19.騒然
「…コハ…ル……?」
カナメはアカツキの隙を見逃さなかった。アカツキの注意が逸れた瞬間、渾身の魔力を放つ。ゴオォォッ!という凄まじい音を立て、アカツキに向かって一直線に強烈な爆風が襲いかかった。
「っ!」
一拍遅れてアカツキは魔力を繰り出し防御するが、カナメが放った魔力の風圧が強く、アカツキはズルズル壁まで押し込まれてしまう。
壁に押し込められながらもアカツキはあの使用人の後ろ姿が頭から離れない。…まさかコハルか?いや、ありえない。両手両足を縛られる理由がない。けれど陽の光を溶かしたかのようなあの淡い髪色は——…
今すぐ確認しなければ。
そう思うもののカナメの魔力が一向に途切れる気配がない。
「…っ鬱陶しい…!」
…いつもならこの程度の魔力など軽く受け流すことができたものを…アカツキは未だ自分の本来の力が戻っていないことを感じた。
アカツキとカナメの激しい攻防により猛烈な余波が生まれ、その余波による強烈な風は壁を強く圧迫し、とうとう天井を突き破ってしまう。
——渾身の魔力を放って、天井を突き破っただけとは——…
アカツキを壁まで追い詰めたかのように見えたが、それだけだった。肝心のアカツキは防御に徹してはいるが擦り傷ひとつない。
カナメは顔を歪めた。魔力を放出している両腕が段々と重く感じ、意識が朦朧としてきた。
その一方で、カナメの魔力の威力が弱まりようやく周囲に目を向けるだけの余裕が出てきたアカツキは、ちらりと使用人がいた方向に目をやった。すると強風に煽られながら、一人の護衛が床に転がる使用人の肩を乱暴に掴む姿が見えた。
背中を向けていた使用人の身体が力無く反転されると、使用人の顔が——あの愛おしい顔が見えた。
目隠しをされ、口に猿轡を噛まされた状態で。
「ッコハル!!!」
頭に血が上ったアカツキはカナメの魔力を乱暴に打ち消すと、コハルの元へと走り出した。一方魔力を打ち消されたカナメはそのままその場に崩れ落ちてしまう。
「…コハルに触るな…!」
アカツキはコハルの肩を掴む護衛に魔力を当てて吹き飛ばすと、次に柔らかい風を作り出し、倒れ落ちるコハルの体をその風で優しく包み込んでゆっくり地面に横たえさせる。
アカツキはコハルの元に辿り着くと、コハルを優しく抱き起こした。コハルは両手両足を拘束され、その目元は布で覆われ、口にも布が噛まされていた。服から覗く手足にはいくつもの赤い痣や細かい擦り傷があり、アカツキに抱き起こされてもぐったりしたままだった。
「…コハル……!」
アカツキは悲痛に顔を歪め、急いでコハルの口に噛ませてある布を解き、目隠しを取った。
「…っ…」
コハルの瞼をそっと撫でれば、コハルは伏せていた顔を少し上げ、アカツキに虚な視線を向けた。
「………」
「…コハル……」
コハルの頬には乾いた涙の跡があり、布をきつく噛まされていたせいで唇の端は赤く腫れ、顔には所々擦り傷もある。アカツキは堪えるように眉を寄せ、苦しげに顔を歪めた。
「…コハル、どうして……」
アカツキは急いで手足の拘束を解いてやる。拘束を解いても力無くぐったりしているコハルを抱き抱え、アカツキはコハルの顔にかかった乱れた髪をそっと指先で整える。
「…コハル、コハル……」
それから顔についた埃や汚れを傷に当たらないよう優しくそっと指で拭う。
「…コハル、コハル、コハル……」
逃げることもできず、状況もわからず、助けを呼ぶこともできないまま暴風に巻き込まれさぞ怖かったに違いない。コハルの未だ虚なままの瞳を見てアカツキは苦悶の表情を浮かべる。
「…コハル……っ!」
アカツキは堪えきれずコハルを強く抱きしめた。…どうしてコハルがこんな目に…!
