11.前回はうっかりしていたから
小鳥の囀りが響き渡る爽やかな朝。淡い茶色の髪を後ろに丸くひとつにまとめ、深緑色のワンピースに白いエプロンを身につけたコハルは、いつものように部屋の窓を開けた。
「おはようございます、アカツキ様。今日も良いお天気ですよ」
コハルは眠っているアカツキへ朝の挨拶をし、しばらくアカツキの反応を待つ。アカツキが目覚める気配がないことから、コハルは朝の掃除に取りかかることにした。
カーテンを整え、タッセルで束ねる。それからベッドの近くに置かれた脇机へと向かう。アカツキがいつ目覚めても喉を潤せるよう、水差しとグラスを置くようになった。準備していた水差しとグラスを下げようとしたとき、ギシっとベッドが軋む音がした。
「…おはよう、コハル。今日も良い天気だね」
「お、おはようございます、アカツキ様…!お目覚めですか?」
「…あぁ、そろそろ起きようかなと思って」
静かに体を起こしてベッドから出ようとするアカツキ。それを見てコハルは手に持っていた水差しとグラスを慌てて脇机に置き、アカツキが起き上がろうとするのを引き止めた。
「あの、前回も申しましたが、せめてお医者様が来られるまでベッドで休んでいていただけませんか?すぐにお呼びしてきますので」
「…大丈夫だよ、疲れは取れたんだから…」
そう言うとアカツキは両手でそっとコハルの手を握った。アカツキの手の温もりが、コハルの手に広がる。
「…そんなことより、寝ている間、どうして声をかけてくれなかったんだ…?声をかけてくれたと思ったら事務的な挨拶ばかりだったし…」
「え…?!あのっ、手を…!」
コハルは慌ててアカツキの手に包まれた自分の手を引き抜こうとしたが、かえって強く握りしめられてしまう。そうしてアカツキは握りしめたコハルの手を、自身の頬へとそっと押し当てた。
アカツキはコハルの手の温度をたしかめるよう、そっと目を閉じ、息をつく。アカツキの頬の温もりがコハルの手にじんわり伝わってきた。
「…コハルの声が聞こえなくて、寂しかった…」
コハルは思わず顔を赤らめた。
(こんな台詞をただの使用人に対して平然と言ってしまうなんて…!)
困り果ててしまいそうになるコハルは自分を鼓舞してアカツキに話しかける。
「あのっ!まずはっ!アカツキ様がお目覚めになられたことをカナメ様にお知らせして参りますので、手を、手をお離しくださいますか…!」
アカツキはコハルの言葉に構うことなく、コハルの手に甘えるよう自身の頬を何度も擦り寄せる。
「…知らせなくていい。それよりお風呂の準備を頼めるかな?お風呂に入った後は、コハルと一緒にご飯を食べたい」
お腹が空いたんだ、と言って花がほころぶように微笑んだ。人の目を引く美貌を持つアカツキである。アカツキの周囲にふわっと花が咲いたかのようで、精霊というのはこういった姿をしているのかもしれない、とコハルはどこか他人事のような感想をふと抱いてしまった。
「でっでは、お風呂の準備をして参りますのでっ、手をっ!お、お離しくださいっ!」
アカツキは名残惜しそうにそっとコハルの手を離した。コハルはお風呂の準備をしてくると言い残すと、走って外に出て、すぐそこで出会った人にアカツキ様が目覚めたのでカナメ様に伝えて欲しい、と伝言を託した。
・・・
「現状を把握させてもらえるんだろうな?」
風呂から出たアカツキに眉間に皺を寄せたカナメが詰め寄った。
「…起きただけだが…」
「そうじゃない!寝ているあいだ意識があったと聞いたが?」
「…意識があるときだけ、意識があっただけだ」
「ずっと起きていたのか?」
「…ずっとではない。意識があるときだけ、意識があったと言ったろう?」
寝ていたんだぞ、どうしてわからない、と言った顔でアカツキはカナメを見る。
「お前の!そのふわふわっとした説明でわかるやつがいるか!ちゃんと説明しろちゃんと!」
アカツキは心底面倒くさそうな顔をしながら口を開いた。
「…基本的に寝ていたが、意識があるときはあった。そうだな…コハルが話している時は大体起きていたから…昼間は割と起きていた気がする」
「昼に起きて夜は寝ていたってことか?」
「…まぁそういうことになるな」
「それだと起きてるのと一緒じゃないか!なんで起きてこなかったんだ」
「…寝ているからだろう?」
コハルは2人のやりとりをハラハラしながら聞いていた。現状把握が少しも進まないカナメを不憫に思ったほどだ。
「…そんなことより、コハルとご飯を食べてくる」
「!」
急に自分の名前が出て驚くコハルをカナメはちらりと見ると、少し声を落として言った。
「食事ならここですればいいだろう。食べたいものがあれば用意するぞ」
「…外がいい。コハルが今日も良い天気だと言っていた」
カナメは怪訝な顔をしてアカツキに尋ねる。
「なぜ彼女と一緒に食事をする必要がある?昔からの知り合いという訳でもないだろう」
「…最近知り合いになったんだ」
そう言ってアカツキはコハルに向かって嬉しそうに微笑んだ。朝の日差しを浴びて濡れ羽色の長い髪が反射し、全身からキラキラと音を立てて輝いているようだ。
そして…先ほどはやんごとない精霊の姿を感じた姿から、今度は頭に黒い獣耳をつけ、立派な尻尾をぶんぶん振っているアカツキの幻覚が見えたような気がして、コハルは軽く頭を振った。
「最近?お前の最近は寝ているだけだっただろう」
「…だから、寝ている間に親しくなったんだ」
(あれ?私とアカツキ様って親しい知り合いだったんだ…?)
コハルは小首をかしげた。
「お前っ!もしかして前からちょくちょく目覚めていたのか?!」
カナメが鬼気迫る顔でコハルを振り返る。コハルは首が取れそうなほど勢いよく首を振ってそれを否定した。そんな二人の様子を意に介さず、アカツキはコハルに近づきコハルの肩にそっと手を置いた。
「…コハル。お待たせ」
びっくりしてコハルはアカツキの方を見た。
「…またあの美味しいサンドイッチを食べに行こう。この間は途中で疲れて寝てしまったから」
少し残念そうな顔をした後、カナメの方へ向き直った。
「…そうだカナメ」
「なんだ」
2人の様子を訝しげに見ていたカナメに、アカツキは涼しい顔で続けた。
「…ちょっと金を貸してくれないか」




