16.大切な友達なんだから
「…あの、私、婚約してない……」
コハルが絞り出せた言葉はそれだけだった。動揺しているコハルに対し、レイは作り笑顔を止めてきっぱりと言い切った。
「わかってるわ。馬鹿馬鹿しい噂だって」
そしてため息をひとつ吐いた。
「ご飯、まだなんでしょう?まかない貰ってくるから部屋で食べる準備をしていてくれる?」
「…いいけど…部屋で食べるの?私、今食堂行けるよ?」
キョトンとした顔のコハルにレイは呆れた。
「あのねぇ、コハル。あなた、今食堂に行ったら好奇の目を向けられるだけよ?下手したら質問攻めに遭ってゆっくりご飯なんて食べてられないわ。私がご飯を部屋まで運ぶから、コハルは大人しく部屋に篭ってなさい」
くだらない噂が飛んでいるから先に忠告しにきたの、そう言い残してレイは夕食のまかないを取りに戻った。
・・・
「どうして結婚なんて噂が出たんだろう…」
コハルとレイはいつも通りベッドに並んで、夕食のまかないを食べていた。魔鳥のシロは木の実をお腹いっぱい食べて、今は窓枠で丸くなって眠っている。
「私とアカツキ様は前回目覚めた時と同じように朝ご飯を食べただけよ?前は攫われて今回は婚約だなんて…」
コハルはスープに入っている大きな野菜をスプーンで解しながら力無く呟いた。今日の夕食のまかないはパンと肉団子の野菜巻きが入ったスープだ。
すっかり野菜が解れてしまってもまだ上の空でスプーンを動かし続けるコハル見て、レイは心配そうに見つめた。
「…あなたたち、今朝は庭を通って正面門から外へ出て大広場へ向かったでしょう?」
「…!」
コハルは野菜を解していたスプーンの手を止め、顔を上げてレイを見た。
「…なんで知ってるの?」
レイはふいっと顔を背けると、視線を下げて話始めた。
「…お目覚めになったアカツキ様は別邸を出ると、使用人の手を取って正面門へと向かったそうよ。庭に咲いている花を指差し使用人の耳元へ何か囁くと使用人は照れた顔を見せ、その顔を見たアカツキ様はとても優しく微笑まれたとか」
コハルは唖然としてレイを見つめた続けた。しかし、レイはコハルの方を見ることなく話を続ける。
「その後もアカツキ様は繋いだ使用人の手を自身の口元へ引き寄せその手の甲に唇を寄せたり、使用人と見つめ合ったりとそれはそれは仲睦まじいご様子だったそうよ」
そう言うとしばらくレイは下を向いたまま口を閉ざした。コハルはどうしたのかと心配してレイの顔を覗き込もうとすると、レイがスプーンを固く握り、全身が小刻みに震えているのに気づいた。
「レ、レイ、大丈——…」
「大丈夫なわけないでしょう!!!」
レイは眉間にしわを寄せ、鋭い瞳をコハルに向けた。部屋の温度が一気に下がった。窓枠で眠っていたシロは急な温度変化に驚いて飛び起き、コハルとレイの方に頭を向けた。
「私がこの話を聞いた時どんな気持ちだったと思う!?」
レイはスプーンを今にも折ってしまいそうなほど力を入れて握り締めた。
「あぁぁんの女ったらしを!!すぐにでも殴りに行きたい衝撃を抑えるのに大変だったんだから!!!よくも私のコハルに厚かましくもちょっかいかけてくれたわね!!!」
「っっっくしゅんっ!」
さらに部屋の温度が下がり、反射的にコハルはくしゃみをしてしまった。コハルのくしゃみでレイは我に返ると、スプーンから手を離しスープ皿を脇机に置くと、衣装棚から上着を取ってコハルにかけてやる。
「…ありがとう」
「………」
レイはコハルの隣に座り直すと少し落ち着いたのかスープを一口飲んだ。それから静かにコハルに尋ねた。
「…実際はどうだったのよ?」
コハルは気まずそうに小さな声で答えた。
「…だいたい、そんな感じだったと、思う…」
また怒り出すかと思いきや、レイはスプーンを持つ手をピクリと跳ねさせただけだった。
「…誰にも会わなかったのに…」
コハルはぽつりとこぼした。そんなコハルにレイは苦々しい顔を浮かべて答える。
「…会わなかったからといって誰にも見られてないわけではないわ。案外見られてたみたいよ。その時の二人の距離感の近さから『結婚』なんて言い出した馬鹿が居たのが今回の噂の始まりでしょうね」
レイは大きく息を吐いた。
「ねぇ、コハル。他にも女たらしから何か変なことをされていないわよね…?」
「変な……」
震える手を包み込む白く長い指、視界を埋める精霊のような美しい顔、頬に触れる鼻先、頬越しに伝わる体温——…頭の中を瞬時に様々な出来事がよぎりコハルは顔を真っ赤にして俯いた。
それを見たレイは顔から表情を消しスプーンを持つ手を離すと、その手をコハルの顎先に添え、そっとコハルの顔を自身の方へ向かせた。
