17.受難
風が優しく枝を揺らし、木々のざわめきに満ちたキーストン家の庭園の片隅で、ザッザッザッと軽快に箒で掃く音が響く。
いつもの白いエプロンから厚手のエプロンを身につけ、手には同じく厚手の手袋をはめて庭仕事に勤しむコハルの姿があった。
「よし、こんなものかな」
満足気に呟いたコハルの視線の先には枯れ葉やまだ青々としている落ち葉、そして引き抜いた雑草などがこんもりと小さな山を作っていた。
カナメが三度目の昏睡状態に陥ってから、コハルはアカツキが眠る別邸の清掃・管理担当を外されていた。
「検査が長引いてるけど、アカツキ様、どこか悪いところでも見つかったのかしら…」
アカツキが三度目の眠りついてから、カナメからアカツキの身体検査をするとの通達があった。そして検査の間、一時的にコハルは庭の管理の手伝いをすることになったのだ。
キーストン家の庭は広い。普段は手が回らない裏庭の片隅を整える作業を言い渡された。
手伝いの話は急に決まったので、コハルの体型に合う作業ズボンはなくワンピースのままでの庭仕事だ。しかし気ままな一人作業ということもあり、コハルは特に気にすることなく雑草を抜いたり落ち葉を集めたりと少しずつ庭を整えていた。
「集めた枯葉や雑草はどうしよう…燃やしてもいいのかしら?でも勝手に火を使うのはまずいだろうし…」
コハルがぶつぶつ悩んでいると、背後から急に声を掛けられた。
「カナメ様がお呼びよ」
「!」
コハルが驚いて振り返ると、ゆるやかに波打つ淡い金色の髪を左右に編み込み、深緑色のワンピースに白いエプロンを身につけた使用人が立っていた。
「リーサさん…!ありがとうございます、すぐに行きます」
「………」
コハルが返事をしてもリーサは何も言わず、そのまま険しい目つきでジッとコハルを睨みつけてくる。
「…あの、どうされました…?」
コハルが恐る恐る話しかけると、リーサが口を開いた。
「…あなた、アカツキ様と結婚するんですって?」
またか…とコハルは内心大きく息を吐いた。しかしそんな胸の内などおくびにも出さず口元に笑みを浮かべると、もうすっかり言い慣れた否定の言葉を口にする。
「いいえ、結婚しませんよ。そもそもお付き合いのお話もありませんし。根も葉もない噂です」
「…でも、アカツキ様とイチャイチャしてたんでしょ?」
「まさか!アカツキ様は親切にも私のようないち使用人にまで気遣ってくださっただけです。その気遣いを大袈裟に広められてしまったみたいで」
「ふぅん…」
笑顔で答えるコハルに対し、リーサは不満げな面持ちでコハルの頭の上から足のつま先までジロジロと視線を往復させる。
「…そうねぇ、アカツキ様と結婚するっていうからどんな子だったかと思って見に来たけど」
鼻で笑うように——というより、実際に鼻で笑って続けた。
「全然大したことないじゃない」
リーサはそのまま嘲笑うような視線をコハルに向ける。
「美人でもないし、あなた、魔力も低いんですって?冷静に考えたら、あなたみたいな人がアカツキ様と結婚できるわけないわよね」
「………」
コハルは笑顔で無言を貫く。その無言を言い返せないからだと判断したリーサは勝ち誇った顔で踵を返す。
「アカツキ様に続いてカナメ様にまで色目を使う、なんて節操のないことはしないことね」
去り際に嫌味を残してリーサは去っていった。コハルは彼女の姿が見えなくなると、隠すことなく大きなため息を吐いた。
「リーサさんもアカツキ様のことが好きだったのね…」
レイの忠告通り、アカツキとコハルが結婚するという噂が流れてから、アカツキに夢中になっていた人達から距離を取ろうにも向こうから近づいてネチネチと嫌味を言ってくる。
「噂、早く収まらないかなぁ…」
コハルはもう一度大きなため息を吐いて分厚い手袋とエプロンを外すと本邸へと向かった。
・・・
キーストン家を象徴する蔦の意匠で縁取られた重厚な扉を前に、コハルは身なりをさっと整え、深呼吸をひとつした。そして扉を控えめに叩く。
扉を開けたのはカナメでもなく、いつも執務室に控える補佐役でもなかった。
(カナメ様の護衛…?)