「…っ!」
痛みに反応したコハルに、アカツキは慌てて抱きしめていた腕の力を緩めた。
「…コハル、悪かった、痛かったな……」
コハルの頬を優しく撫でていると、ほんの少し、コハルの瞳が揺らいだ。
「…コハル、コハル…私が、わかるか……?」
徐々にコハルの瞳が焦点を結び始め、濡羽色をした長い髪に精霊を思わせるような美しい顔が、心配そうに眉を寄せている姿が瞳に映し出された。
「…ア、アカツキ…さま……?」
「…コハル……!」
アカツキは今にも泣き出しそうな表情をしながら顔をほころばせた。
「どうしっ……ケホッゴホッコホッ」
コハルは喉がカラカラな状態で声を出したので思わず咳き込んでしまった。アカツキはコハルの背中をさすりながら、もう片方の手を咳き込むコハルの顔の前に手を差し出す。するとアカツキの手に少し水が溜まっていた。
「…コハル、これを」
コハルは咳き込みながら戸惑いの表情を浮かべアカツキを見上げた。
「…これは魔力で集めた水だ。だから飲んでも問題ないよ」
コハルはアカツキの顔と手に何度か視線を往復させると、最終的にはアカツキの手からおずおずと水を飲んで喉を潤した。
「…ありがとう、ございました」
「…また飲みたくなったら言ってくれ。魔力で集めるからいくらでもある」
コハルが頷くと、アカツキは優しく微笑んだ。
その時、ズッズッと這うような足音が聞こえた。アカツキとコハルが音のする方に顔を向けると、今にも倒れそうな様子でカナメが壁をつたって歩いてきた。
カナメの姿を見るやいなや、アカツキは地を這うような低い声で問いかける。
「…カナメ、どういうことだ。どうしてコハルがこんな目に遭っている」
カナメはコハルを抱き抱えるアカツキの姿を見て顔に嫌悪を滲ませた。
「…彼女は、お前を洗脳している可能性が高い。だから……っ!!?」
カナメの言葉を最後まで聞かず、アカツキは魔力を込めて右腕を振り上げ壁に叩きつけるように振り被った。するとカナメは壁にドンッと大きな音を立てて激突し床に倒れ込んだ。
「…お前はさっきから何をごちゃごちゃ言っている?コハルが洗脳だと?戯言を抜かすな」
カナメは手を床につき体を起き上がらせようとするが、手が震えてまともに体を起き上がらせることもできない。
「…いくらお前でもコハルを傷つけるのは許さない」
カナメはきつく唇を噛んだ。
——ここまでコハルの洗脳が強力だとは…!でも諦めるわけにはいかない…諦めたらキーストン領が終わってしまう——…!
カナメは必死に叫んだ。
「だ、誰かアカツキを止めろ…っ攻撃してもいい、とにかく、あいつを止めるんだ…っ!」
しかし、カナメの護衛は先ほどの強風に巻き込まれ意識を失ったのか姿が見えない。加えて遠巻きに集まっていた警備の者達は二人の凄まじい魔力を目の当たりにして呆然と動けないでいた。
そんな部下達の様子を見て、カナメは歯を食いしばり、顔を歪めてアカツキに向かって叫んだ。
「アカツキ…頼む、正気に戻ってくれ…そんな女に惑わされるなよ…!」
睨みつけてくるカナメから守るかのように、アカツキはコハルをさらに強く抱き寄せた。
「…惑わされてなどいない」
「アカツキ…!お前は、コハルに洗脳されているんだ…!」
アカツキの腕の中、ぐったりともたれかかっていたコハルはカナメの言葉に反応し、弱々しくも首を横に振って否定する。
「ち、違います…私は、本当に、何もしていませ……ッ!」
急に大きな声を上げたためコハルはまたも咳き込んでしまった。
「…コハル、無理して喋る必要はない」
アカツキは心配そうな表情を浮かべ背中を優しくさする。そして水の溜まった手を差し出し、そのままコハルの口に運んだ。アカツキの甲斐甲斐しい様子を見てカナメは憎々しげにコハルを睨みつけ力いっぱい叫んだ。
「っ白々しい!今更嘘をつくなっ!」
そう吐き捨てるとカナメは残る力で思いっきり拳を床に叩きつけた。
「眠りにつく以前のアカツキは女性に対しても無愛想で!話しかけられようものなら嫌悪感を隠そうともしない冷たい奴だったんだ!それがどうだ、目が覚めたら人が変わったようにコハルコハルと言い出す始末!洗脳でもしなければ眠っている間に話を聞いていただけでそうなるはずないだろうっ!」
水を飲んでアカツキに背中をさすられていたコハルは呆気に取られた表情を浮かべ、弱々しく呟いた。
「…え……?…アカツキ様は、博愛主義の、女たらし、なのでは……」
アカツキとカナメだけでなく、その場にいた全員の、息を呑む音が聞こえた。




