差別の歴史
翌日。
佐助は吉原に向かっていた。
当然遊びで行くのではない。例の聞き込み調査をしに足を運んだのである。
吉原といえば、江戸で最大の遊郭街。遊郭といえば吉原と言っても過言ではないほどの、夜の蝶が狭い鳥籠の中で飛び交う華やかな場所である。
遊郭には様々な情報が集まる。そこで生活する人々の情報網は侮れない。魔性討伐軍の隊員が聞き込み調査に吉原に行くのは、これまでに何度もあった。
「お客さんが怖がるから、隊服を着て道の真ん中を闊歩するのはやめてくれよ」
すっかり気安くなった楼主にそう頼まれてからは、吉原に聞き込みに行く際は隊服を着ないようにするという規則になった。
そんなわけで今日の佐助は私服である。
久しぶりだな、と昼の落ち着いた雰囲気の吉原を見回して、佐助は思う。
佐助が初めて吉原に足を踏み入れたのは16歳の時だった。さすがに13や14そこらの少年が吉原を歩いているのは浮くので、入隊してすぐの頃は年長の隊員に向かわせていた。
時刻は正午。昼間の吉原は静かだ。行き交う人々でごった返している表通りを抜けて吉原の門をくぐった途端、一気に体にかかる重圧が消えた。まるで違う世界に弾き出されたみたいだ。
佐助は門の向こう、人々が行き交う町の風景を振り返る。あちら側とこちら側でこんなに違うものかと、妙な感慨を抱いた。
これが夜になれば、この吉原はまったく別のお祭り騒ぎといった様相を呈するのだ。にわかには信じがたかった。
檻のような格子窓の隙間から、遊女が手招きしている。夜のようにズラリと並んでいるわけではないが、それでも何人かはまばらに歩いている客たちに自身をアピールして、買ってもらおうと頑張っている。
遊女の一人と目が合う。
途端に遊女は色気をたっぷり含ませた笑みを浮かべ、小首を傾げて真っ白な指先をちょい、ちょい、と折り曲げる。
佐助は急いで目を逸らし、足早にその場を離れていく。
「なんだよ、つまらない男だね」
ため息と共に聞こえてきて、佐助はなんとなく顔が赤くなってくる。
佐助は吉原が苦手だった。客たちにもそこで働く者たちにも気後れのようなものを感じた。
吉原はどこもかしこも活気に溢れた場所だ。佐助が生まれ育った貧しい長屋街とはまったく違い、金が活発に飛び交い、様々な交友関係が結ばれている。
なんというかこう——人と人との営み、というものが全面に出ている場所にいると、居心地悪くなってくるんだよな……。
その営みの中に、自分みたいな汚れた身分の者が入ってはいけないと、佐助は思っていたから。
早いところ仕事を終わらせて帰ろう、と佐助は歩調を早める。
目的の店は、吉原の中でも奥の方にあった。
メインストリートの端っこにかろうじておさまっているその妓楼は、他の妓楼とは趣向が違っていた。
遊女の9割があやかしの女なのだ。
残りの1割は、何やら訳ありだったり、普通の店での稼ぎが悪かった遊女が占めている。
建物自体は結構大きく、たくさんのあやかし女たちがそこで寝起きして客を取っていた。
歴史も古く、吉原ができた当初からその店はずっと存在していた。
妓楼の名前は『えなる屋』という。物々しい漢字ばかりが踊る店名の中、柔らかいフォントで書かれたひらがなの看板に佐助は少し癒される。
その妓楼の最大のメリットは、なんといっても料金の安さだ。
吉原の妓楼にはランクがあって、大見世・中見世・小見世・切見世の順に店の格が低くなっている。この妓楼の料金は、小見世より半額近く安いのだから、相当お手軽な値段だった。
なぜそんなに安いのか。
それは現在まで根強く残るあやかし差別が原因だった。
人間にはない異能を持ったあやかしを人間たちは長らく疎み、恐れていた。住む場所や職業などを政府に定められ、完全に人間に管理されていた時期もある。その時代、あやかしたちは政府によって皆一様に危険な仕事をさせられていた。
そんなわけで、あやかしたちはまともな仕事を得ることすらままならない有り様だったのだが、今から200年近く昔の1515年に『労働自由法』が制定された。
この労働自由法は、企業や店舗に対してあやかしが「働きたい」と申し出た場合、不当な理由でこれを断るのを禁ずる法律だった。政府があやかしの職業の自由を認めたということになる。
労働自由法のおかげで、あやかしたちは時に職場いじめを受けたり陰口を囁かれながらも心置きなく労働できるようになったが——その一方で報われないあやかしたちもいた。
過去に"異形"と呼ばれて、特に疎んじられてきたあやかしたちだ。
