二話 路地裏団
リュミエールたちの住むセントレアは、王族が住む王宮区、貴族が住む高貴区、平民が住む内閣区と外郭区、そして貧民がすむ街外区と呼ばれる五つの区画からなる都市である。それぞれの身分による貧富と権利の差は大きく、貧民や平民は王族と顔を会わせることなどなく、特に街外区に関しては平民すら近づくことはなく、人の住む町ではないと言われていた。それは、この変革の七年を過ぎたとしても変わらないものだった。
街外区に入ると、浮浪者や明らかに堅気ではない者が彷徨いている。顔に傷がついている者もいれば、刺青を入れている者もいた。ソレイユでは刺青は罪人の証である。
天啓はその中を進んでいた。
不思議となれているようで、道に迷っている様子はない。途中で誘いをかけてくる娼婦たちを交わすと、少し路地に入った場所で立ち止まった。そこにはいかつい男たちが集まり、なにやら談笑をしているようだった。そしていっせいに、路地への侵入者を見つめた。
「おまえか」
そのうちのひとりがそう言って天啓に近付いてきた。
リーダー格らしい男である。
無造作に生えた髭は彼の無精さを表しており、その腕には無数の傷があった。筋骨隆々で、背の高さは190センチ位だろうか。彼は天啓に近付くと、その無骨な手を前に差し出した。
「久しいな。すっかりお偉くなっちまいやがって、俺様のことなど忘れちまったかと思ってたぜ」
そう言って男は口元を綻ばせた。
いかつい顔に、不思議な愛嬌が見て取れた。
「おいおい、つい一月前にあったばかりだろ」
天啓は差し出された右腕を握り返しながら彼の物忘れを指摘する。
「そうだったか?」
男は頭をかきながらそう言った。
「親方は寂しがり屋かなにかかい?」
「なに!細かいことは気にするな!がははは!」
親方は大声で笑った。随分と豪胆な男のようだ。
「しかし、なにをしに来た?お前のことだ、ただ育ての親に孝行しに来たわけじゃねぇだろ?」
親方の眼光が鋭く光った。
「悪いな親方。仕事の依頼をしに来たんだ」
「例の川の氾濫の話か」
「(流石…)」と心につぶやき、天啓は深く頷いた。
「親方」と呼ばれるこの男は、ソレイユにその名を知らぬ元大海賊である。今はソレイユの街外区を取り仕切る【路地裏団】の大親分であり、この町の裏の話は全てこの男に集まってくる。そしてこの男は、天啓の古い馴染みであった。
天啓は、最近の大雨と川の氾濫、それを治めるための治水工事について話した。親方はその話をじっと聞き入り、その外にたむろしていた面々も天啓の言葉に耳を傾けている。その顔はすでに町のアウトローから、仕事へ向かう職人たちの顔へと変わっていた。
「話はわかった」
親方は大きく頷きながらそう言った。
「人数は俺が集めよう。だが今回の件、そう簡単には行かんぞ」
親方はそういうと右隣の男に目配せをした。
少し背の低い、気弱そうな男が前に進み出る。
「コザ、また少し痩せたんじゃ…」
「いやぁ、心配してくれるのは天啓の兄貴くらいすよ」
頬もこけており、明らかに不健康そうな顔をしている。
「天啓の兄貴、兄貴が手を加えようとしているのは【大恵川】で間違いないっすか?」
「ああ、間違いない。すでにいくつかポイントを絞り込んではいるんだが…」
大恵川とは、リュミエールと天啓が立っていた大きな川だ。
ソレイユの北にそびえる山々から流れ出た水が一つに集まり、巨大な流れを作り出している。ソレイユはその川の恩恵を受けて農耕を行ってきたが、最近はその恵みの川に悩まされているというところだ。
「大恵川については、実は何回か手をかけているんす。だけども、そのいずれも上手く行っていないんすよ」
大恵川の流れは非常に大きく、しかも水かさが目に見えて増えていた。それは嵐の影響もあったが、どういうわけか、最近は平時にも水量が増えていた。そんな大恵線がひとたび氾濫すれば、並みの手段では抑えられなかった。
「普通の手段じゃだめなんすよ。岩を積んでも隙間から水が入って崩されるし、土はすぐに流されちまう上に、積むのに時間がかかっちまうんす…」
コザはしょぼくれた顔でそういった。土は用意できても、それをしっかりと固める手段がなくてはどうにもならない。
「お前が気にすることじゃない。なにかほかに手段はないか?」
天啓はその場に集まっている面々に意見を求めた。
気がつくと、最初は数人だったのが数倍に増えており、一同はガヤガヤと相談を始めた。
だが、なかなか鋭い意見が出てこなかった。
「天にぃ!」
と、不意に大きな声が響き、それと同時に、天啓が背後からなにかに吹き飛ばされる。
「げふっ!」
っと呻き声を上げて天啓が地面に突っ伏した。
そしてその上に乗り上げる少女がひとり。
「あれ?天にぃどこ行った?」
少女がキョロキョロと辺りを見回した。
周囲の面々は視線を少女の足下へと注ぐ。少女も足元に視線を移した。
「あれ、天にぃ、そんなところでなにしてるの?絨毯の真似?」
