6.間違えるはずがない
最初は案内役として偶々近くに居たコハルを連れて飛び出しただけかと思ったが、それにしてもコハルに対して親しげ——を超えて距離感が近すぎる。
触れ合いが多いことから推測して、おそらく恋人とコハルを間違って認識しているのだろう。そうでなければ面識すらなかったコハルにこうも優しく微笑みかける訳がない。
何せ『天才魔術師アカツキ』といえば寡黙で無愛想としても有名だったのだから。
そもそもアカツキは2年以上もの間、意識不明の状態だったのだ。記憶が曖昧になっている可能性もある。
今すぐお医者様に診ていただかなくては、とコハルは食べかけのサンドイッチを置いて居住まいを整え、アカツキの正面に向かって膝を折り、丁寧に話しかけた。
「アカツキ様、恐れ入りますが、私を誰かとお間違えになっております。私はキーストン家で使用人をしているコハルと申します。失礼ですが意識が朦朧としている、といった症状はございませんか?すぐにお屋敷に戻ってお医者様を呼んできますので、こちらでしばらくお待ちくださいますか?」
アカツキが一人空を飛んでキーストン家へ帰るのが一番話は簡単なのだが、記憶が曖昧なアカツキが一人で屋敷に戻れるのか不安が残る。
かといってコハルを横抱きにして、となると体に負担がかかり、症状が悪化するかもしれない。
アカツキを一人にするのも躊躇いがあるが、周囲に誰もいないうえ、コハルが一緒に居たからといって何も状況は改善しない。であればコハルが急いで屋敷に戻った方がいいだろう。
今にも走り出しそうなコハルの様子を少し困惑した様子で見ていたアカツキが口を開く。
「…意識はしっかりしている。医者は必要ないよ」
「しかし、現に今、私を誰かとお間違えです。私はお眠りなる前のアカツキ様と面識のない者です。もしかしたら、同じ名前の方とお間違えになられているのかもしれません」
「…コハルのことを間違える訳ないだろう?」
「ですから、今、まさにお間違えになられていて…」
どう説明しようかと考えあぐねていると、アカツキがそっとコハルの手を取った。
「…キーストン家に1年前から使用人として勤めている。両親は健在で年の離れた弟がいる。好物は花苺やベリーといった少し酸味のある果物。休日には使用人仲間の…誰だっかな、名前は忘れたけれど、2人でお菓子を食べながらお喋りする時間を楽しみにしている」
「…え……?」
「…あとは…そうだね、干したシーツが風に揺れているのを眺めるのが好き、本を読んでいる時に降る雨の音が好き、冷たい夜風が好き、だったかな」
「…どうして……」
コハルは言葉が出てこなかった。どれもこれもアカツキの言った通りだからだ。
「…あの、魔力が高いと何か、その…相手のことを見透かすようなこともできるのでしょうか?」
「…ん?…いや、魔力が高くても相手の考えを見透かすようなことはできないよ。…黒魔術に精通すれば、相手を精神的に支配して自白させるようなことはできるかもしれないけれど…」
アカツキは手に取ったままだったコハルの手を力を込めて握り直し、真剣な顔をしてコハルを見つめた。
「…コハルは誰かの心の内を知りたいと願う、何か切羽詰まった状況に……?」
「あ、いえ、あの…」
今がまさに切羽詰まった状況です、とは言えるはずはない。
「…ですが、どうして私のことを、そんなに、ご存知なんですか…?」
コハルの絞り出した質問に、アカツキは不思議そうな顔をしてコハルを見つめた。
「…どうして…?だって、コハルが話してくれたから…?」
アカツキは意識不明の状態でベッドで寝ていたのだ。そのアカツキとどうやって会話できるというのだろう。混乱しているコハルを他所にアカツキは話を続ける。
「…ああ、そういえば少し前の雨が続いた日、目覚めるなら晴れの日がいい、とコハルは提案してくれたね」
コハルがピタリと止まった。
(言った、たしかに言ったけど…でも、それは…)
「…雨が止むのを待っていて良かったよ」
穏やかに微笑みかけるアカツキとは対照的に硬い表情をしたコハルは、アカツキが目覚める1ヶ月ばかり前の、雨が降り続くある日の朝のことを思い出していた。
『——雨が続きますねぇ…本を読むなら雨の日がいいんですが…』
コハルはいつものように部屋の掃除をしながら、アカツキに話すともなく話しかけていた。
『久しぶりのお目覚めとなるとどうなんでしょう…?』
コハルは掃除をしていた手を止め、暫く考える。
『——やっぱり、晴れの日の方が気持ち良く起きれるかもしれませんね』
それに、とコハルは続ける。
『風の精霊が舞うような晴れの日だったら良いことも起こるかもしれないですし、久しぶりの目覚めとしてはぴったりですね——…』
…——何気なく言ったのだ。
そう、眠っているアカツキへ向かって。
「あの、もしかして、お眠りになっている間、意識がおありに…?」
「…もちろん、あったよ」
アカツキは事も無げに言ったあと、眩しいほどの笑顔をコハルに向けた。