手足の先だけ鳥のような者、顔の半分が鱗で覆われた者、青色の肌をした者——そうそう天狗も異形と呼ばれてきた——そのように一目であやかしだとわかる存在に関しては、まだまだ労働の自由は与えられなかった。
人間と見た目が変わらないあやかしは、人前で異能を見せたりしなければ、普通に労働して普通に生活できるようになった。
その一方、良い職場に恵まれない異形たちは、自分たちと同じあやかしであるにも関わらず働き口がある人型のあやかしたちに、不満と憎しみを募らせていく。
そして1600年。いよいよ事件は起こった。
異形のあやかし数人が、人型のあやかしが数人働いている老舗呉服店を襲撃する事件——俗に『明石呉服店強盗殺害事件』と呼ばれる事件が発生した。
しかし、世の中はまさに戦乱の時代だった。
世の中が荒れに荒れている中、この事件はお上に真剣に取り合ってもらえず、大戦を勝ち抜いて新しい権力者になった江戸幕府初代将軍も「あやかしの問題はあやかし同士で解決しろ」とハッキリ言い切ってしまう。
この事件をきっかけにして、異形と人型の確執は深まっていった。互いに互いへの嫌がらせや犯罪は増えていったが、幕府はあやかし側の問題で我ら人間たちには関係ないから、というスタンスを貫き通した。
もっと早くに介入して、対策を講じるべきだったのだ。あやかしの問題だからと、放置しておくべきではなかった。
1650年。「あやかしの問題はあやかし同士で解決しろ」という言葉通り、自分たちで何とかしようとしたあやかしたちによって、地獄絵図が広がった。
この年、異形と人型がそれぞれリーダーを立てて、本格的な戦争を始めたのだ。
佐助たちが生きるこの時代より、50年ほど前の出来事。戦場になった江戸ではたくさんの者が死んだ。
異形も人型も、巻き込まれた人間も、大勢が死んだ。もはや幕府の者が説得に入ったところで勢いは止められなかった。すでにそんな段階は過ぎ去っていた。
開戦から7日経ち、ようやく事態は収束した。
なんにせよ、これで幕府も無視を決め込むわけにはいかなくなった。異形のあやかしも働けるようにしよう、"異形"などと呼んで差別することはもうやめよう——幕府は民たちにそう呼びかけた。
この紛争をきっかけに、人間とは異なる姿を持つあやかしに対する差別意識は大きく変わったのだ。"異形"は差別用語となり、使用することを禁じられた。
そして、特徴的な容姿のあやかしも何とか仕事を得られるようになったのだが……正直待遇は良いとは言えない。
差別意識というのは根深いもので、いきなり「もうこんなことはやめましょう」と言われたって、悔い改めて態度をまるっきり変えられる者は少ないのだ。
隠れて"異形"と呼ぶ者はたくさんいたし、異形なんか雇いたくないという経営者が多数派だった。何やかんやと理由をつけて彼らを避けた。
さらに言うなら、人型のあやかしだって異形ほどではないにしろ、疎んじられていた。
『えなる屋』が格安店なのは、それが理由だ。
あやかしの女というだけで気味悪がる客は多く、普通の価格では到底商売にはならない。えなる屋の遊女は"訳あり商品"のように安く売られているのだった。
安ければそれだけで飛びつく者は一定数いる。異形・人型問わず、あやかし女の掃き溜めのようなえなる屋が潰れずにやってこれているのは、他の妓楼では敵わない"安さ"があるからだった。
二年前、佐助は仕事でこの店に来た。その時は変化能力を持つ殺人鬼が隠れてこの店で働いている、という噂を聞きつけて遊女の調査をしにやって来たのだ。
「あやかしにしかわからんこともあるだろう」
誰だったか、隊員の一人がそう言っていた。
それは当たっていて、あやかしにはあやかし特有の社会や情報網があるらしい。人間とあやかしが混ざり合って暮らす江戸とはいえ、なんだかんだと線引きがなされているのだった。
殺人鬼の親族という、人間とあやかしどちらの立場からも忌避される存在である佐助は、どちらの種族の世知にも疎いところがあった。
えなる屋の周りには誰もいなかった。
朝の吉原は静かで、特にえなる屋など比較的目立たない場所にある、言ってしまえばランクの低い店は、夜以外は冷やかしに来る客の一人もいなかった。
しかし、全員寝ているというわけではない。店の者の誰かしらは起きていて、話を聞けるだろう。
いざえなる屋の暖簾をくぐろうと、佐助が一歩踏み出した時だった。
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