「どちらかというと馬にひき殺された死体の真似かな…」
「変わった遊びだね!」
少女はニコニコと笑いながらそう言った。
「キャトン、そろそろどいてやれ」
親方がため息混じりにそう言った。
キャトンは「はーい」と、右手を高々と挙げながらひき殺された絨毯の上から降りる。絨毯の方は砂だらけになった体を手で払いながら起き上がった。
周囲のの真面目そうな雰囲気が一転、笑い声が響いた。
「あれ?そう言えばみんな集まってどうしたの?」
ぼけっとした顔でキャトンは問いかける。
キャトンに対して、親方が事の説明をする。
キャトンは難しそうな顔でそれを聞いていたが…。
「よくわかんない!」
「だろうな…」
あっけらかんとしたキャトンに親方は苦笑した。
「まぁ、つまり川を氾濫させないように、なにかせき止めるものが必要なのさ」
天啓は話を要約して言った。
「レンガはだめなの?」
「そんな資材があったらこんなに悩まんさ」
天啓は困ったという顔でそう継げた。
このキャトンの無邪気さには、なんとなく癒される。
「ふーん。土を沢山盛れば良いんじゃないの?」
「いや、だから土を沢山盛る方法がだな…」
「じゃあ小麦粉でも積む?」
「流石に勿体無い」と言うところで、天啓は言葉を止める。
「キャトン、なんで小麦粉を盛ろうと思った?」
キャトンは不思議そうな顔をした。
「だって、小麦粉なら手でもって沢山積めるでしょ?」
小麦粉を手で持つ、という言葉に一瞬戸惑った天啓だったが、すぐにその言葉の意味を理解した。
「親方、小麦粉を運ぶ麻袋はどれほどある?」
「袋はいくらでもあるが…おいおい、本当に小麦粉を積むつもりなのか?」
親方は心配そうに天啓を見たが、天啓は頭を振るった。
「まさか。積むのは土だよ。麻袋に入れてね」
「麻袋に?」
なるほど、と親方は膝を打った。
「え、小麦と見せかけて土でも売るの?」
『………』
一同が一瞬声を失った。
「土嚢というんだが。確か俺の故郷ではこれを使って川を工事していたと思う」
聞いてしまえば当たり前の発想で、珍しい物でもないように思える。だが、ソレイユには土嚢のような概念はなかった。いや、そもそも彼らには建築や工事の技術もほとんどない。つい最近になって、やっと一から家を作り上げることができるようになったのだ。それまでは、王宮に仕える宮大工か、はたまた「神の恩恵」に頼るくらいしかなかったのである。
「分かった。路地裏団がすぐに手配しよう。」
親方はすぐに人手と大量の麻袋を用意した。彼ら【路地裏団】の手にかかれば、それらを調達するのに時間はかからなかった。といっても、真っ当な手段かどうかは別だが。
集まった誰もが、とても堅気には見えないような連中であったが、彼等は妙に統率がとれていた。女衆が麻袋に土を込め、それを男衆がテキパキと積んでいく。
「なるほど、確かにこれなら石のように隙間が出来ることもないし、固まっているから流れ出ることもない」
親方は積まれていく土嚢を見ながら、そう唸った。
土嚢は氾濫していたいくつかの川へと詰まれていった。これで少しくらいの増水には耐えられるだろう。
しばらくすると、リュミエールが大量の資材を持って現れた。
「どうだ!兄貴のところからくすねてきたんだ!」
リュミエールは楽しそうにそう告げた。軍の倉庫から大量の資材がなくなればすぐにばれるものだが、大きな騒ぎにはならなかった。無論、それは天啓の働きによるものではあったが。
そうこうして二週間ほどが経過した。
途中で一度嵐に見舞われたが、被害は確実に減っており、農民たちは再び農作業へと移ることが出来た。
だが、天啓の顔はまだ暗かった。
「兄貴、ちょっといいすか?」
その日の工事が終わり、あたりが暗くなってきたころ、コザが心配そうな顔で近付いてきた。この子男は腕っ節やら気迫やらは大したことはないが、細かいことに気が利く男だった。それゆえ、大ざっぱな親方に重用されている。
「どうした?」
「いえ、兄貴、確かにアニキのアイデアで氾濫は抑えられるかもしれないっすが、これで解決したと言えるんすかね?」
鋭いところをつく男である。
彼等は大恵川の、特に水の氾濫が顕著な場所を補強していった。だが、この川はソレイユを東西に分断するほど長く、そして広い。今回の技法で川を補強していくとなると、とてもではないが人手も物資も足りなかった。
「わかってるさ。これでは根本的な解決になっていない。それに…」
天啓は言葉を濁した。
「まぁ、今は出来ることをしていくことにしよう」
「そうっすね!次の手はまた考えましょう!」
コザはそういってまた工事へと戻っていった。
天啓には今回の嵐や川の増水についていくつか腑に落ちない点があった。それを調査しなくてはならないことは、明白だったが、それを思うと気が重かった。
彼の経験上、この展開の後にあるのは大きなトラブルばかりだったからである。




