7.少し、疲れた
「…正確には、意識がある時もあった、と言ったほうがいいのかな」
「いしきがあるときもあった…?」
『意識不明で眠っているのに意識がある状態』というのがピンとこないコハルは、アカツキの言葉をそのままなぞってしまった。
「…コハルが掃除をしてくれている時間は大体起きていたよ」
「それは…日中は意識があったということですか?」
「…そういうことになるね」
アカツキはあっさりと肯定し、握っていたコハルの手をそっと離して、今度は揚げた白身魚が挟まったサンドイッチを食べ始めた。
一方コハルはアカツキの衝撃の事実から理解が追いつかず頭を抱えた。
意識不明の状態に陥る以前のアカツキは、キーストン家の敷地にある小さな別邸を自宅として暮らしていた。その別邸は、キーストン家の初代当主が長期滞在する来客用に建てた、年季の入った建物だ。お客様が気を遣わず自由に過ごせるようにと、寝室のほか、書斎、客室、食堂、風呂場など、定住しても問題ないほどの十二分な施設が備え付けてある。キーストン家の本邸と比較するとこじんまりとしているが、アカツキ一人で住むには十分すぎる広さであった。
そして『気が散る』という理由で、使用人とはいえ他人が自宅に入るのを好まなかったアカツキは、掃除から食事まですべてアカツキ自身が担っていた。
しかしアカツキが意識不明の状態に陥った後、別邸を維持・管理する必要が出てきた。つまり、アカツキが眠っている間だけ、別邸に清掃担当者を配置することになったのだ。
若き天才魔術師としてだけでなく、その整った容姿から一部熱狂的な視線を女性から集めていたアカツキである。アカツキが眠る別邸の維持・管理担当は、取り合いになるほど人気業務になった。
しかし、アカツキが目覚める気配のないまま半年が過ぎる頃になると状況は一転した。原因不明の昏睡状態。しかもそれは黒魔術による呪いをかけられたことが発端らしい、と噂されるようになると、アカツキが眠る別邸に近づくことさえ憚られるようになった。
アカツキが眠る別邸の維持・管理担当が打って変わって忌避されていた頃、コハルが使用人として採用された。そして新人のコハルが、なかば押し付けられるようにその業務を任されたというわけだ。
当然、別邸の担当者はコハル一人だけ。初めの頃は黙々と部屋の掃除をしていたが、だんだん鼻歌を歌ったり、独り言を言ったり、眠っているアカツキに話しかけたりと、肩の力を抜いて掃除に励むようになっていった。
まさか、アカツキ本人に意識があるとも知らずに。
「〜〜〜!あ、あの!お、お休み中に煩くしてしまい、大変、失礼致しました…!」
「…いや、別に謝ることは何もしていないだろう?」
「ですが、私、まさか意識があるとは知らず、どうでもいいことばかりペラペラ話してしまっていて…」
アカツキはクスッと笑った。
「…そういえば、髪を梳こうとしてくれたことがあったね。だけど私の髪は長いから…絡まってしまって、最後は少し束で抜けてしまったっけ」
「も、申し訳ございません…!」
懐かしい思い出話をするかのように、アカツキは続ける。
「…そうだ、カナメが『現状確認の魔王』と呼ばれていることを教えてくれた時は、吹き出してしまいそうだったよ」
「本当にもう…!お忘れください…!」
話を聞いて吹き出してしまいそうになるくらいならそれはもう起きているのと何も変わらないのだから、それならもっと早く起きてくれたら良かったのに——と心の中で抗議している途中で、コハルははっと我に帰った。
黒魔術の呪いによって、意識があっても体を動かせない状態だったのでは——…
コハルは神妙な顔をしてアカツキの方へ改めて向き直った。
「…アカツキ様が身動きできない状況でお騒がせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「…?コハルが謝ることは本当に、何もないよ…?」
「ですが…意識はあるのに体を動かせない状態というのはお辛かったかと…。カナメ様も大変心配していらっしゃったとお伺いしておりますし…」
アカツキはカナメの名前に反応して、眉間に皺を寄せた。
アカツキの異変に気付いてから、カナメは懇意にしている医者だけではなく、医療の心得があるという者、白魔術を使えるという眉唾者まで、思い当たるすべての医療者にあたったが、アカツキが目覚めることはなかった。
「…起きろ、まだ働いてもらわないと困る、と頬を叩かれたような気もするな…」
どんな医療者を手配してもうまくいかず、もう二度と目覚めないかもしれないという焦燥感に駆られたカナメは、寝ているアカツキに馬乗りし、襟ぐりを掴んで頬を思い切り叩いた。
『どうして目を覚さないんだっ!!!早く目を覚ませ!!!まだまだお前には働いてもらわないと困るんだ!!!目を、覚ましてくれ…!』
そう叫ぶとカナメは激しく泣き崩れた——…という話を聞いた時、コハルはカナメとアカツキの幼少期からの絆を想って胸を打たれたものだ。
「…働かせられるくらいなら、じゃあもう少し眠っておこうと思って」
「…???」
アカツキは今なんと言ったのだろう。戸惑っている様子のコハルに気づかずアカツキは話を続ける。
「…起きて働かされるくらいなら、寝ていたほうがいいだろう?」
そう言って微笑むアカツキを見て、コハルはカナメの涙がアカツキには響かなかったことを察した。
(…でも…あれ?)
コハルはアカツキの言葉に違和感を感じた。
(…『寝ていた方がいいだろう?』って…まるでアカツキ様が寝ている方を選んだみたいな言い方だけど…)
その時、コハルの顔に影が差した。
「?」
顔を上げると、アカツキの顔がコハルの視界いっぱいに広がっていた。
「あ、あのっ、アカツキ様?!」
ぎょっとするコハルを他所に、アカツキはコハルの肩にそっと顔を預ける。
「…久しぶりに動いたら、ちょっと…疲れたみたいだ…。少し…肩を貸してくれないか…」
アカツキの艶やかな黒髪がコハルの頬にさらりと触れた。身動き一つできず固まってしまったコハルの耳元で、アカツキの規則正しい呼吸音が聞こえる。
そして、アカツキはそれから10日間目を覚まさなかった。




