13.重なる笑顔
アカツキの動きが止まったと思ったら、今度は肩を落とし、獣耳を伏せ、立派な尻尾を力なく垂らした——…アカツキの幻覚が見えた気がしてコハルは慌てて言葉を続ける。
「あ、いえ、違うんです!その!私たちは、アカツキ様がお目覚めになってから初めて言葉を交わした間柄です。それなのに、あの、とても、親しげに…」
アカツキは落ち込んだ顔から少し視線を上げると、…あぁ…そうか、そう言えばそうだったな、と独りごちる。そうして眉を下げ、困ったように口を開いた。
「…コハルのことはずっと前から知っていたように感じていたんだ。眠っているとき話しかけてくれていたから…それで、つい…」
——アカツキ様、今日は良いお天気だったのでカーテンを洗いましたよ。大物を綺麗にすると気持ちいいですねぇ——
——ふふふ、今日は使用人仲間のレイっていう子と一緒に外食するんです。楽しみだなぁ——
——今日は寒いですね、お布団をもう少しかけたほうがよろしいでしょうか?——
まるで子供が人形に話しかけるよう、コハルは長い間アカツキに話すともなく話しかけていた。寝ている間に意識があることを知らなかったとはいえ、この状況を招いた一因は間違いなく——…
「私だ…」
コハルはぽつりと呟いた。
アカツキは長い間コハルの独り言を聞いていた。目覚めたあと、面識がないことをうっかり忘れてしまうほど、ずっと。
(じゃあ、いま、私がするべきことは——…)
コハルは食べかけのサンドイッチを膝に置いて、アカツキの方を向いた。そして——…
「…あの、改めまして、キーストン家のお屋敷で使用人として働いている、コハルと申します」
そう自己紹介するとコハルは申し訳なさそうに微笑んだ。アカツキは呆気に取られた顔をした後、同じようにサンドイッチを膝に置いてコハルを見つめた。
「…魔術師をしているアカツキ…と申します…?」
アカツキは小首をかしげ、少し照れた様子で続けた。
「…だめだな、丁寧な言葉を使うは慣れていないんだ」
辿々しい挨拶にアカツキとコハルは顔を見合わせ、それから——小さく笑い合った。
「あの、お休み中にお騒がせしてすみません。アカツキ様を混乱させてしまって…」
「…そんなことはない。コハルの声は心地良かった。まるで陽だまりに包まれているようだったよ」
目を輝かせて語るアカツキを見て、コハルは思わず困ったように笑ってしまった。『寡黙で無愛想』というのはやはり噂だったらしい。
「…自己紹介も済んだことだし、少し場所を変えようか」
「え?」
そう言ってアカツキは食べかけのサンドイッチを口に放り込み、サッと立ち上がると、戸惑うコハルを横向きに抱き抱えた。それから、ちょっと持っててくれるかな、と言って器用にサンドイッチが入った包みを拾うとコハルに渡した。
「あの、アカツキ様?!」
「…眺めのいい場所があるんだ」
そう言ってアカツキはコハルを抱き抱えたまま地面を蹴って空へと飛び上がった。コハルは慌ててアカツキを引き留める。
「あ、あの…!歩いて行きましょう!それにまだ回復されたのかもわからないのに魔術を使っては体に差し支えがあるかもしれません!」
「…大丈夫だ。ちゃんとご飯を食べた」
「そんな…!」
コハルの制止も意に介さず、アカツキは空中に降り立つと、まるで見えない道を辿るよう歩き始めた。
・・・
そうして着いたのはキーストン家の裏側にある、山の中腹あたりの街を一望できる場所だった。
「…コハル、少し震えている」
「す、すみません…」
コハルの空の移動はこれで三度目になる。毎回急に抱えられて空を移動するので慣れようにも慣れるはずがない。——それに、男性と密着している状態も緊張する原因のひとつだ。
「…ここでゆっくりしよう」
アカツキはコハルを横抱きにしたまま地面に座った。コハルが持つサンドイッチの包みを横に置き、コハルの背中を腕の内側で支えて胸に抱え込む。それからコハルの両手をアカツキの両手で優しく包み込んだ。
