暗夜に浮かぶ月
夜会が始まった。会場では帝国お抱えの楽団が楽しげな曲を奏で、テーブルには珍しい食材を使った料理が並べられている。参加者はグラスを片手に食事を楽しんだり、品評会での互いの健闘をたたえている。
シャルルはマリウスに目配せし、賑やかな広間からそっと抜け出す。
広間の喧騒とは対照的に、会場の外は驚くほど静かだった。広間は煌々とした明かりで照らされていたので、人気がなく閑散とした廊下は薄暗く寒々しく感じる。まだ夜会が始まったばかりなので、休憩に抜け出す客は少ないのだろう。
廊下を奥へと進んでいくと、招待客のために用意された休憩室がある。シャルルの役目は皇帝が夜会の合間に休憩する部屋を見つけ、その位置を仲間に知らせることだ。両側に並んだ扉の中から印のついたものを探す。
「鴉…これだな」
最奥に近い部屋にある、他のものより一段暗い色合いの扉の前で立ち止まる。扉の上には大鴉を彫り込んだ金属のプレートがはめ込まれている。大鴉は帝国の紋章に使われていて、皇族以外は使用できないことになっているから、ここが皇室専用の休憩室で間違いないだろう。
シャルルはその隣の部屋の扉の装飾にハンカチをかけ、室内に身を滑り込ませる。装飾にかけたハンカチは部屋を使用しているという印で、間違って人が入ってこないようにするためだ。
部屋の窓を開けると庭園が見える。木々にまぎれて見つけづらいが、事前に打ち合わせた通りの位置に仲間がいるのを確認した。シャルルは室内にあった燭台に火をつけ、手鏡を使って合図を送る。庭園の仲間が別の休憩室に待機する仲間に合図を送るのを見届け、扉付近に身を潜めた。あとは皇帝が休憩室にやってきたときにもう一度仲間に合図を送れば、シャルルの役目は終わりになる。
マリウスたちが皇帝に何をするつもりなのか、シャルルは聞かされていなかった。若いシャルルを巻き込まないようにという配慮なのだろうが、シャルルはマグノリア王家の人間という理由で彼らの庇護を受けているのだ。彼らがマグノリアの臣下として動くときには蚊帳の外に置かれたくなかった。それに、今まで自分の面倒を見てくれた養父たちの役に立ちたいという思いがある。だからこの計画に志願したのだ。それでも皇帝に直接会う役目は危険だからと許してもらえなかったのだが。
静まり返った部屋では、自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。意識して深く息を吸うと、真冬の冷たい空気が肺腑を満たした。じっと廊下の気配に耳を澄ませる。しばらくすると、複数の足音が聞こえてきた。皇帝がやってきたのだ。
シャルルは足音を忍ばせて先程の窓に近づき、仲間に合図を送ろうとする。しかし、庭園にいるはずの仲間の姿が見えなかった。
何かが起きている。そう直感したシャルルは息を潜める。仲間が捕まっても、シャルルがここに潜んでいることが知られているとは限らない。事前にマリウスからも、不測の事態が起こったら慌てずに、自分が逃げのびることだけを考えるようにと釘を差されていた。このまま隠れて、皇帝が休憩室を出て護衛がいなくなったら何食わぬ顔で出ていけばいいと自分に言い聞かせる。シャルルの役目はただの連絡役で、武器を持っているわけでもないのだから、迂闊な言動をしなければ疑われないはずだ。
しかし、シャルルはすでに大きな間違いを犯していることに気づいていなかった。
部屋の入口からシャルルの足元まで光の線が伸びる。誰かが扉を開けたのだ。シャルルが振り向くと、入ってきたのは背の高い男だとわかった。逆光で顔はよく見えないが、その佇まいから貴族だろうと思われた。部屋は使用中にしているのに、なぜこの男は入ってきたのだろう。
「誰だ」
低く鋭い声。怪しまれているのだ。背に冷たい汗がつたう。どうにか誤魔化さなければ、とシャルルは必死に頭を働かせた。
「僕は夜会に参加してたんです。でも、人が多くて気分が悪くなってしまったので、ここで休んでいました」
今にも飛び出しそうな心臓をおさえて声を絞り出す。言い終わってすぐに不自然な言い訳ではなかったか、声は震えていなかったかと考え不安に襲われる。
男はゆっくりとこちらに近づいてくる。まるでシャルルが逃げられないことを見透かしているように。やがてその顔が燭台の火に照らされ、明らかになる。シャルルは息を呑んだ。
ーーなぜ、皇帝がここに。
昼間バルコニーで見た男が、シャルルの眼前に立っていた。
真っ直ぐな黒髪に囲われた肌は驚くほど白い。その美貌はいっそ作り物じみた端正さだった。炎に照らされた金色の瞳だけが、獲物を捉えた猛禽類のように煌めいていた。その瞳が、まっすぐにシャルルを射抜く。
「この隣の部屋がなんの部屋か、知っているか?」
シャルルは質問の意図が汲み取れず、どう応えるべきか迷う。皇帝はシャルルの返答を求めてはいなかったようで、歌うように続ける。
「皇族の休憩室だ。そして警備のために、両隣の部屋は使用を禁止されている」
「違うんです、気分が悪くて、だからよく見ていなくて。間違えて入ってしまったんです」
皇帝はシャルルの置いたハンカチを不審に思って入ってきたのだろう。なんとか誤魔化そうとするシャルルの腕を皇帝が掴んだ。
「そんなに具合が悪いのなら医者に見せてやろう。城に泊めてやるから、今夜はゆっくり休むといい」
だが、と皇帝は続けた。
「大人しくしていないと、マグノリアの仲間たちがどうなるかわからないぞ」
その声に含まれる冷徹な響きにシャルルは身を震わせる。庭園の仲間が姿を消していたことが脳裏をよぎった。皇帝はシャルルがここにいることをわかっていてやってきたのだ。やはり、彼も皇帝に捕まったのだろう。そして、マグノリア王国の生き残りだと言うことまで知られてしまっている。
もしかしたら皇帝は今夜の計画をすべて承知していて、シャルルたちは誘い込まれたのかもしれない。しかし、今更悔やんでも手のうちようがなかった。圧倒的に不利な状況だが、シャルルはうつむかなかった。自分はマグノリアの王族で、皇帝にとっても利用価値はあるはずだ。自分がどうなるとしても、マリウスたちを死なせるわけにはいかない。
「彼らをどうするつもりだ」
「もちろん話を聞かせてもらう」
皇帝はマリウスたちをすぐに殺す気はないらしい。状況は良くないが、それでも時間があるとわかったことで安堵する。
「彼らを傷つけないのなら、あなたの言うことを聞こう」
「話が早くて何よりだ。では、担保としてこちらを預からせて貰う」
皇帝はシャルルの服の袖を捲り、布に巻かれた腕輪を外した。巻き付けた布を解くと、鈍い金属の輝きを帯びた地金とはめ込まれた紅玉が露わになる。内側にはシャルルの本当の名前と、マグノリア王家の紋章である白い花と月が刻まれている。物心ついてから肌見放さず持っていた、シャルルがマグノリア王家の人間であることを証明するものだ。
「では、ご同行願おう。クラリス・オラール・マグノリア王女殿下」
芝居がかった仕草で伸ばされた手を、シャルルは決意を持って握り返した。




