塔の守護者
クラリスは軽やかな鳥の声で目を覚ました。こんな真冬に何の鳥が鳴いているのだろう。寝台を出て、床から這い上がってきた冷気に体を震わせる。鉄格子のはまった窓から外をうかがうが、鳥の影は見えず、かすれた響きもやがて途絶えた。
クラリスが居るのは昨夜連れてこられた塔の一室だ。長い階段をのぼったと思っていたが、実際には三階ほどの高さでしかなかったらしい。室内を見回す。家具といえるものは寝台と机、クローゼットだけの簡素な部屋だ。窓は開かず、鍵は外からしかかけられない。どういう目的で作られたのかは知らないが、人を監禁するのに適した作りだ。
マリウスたちはどこにいるのだろう。
昨夜、皇帝にしたがって廊下へ出たクラリスが見たのは、腕を縛られ衛兵たちに囲まれているマリウスたちの姿だった。そこで互いの無事は確認できたものの、同時に逃げのびた仲間がいないこともわかった。助けは期待できない。皇帝は再度大人しくするよう言い渡し、人質としてクラリスと彼らを別々の場所に閉じ込めるよう指示した。そしてクラリスはこの塔に連れてこられたのだ。皇帝は話を聞くと言っていたが、それだけで済むとも思えない。どうにかして、彼らを逃がす方法を考えなければ。
クラリスは手首を押さえた。いつも身につけていた腕輪は昨夜取り上げられたままだ。なくなった両親とクラリスのつながりを示す王家の腕輪。目を閉じてその形を思い出そうとする。歳月によって傷ができ、少しくすんだ金属の光沢。血を吸ったように赤い石は楕円形で、周囲には細かい植物の装飾模様が施されている。そして内側に彫り込まれた文字と紋章。
不意にノックの音が響き、輪郭は霧散した。
渡された服に着替えて身支度を整えると、クラリスは部屋を出された。部屋の前で待っていた衛兵に階下に降りるよう促される。階段を降りていくと、朝食の匂いが鼻をくすぐった。昨夜は素通りした一階の部屋の中から漂っているようだ。衛兵が扉を開けたので、中へ入る。テーブルには2人分の朝食が用意され、すでに人がいた。
「おはよう、クラリス殿下。まずは朝食をどうぞ」
「おはようございます……?」
テーブルについていた男に声をかけられ、クラリスは空いている席に座った。用意されているのはパンとチーズ、野菜のスープにミルク。帝国の一般的な朝食のメニューだ。男はそれきりクラリスに話しかけてこなかったので、クラリスも黙って朝食に手を付けた。
食べ終わると食器が片付けられ、男は窓際のソファに移った。手招きされ、クラリスも男の正面に腰を下ろす。
窓から差し込んだ朝日に照らされ、男の緩やかなウェーブのかかった金髪がきらめいた。クラリスをまっすぐに見た瞳の色は深緑を想起する鮮やかな緑だ。年は近そうだが、昨夜の皇帝とはまるで真逆の印象だった。皇帝が冬の夜の化身なら、この男は春の光のようだ。
「はじめまして、クラリス殿下。僕はルシアン・エイリアス。この塔の管理者で、しばらく君の監督をすることになる」
クラリスを閉じ込める塔の管理者ということは、彼の立場は低くないだろう。それは周囲の態度からも推し量ることができた。衛兵たちは一度も座ることも私語を交わすこともなく、ルシアンは王族であるクラリスとなんのためらいもなく同じテーブルにつく。貴族、それももしかしたら皇帝に近しい人物なのかもしれない。
「服はそれで良かったかな。必要であれば、他の服やドレスも用意できるけれど」
「いいえ。これで十分です」
クラリスが着ているのはシンプルなワンピースだ。装飾はほとんどないが、使われている布の質は良い。クラリスはシャルルとして長年男装して過ごしてきたので、ドレスを渡されても着方すらわからないだろう。質素な服は虜囚としてではなく、配慮の結果のようだ。
「マリウスたちは、どうしていますか。会うことはできますか?」
「彼らには別の場所で話を聞かせてもらっているよ。手荒な真似はさせないから安心して。君が彼らに会うのは許可が必要だから、すぐには難しいだろう」
柔らかい声は威圧感はなく、こちらを安心させようとしてくれていることがわかる。皇帝側の人間だと言うのに、クラリスを警戒しているようには見えなかった。
「では、私の尋問はいつになりますか」
「君の尋問は必要ない。何も知らないからね」
ルシアンは少しだけ目を細め、笑みを深めた。どこか探るような、こちらを試しているような視線。
「何も知らない? だって、私は、」
「商人に扮した仲間たちとともに品評会に参加。その後の夜会を抜け出し、皇帝の休憩室の隣室に潜伏、庭園に潜んだ仲間に部屋の位置を知らせた。それだけだろう?」
昨夜の経緯についてルシアンは詳細に知っていた。そこでやっとクラリスは何を”知らない”と言われているのか理解した。マリウスたちがクラリスに明かさなかったこと――皇城に潜入し皇帝に接触する、その目的をクラリスは知っているべきだったと、ルシアンはそう言っているのだ。皇帝にとって、今のクラリスには尋問する価値すらないのだと。
「何も知らないということは、罪すら背負わせてもらえないということだ」
ルシアンの批判は正しい。クラリスはあまりにも無知で、無力だった。俯くクラリスに、ルシアンは言った。
「まずは知らなければ。君にその気があるのなら、手助けをしてあげよう」