「あ、あの!これぐらいの震えでしたらすぐにおさまりますので!アカツキ様の手を煩わせる必要はありません…!」
コハルがアカツキの腕の中から抜け出そうとすると、アカツキはぐっと手に力を入れる。
「!」
コハルはアカツキに両手を捕らえられたまま、アカツキを見上げた。身動きが取れないコハルの顔にアカツキの長い髪が一筋、頬にかかる。
「…だめだよ、じっとして」
精霊を思わせる繊細な美しい顔が視界を埋め尽くす。アカツキの胸に抱えられたまま、コハルは心臓が落ち着きを失ったかのように一気に速くなったことを感じた。
火照った顔をアカツキに見られないよう、コハルはそっと下を向く。しかし、そんなコハルの気持ちに構うことなく、アカツキはコハルの頭の上にこてっとその頭を乗せた。
「っ!」
それからアカツキは額や頬をコハルの頭にぐりぐり擦り寄せる。
(ア、アカツキ様はいったい何を…)
コハルはどうしていいのかわからず下を向いたままじっとしていると、しばらくしてアカツキは満足したのか動きを止めた。
「…コハルの傍は、落ち着く…」
そう呟くとアカツキは息をついた。一方コハルは、手の震えが空の移動によるものなのか、アカツキによるものなのか、最早わからなくなっていた。
・・・
どれくらい時間が経っただろう。
お互い何も言葉を発することなく、静かな時間だけが流れている。時折りアカツキがコハルの頭に頬を擦り寄せながら、小さく息を吐くのが聞こえるだけだ。
沈黙を破ったのはアカツキだった。
「…コハルの傍は居心地がいい…。あの魔鳥の…シロだったかな…シロも時折りコハルに会いに来るんだろう?」
「え…?あ、はい…」
シロとは、以前コハルが助けてあげた魔鳥のことだ。キーストン家の庭で羽を怪我をしている白い鳥がいたので拾って手当てをしてあげたのだ。
(…そう言えば、眠っているアカツキ様にシロの話をしたような…)
名前は白い鳥だったから『シロ』。シロがただの鳥ではなく魔力を持った魔鳥だったとわかったときのことはよく覚えている。怪我が治り野生に返そうとした日のことだ。
シロは籠から出て2、3歩跳ねたと思ったら大きく翼を広げて空へ飛び立った。力強く羽ばたくシロの姿に安堵していたら、くるりとコハルの方へ向きを変え、一際大きく羽ばたいた。すると一陣の突風がコハルの真横を吹き抜けた。そこで初めてシロが魔力を持つ鳥だったことがわかり、コハルはとても驚いたものだ。
「…そうですね、怪我が治った今もシロは時々遊びにきてくれます」
怪我が治ったあと、シロは時折りコハルの部屋へ遊びに来るようになった。白い花やきらきら光る綺麗な石、木の実など、お土産を必ず持ってきてくれる。コハルがいない時でも窓際にお土産を置いていくのでシロが来たことはすぐにわかる。魔鳥の性分なのかシロの性格なのかわからないが、義理堅い姿がまた愛らしい。
「…シロの気持ちがわかるよ。コハルはあたたかいから…」
急に体に重みを感じ、コハルが視線を上げると、吐息がかかるほど間近でアカツキがコハルを見つめていた。
「…っ」
コハルは息を呑む。アカツキは目を閉じるとゆっくりコハルの顔に近づき、鼻先がコハルの頬に触れた。触れられたところがぶわっと熱を帯びたかのように熱くなる。
アカツキの緩慢な動きは止まることがなく、アカツキの頬がコハルの頬に重なった。頬越しにアカツキの体温が伝わり、アカツキの腕に抱えられているはずなのに、アカツキの重みがずしりと増した。心臓の鼓動が痛いくらいに胸を打ちつけ、コハルはこらえるように眉を寄せた。
「…わたしの…ひかり…」
コハルの耳元で掠れた声が響く。押しつぶされるような体の重みを感じ、コハルはアカツキから逃れようと上半身を捻ると、アカツキの体がコハルの脇に滑り落ちた。
「え…?」
コハルが驚いてアカツキを見ると、胸をゆっくり上下させ、規則正しい呼吸音を響かせるアカツキの姿があった。