護衛から無言で中に入ることを促され、コハルは執務室の中に入る。カナメは中央にある執務机に座って書類に目を通しており、部屋には他に三人もの護衛が控えていた。
(護衛が四人も…もしかして大切な話し合いの最中だった…?)
コハルがおずおずとカナメの前に来ると、カナメは手にしていた書類から顔を上げた。
「遅かったな」
コハルは首を傾げた。
「あの、呼ばれてすぐに参りましたが…」
「朝一番には来るよう伝言していたはずだが」
今はお昼前だ。コハルの頭に、ゆるやかに波打つ淡い金髪の使用人の顔が浮かんだ。…きっとわざと時間を空けて伝えられたのだろう。
「…申し訳ありません。庭の奥の方で作業をしていたので私を見つけるのに時間がかかったのか、先程伝言を伺いました」
コハルの返事に対し、まぁいい、と呟くと、カナメは手にしていた書類を机に置いて、両手を顔の前で組んだ。
「…少し現状を把確認したいことがあってね」
「はい…なんでしょうか」
カナメの紅い瞳がコハルを捉える。
「ここで働き始めてからどれぐらい経った?」
「1年と…少しです」
「別邸の維持・管理担当になった経緯は?」
「…私が働き始めた頃に前任者がお辞めになるとのことで、次の担当者を決める話し合いがありました。その話し合いで私が担当することに決まりました」
「黒魔術や呪いといった噂でアカツキの別邸担当は忌避されていたことは把握している。君は気にならなかったのか?」
「…気にならなかったといえば嘘になりますが、アカツキ様の別邸に近づいただけで何らかの呪いにかかったという話はありませんでしたので、気味の悪さはあっても実害はないと判断しました」
コハルの返答にカナメはふむ、と考える素振りを見せる。一方コハルはカナメの質問の意図を捉えきれず、内心困惑していた。一体何に対して現状把握をされているのかわかならい。コハルに確認しなくてもちょっと調べれば済むことばかりだ。
執務室の中にはカナメとコハルの他に体格の良い護衛が四人もいる。いくら執務室が広いといえど、コハルは居心地の悪さを感じ始めた。
「…ここで働く前はどこに?」
「実家で暮らしていました」
「ここから実家は近いのか?」
「いえ、キーストン領の外れにあるので、馬車に乗っても移動で二日はかかります」
「それは遠いな。キーストン家で働くことが決まったときはさぞかし反対されただろう」
「…そうですね、少し渋られましたが、反対という反対はされませんでした。年の離れた弟も親元におりますので、両親も寂しさを感じることが少なかったのかと」
「弟がいたとしても優秀な君を手放すのは惜しかったはずだ」
「いえ、私なんて全然大したことありません。むしろ弟の方が優秀です。風属性だけでなく水属性の魔力も扱えますし、小さいながら魔力量も豊富です。皆からも将来有望だと期待されているほどです」
カナメはほぅ、と相槌をひとつ打つと、紅い目を一際眇める。
「——それでこんな無謀な企てを?」
「…むぼう……?」
コハルは怪訝な顔をした。カナメが何の話をしているのかわからなかった。
「君が住むのはキーストン領の端の方。魔物の住処と隣り合わせの土地だ。魔物に対抗するため魔力は必須だろう。そんな土地で魔力が低いとどんな立場になるか想像に難くない」
わからないけれど、何か思わぬ方向へ話が向かっているような、嫌な予感がする。
「君は子供の頃は随分いじめられたそうだね。子供は周囲から外れた存在を無邪気に弾く」
「…い、いえ、私は——…」
カナメはコハルに口を挟む隙を与えず話し続ける。
「成長するにつれいじめが落ち着いたかと思ったら、今度は生まれた弟の魔力が高いときた。嫌でも自分自身の魔力の低さを自覚してしまう」
コハルは緊張で喉が渇いてきた。空気も薄い。
「疎外感を強めたんじゃないのか?——魔力を持つ者を、憎くなるほど」
背中に嫌な汗が伝う。気づけば執務室に居た護衛達がすぐ後ろで、コハルを囲むように立っていた。——まるで、コハルが逃げ出すのを防ぐかのように。
しかし、カナメは顔色の悪いコハルの様子などお構いなしに話を続ける。
「単刀直入に聞こう。君がアカツキを洗脳した理由は?」
「…え……?」
コハルはカナメが何を言っているのか意味がわからなかった。
「私が…?洗脳……?」
「しらばくれなくていい。君が何らかの方法でアカツキに黒魔術をかけたんだろう?魔力の多いアカツキだ。随分時間がかかったが、最終的にはまんまと洗脳に成功したようだな」
——黒魔術でアカツキ様に呪いをかけたと疑われている?まさか、私が——…?