「…ねぇ、コハル?私、コハルの友人として噂を適切に、誤解なく、完璧に否定したいの。だから、今朝の出来事をはじめから、ちゃんと聞かせて欲しいんだけど、いいかしら?」
そう言って妖艶な笑みを浮かべたレイに、コハルは呆気に取られて口を何度か開閉させると、アカツキが目覚めたところからすべてを話してしまった。
「——コハルと仲良しですって?ただ話を盗み聞きしていただけで勘違いも甚だしいわ」
レイは険しい表情をしてパンを引きちぎった。
「そこは私が勝手に喋ってただけだからアカツキ様には非がないんじゃ…」
「話を聞いただけで仲良し♡になるんなら世の中争いなんて起こらないのよ」
レイはちぎったパンをさらに強く引きちぎる。
「大体独り言を聞いていただけにしては距離感が近すぎるわ。『天才魔術師』という世間的な印象を崩したくなくて敢えて『寡黙で無愛想』という実際の性格とは真逆な噂を流していたのかもしれない。目覚めてから単に女性にだらしないという本性を表しただけという可能性も十分にあるわ」
それに、とレイは苦々しい表情を浮かべて呟いた。
「彼奴、意識を失うのをいいことにコハルに覆い被さるなんてほんっっと碌でもないわね」
レイがぶつぶつ呟く横で、コハルはため息をついた。
「明日からどんな顔して働けばいいんだろう…」
コハルはアカツキの眠る別邸の維持・管理担当だが、本邸に行かない訳ではない。業務報告は定期的に行わないといけないし、掃除用品の補充もしなければいけない。使用人の宿舎に住んでいるので仕事が終わった後も職場の人と顔を合わせる。ほとぼりが冷めるまで誰にも会わずに過ごすのははっきり言って無理だ。
「…本邸ではアカツキ様の話で持ちきりだったわ。噂を否定しても、実際女好きがコハルにベタベタ触っていた事実があるから噂が落ち着くまで少し時間がかかるかもしれないわね」
それから、とレイは真剣な顔をして続ける。
「アカツキ様に夢中になっていた人達がいるじゃない?あの人達には当分近づかない方がいいわ」
アカツキは若き天才魔術師という肩書きに加え、その整った容姿から一部熱狂的な視線を女性から集めていた。
「昔、別邸の担当をしていた人が、『アカツキ様のお世話を続けていたら私がアカツキ様と結婚できたかもしれないのに』って、相当悔しがっているそうよ。黒魔術の噂が流れたらすぐに気味が悪いって仕事を放り投げておいて、やっかみだけは一人前ね」
「…私、アカツキ様のお世話はしてないのに…してたのは別邸の掃除だけよ?それにアカツキ様は博愛主義なだけで結婚なんて有り得ないのになんで…」
コハルは頭を抱えた。コハルは魔力が低い。残念ながら魔力が低い人は能力も低いという俗説がある。そのため魔力が高い人は割のいい仕事が多いが、魔力が低いとその数は少なくなる。
その中でもキーストン家の使用人という仕事は、魔力量に関係なくお給料と待遇が良い。できれば長く働きたい。
「…初めから私がアカツキ様の距離感の近さを本人に指摘していればこんなことにはならなかったのよね…」
やめて下さい、距離が近くて戸惑ってしまいます、ときちんとその場で言うべきだったのだ。それをしないために自分で自分の首を絞めることになってしまった。
落ち込むコハルの姿を見てレイはきっぱり言った。
「コハルは悪くないわ。もちろんその場で指摘できればよかったかもしれないけれど、言えないから何をされてもいいって理由にはならないもの。アカツキ様はわからないけれど、指摘することで相手が逆上する場合もあるわ。…カナメ様には報告したの?」
「…言えなくて…」
「そう、でもこうなった以上必ず報告したほうがいいわ。アカツキ様の無神経な距離感の近さが原因で余計な噂話が生まれ仕事に支障をきたしていますって。カナメ様と直接話せる機会がある内に伝えないとだめよ」
使用人頭や家令に言ったって信じて取り合ってくれるかわからないし、と呟いた。
「碌でなしのせいでコハルが損をするのは納得いかないわ。どうしても言いにくいなら私も一緒にカナメ様に進言するから」
「ありがとう、レイ。…でもレイの立場が悪くならないかしら?」
「事実を言うだけよ。悪くなる立場もないし、それで聞く耳を持たない職場なんてこっちから願い下げよ」
そう言い切るとレイはぷりぷりしながらスープを飲み始めた。その様子を見てコハルは胸の奥に温かなものが広がっていく。
「…本当にありがとう、レイ」
コハルは柔らかな笑みをこぼした。その笑顔を見たレイはスープを口に運んでいた手を止め、視線を落とし、小声で呟いた。
「当たり前でしょう…同期なんだから」
そう言って、つんと横を向いた。亜麻色の髪からちらりと覗いた耳の先は、ほんのり色づいていた。




