4.つい、うっかり
カナメの話も聞かず、いきなりコハルを横抱きに抱え三階の窓から飛び出したアカツキ。
「〜〜〜〜〜!」
コハルは思わずぎゅっと目を閉じ、アカツキの胸の中で身を固くした。
息を詰めて落下の衝撃を覚悟するコハル。しかし、いつまで経っても衝撃は訪れず、その代わり、頭上からアカツキの声が降ってきた。
「…大丈夫、落としはしない」
アカツキの言葉にコハルが恐る恐る目を開けてみると、コハルの視界にキーストン領の街並みが広がった。
「……!」
アカツキは空中を、まるで足元に見えない道があるかのように悠然と歩いていた。足元から頭上へと風が吹きつけ、アカツキの長い髪が風に靡いている。
——豊富な魔力があれば空を飛べるらしい。
この話を聞いたとき、コハルは純粋に憧れた。
どのくらい魔力があれば空を飛べるのだろう。空から見渡す街はどんな風景なんだろう。そして空から見渡す彼方には何があるんだろう、と。
この世に魔力量を測る術がなくても、コハルは自身の魔力量が少ないことを自覚していた。魔力を使って木の葉を落とすという子供の定番の遊びでは、コハルより歳下の友達にすら負けていた。成長するにつれ魔力は増えるかと思ったが、その期待は早々に捨て去ることになった。
(まさか空から街を眺める日が来るなんて…)
コハルは瞬きするのも忘れ、日の光を浴びてきらめく街を、行き交う人を、そしていつもより少しだけ近くなった空を見渡した。
景色に夢中になっているコハルを見て、柔らかな笑みを浮かべたアカツキの目の端に大広場が近づいているのが見えた。
「…大広場のサンドイッチ…」
そうアカツキは呟くと、大広場の手前に伸びる石畳の上に降り立ち、そして横抱きにしていたコハルをそっと降ろした。しかし地面に足が着くや否やコハルは足元からバランスを崩してしまう。
「あっ…!」
「…!」
アカツキはコハルを支えようと、咄嗟に両腕でコハルを抱きしめた。アカツキの長い黒髪が閉じ込めるようにコハルの体を覆う。
「す、すみません…どうしてだか、うまく、立てなくて…」
そうコハルが呟いて視線を上げると、アカツキの顔が視界いっぱいに広がる。
(…綺麗なお顔…)
アカツキは若き天才魔術師としてだけでなく、その整った容姿から一部熱狂的な視線を女性から集めていたことをコハルは思い出した。
透き通るような白い肌、スッと通った鼻筋に漆黒の瞳——その瞳に今はコハルだけが映っている。
恥ずかしさからコハルは思わずアカツキから目線をぱっと逸らした。
「………」
アカツキは目元を細め、コハルの頬に手を添えた。コハルがはっと小さく息を吸い込む。アカツキは頬に添えた手に少し力を加え、コハルの顔をもう一度アカツキの方へ向けると、じっとコハルを見つめた。
コハルの柔い頬をそっと撫でるアカツキの指が冷たく感じる。コハルは自分の顔の熱が上がっていることを否応なく自覚した。頬を赤らめたコハルを見つめながらアカツキは独り言のように呟いた。
「…ずっと私が運んでもいいんだが…」
「っ?!!」
コハルは目を見開き、アカツキを思いっきり押し退けた。
「だっ、大丈夫です…!わ、私は一人で歩けます…!」
真っ赤になったコハルはそう言って立ち上がろうとするも、足が震えて上手く立ち上がれない。しゃがみ込んでしまいそうになるフラフラしたコハルをアカツキが支える。
「あれ、どうして…」
よく見たら手も小刻みに震えていた。
「す、すみません…震えが…とまらなくて…」
どうやら空を飛べたことに気持ちは高揚していても、初めての空の移動にコハルの体はこれ以上ないほど緊張していたらしい。
「…少し場所を変えよう」
そう言うとアカツキは震えるコハルを再度横抱きにした。
「えっ…?!」
アカツキは、今度は石畳の上を歩いて側道に植えられた木の陰へ移動し、木を背にしてそのまま腰を下ろした。コハルを横抱きにしたまま膝の上に乗せ、片方の手はコハルの背中をさすり、もう片方の手で震えるコハルの手を包み込む。
「…落ち着くまで、こうしていよう」
そう言って微笑むアカツキにコハルは顔を赤くさせながら視線をそっと下げた。
・・・
「お待たせしてすみません、もう大丈夫です」
コハルの震えがなんとか収まり、コハルとアカツキは石畳を歩いて大広場へ向かう。
…本当はまたすぐにでも横抱きにして空を歩き出そうとしていたアカツキだったが、コハルは丁重にお断りした。空を飛ぶのは魅力的だが、また震えが止まらず迷惑をかけるのが嫌だったからだ。
「あの、どちらへ行かれるおつもりですか?」
「…大広場のサンドイッチ…が美味しんだったね」
「はい、今とても人気なんですよ。…ご案内しましょうか?」
頷いたアカツキを見て、コハルはどうして自分が一緒に連れ出されたのか理解した。アカツキは朝ご飯を食べてくる、と言って外に出たのだ。たまたま近くにいたコハルを案内役にしようと連れ出したのだろう。
大広場は円形の造りになっている。中央に人が寛げるよう芝生が作られ、その周りに石畳の道が、そして外周には天幕を張った露店が並んでいる。
「サンドイッチのお店はあちらです」
白と黄色の縦縞模様の天幕を張っているのが、目的のサンドイッチ店だ。朝食として購入する人も多いため、他の露店より早く商品を並び終えていた。
サンドイッチ店に着くと、天幕と同じ白と黄色の縦縞模様の布を頭に巻いた男性が明るい声でアカツキとコハルに呼びかけてきた。
「いらっしゃいませ!今なら人気の薄切り肉がたっくさん挟まったサンドイッチにデザートサンドイッチまで取り揃えておりますよ!どれにしましょう?」
ニコニコと手際良く商品を紹介していく店主の話を聞きながら、アカツキは次々とサンドイッチを手に取っていく。
「…これを全部。あと、デザートサンドイッチを」
勧められたサンドイッチをすべて選ぶアカツキの姿を見て、お金持ちの買い物の仕方は豪快だなぁとコハルは感心した。
「お兄さん、たくさんありがとうございます!銀貨6枚と銅貨6枚になります!」
店主の一言にアカツキがピタリと止まる。
「………」
コハルがどうしたのかと思いアカツキを見ると、アカツキは消え入るような声で呟いた。
「…手持ちが、ない」