「あ、ありえません…!私は風属性の魔力しか扱えませんし、その魔力量はほんの少し風を起こせる程度です。ましてや御伽話のような黒魔術なんて使えるはずがありません」
「私もそう思う。…君が何かを隠していなければ」
「そんな…!私は何も隠しておりません!」
カナメは椅子から立ち上がるとコハルに近づいてきた。カナメに合わせてコハルの周りにいた護衛達もさらに距離を詰める。コハルは圧迫感に押し潰されそうな錯覚を覚えた。
「…目覚めてからアカツキの様子がおかしい。初対面のはずの君にどうしてアカツキがあんなに親しげなんだ?君は、君の独り言をアカツキが聞いていたからだと言った。——独り言を聞いていただけで親しいだなんて無理があると思わないか?」
「それはっ…!それは私もそう思います。ですが、私は本当に何もしておりません!」
コハルは必死に言い募るも、カナメは聞く耳を持ってくれない。
「君が白い鳥と戯れているところを見かけた。あれは色は白いが魔鳥らしいな。君も知っているだろう?魔鳥は魔族…魔人に懐くという——」
カナメはコハルの前に立つと、刺すような目で睨みつけた。
「魔鳥を介し魔人から黒魔術の秘技でも授けられたか?それとも——君は『コハル』という人間と入れ替わった魔人か——…」
「そんな…!私はシロを介して黒魔術を授かっていませんし、誰とも入れ替わっておりません!」
コハルは必死に言葉を重ねる。
「シロもキーストン家で働き始めてから出会いましたし、そもそもアカツキ様が眠りについたのは私が働き始める前のことです…!」
「もし君が『コハル』ではないならキーストン家で働き始めた時期は問題ではない。…むしろアカツキに黒魔術を施した後にキーストン家へ潜入した方が疑われる可能性は随分低くなるだろう」
コハルは何も言葉を継げなかった。カナメの中では、コハルがアカツキに黒魔術をかけた元凶だという確固たる物語が出来上がってしまっている。
「そろそろ教えてくれないか?アカツキに黒魔術をかけた理由とその方法を」
「ですから、私は…!」
コハルが尚も反論しようとしたその時、ドォーーンッ!という凄まじい音がした。
「っ何事だ!」
カナメは扉の方へ向かって大声で叫んだ。
「襲撃かっ?!」
カナメの言葉に護衛達に緊張が走る。
「アカツキ様が眠るお部屋から魔力がっ!」
慌ただしく扉を開けて一人の警備の者が叫びながら執務室へ入ってきた。カナメはコハルを一瞥して睨み、それから次々と指示を飛ばす。
「お前達二人は一緒に来るんだ!そして残りの二人は彼女を地下牢へ連れて行け!黒魔術に注意しろ、決して目を離すな!」
カナメは護衛を引き連れて執務室から駆け出していってしまった。コハルが事態を飲み込めず呆然としていると、後ろから急に羽交い締めにされた。
「っ!」
「大人しくしていろ!」
後ろから取り押さえられたコハルは今度は強制的に前に倒され無理矢理膝をつかされる。
「んっ…!」
コハルの腕と膝に激しい痛みが走る。痛みに顔を歪めたコハルはそのまま両腕を後ろ手につかまれた。
「俺は腕を縛る!お前は口を塞げ!」
「わ、わたしはなにも…っ」
コハルが身を捩って抵抗しようにも屈強な護衛の前では為す術もなく両手を縛られ、乱暴に顔を掴まれると布で口を塞がれた。
「あとどうやったら黒魔術は防げるんだ?!」
「目じゃないか?!目を隠せ!後は足だ!走り出せないように縛っておけ!」
視界を塞がれたと思ったら強く押し倒された。床に転がされ、足が縄で縛られる。布で覆われた口からは呻き声しか出すことができない。
全身の震えが止まらない。目隠しされた布が涙で顔に張り付いていく。コハルは暗闇の奥底で心が軋む音が聞こえた気がした。




