火を点ける。
深く吸う。
「……ふぅ。」
白い煙が。
ゆっくりと。
天井へ昇っていく。
いつもなら。
この時間が好きだった。
葉巻の香り。
煙。
肺へ入ってくる感覚。
頭が少しだけ落ち着く。
だが。
今は。
何も変わらない。
金剛は再び。
手紙を見る。
そこには。
まだ続きがあった。
数行。
最初に読んだ時。
金剛の時間を止めた。
最後の文章。
『こんな世の中だから。』
『伝えておきます。』
葉巻を持つ金剛の手が。
止まる。
「……。」
視線が。
次の一行へ落ちる。
『子供は、あなたの子よ。』
煙だけが。
静かに。
金剛の前を横切った。
「……。」
何も言わない。
怒鳴らない。
机を殴ることもない。
ただ。
紙を持つ指だけが。
ほんの僅かに。
震えていた。
最後。
手紙の一番下。
そこに書かれていた名前を。
金剛は。
いつまでも見つめていた。
『藤崎栞』
消滅ワード
1日目 “法律 ”
2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”
6日目 “ 肉”
7日目 “ 地図”
8日目 “ 鏡”
9日目 “ 約束”
10日目 “ アルコール”
11日目 “ 血の繋がり”
12日目 “ 疲れ”
13日目 “ 財産”
14日目 “ 嘘”
15日目 “ 四季”
16日目 “ 嫌悪感”




