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【完結保証】のけものの幸せな結婚  作者: 絶対完結させるマン
第二章

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五年前の生き残り

 その日、もうすぐ日が落ちようかという頃になって、奉行所の人間が統一郎を訪ねてきた。


 「西ノ宮(にしのみや)様がお呼びです。——何やら大切な話があるとかで」


 西ノ宮とは、奉行所の最高責任者である町奉行で、魔性討伐軍とは縁深い人間だ。


 魔性討伐軍は、町奉行所から依頼を受けて殺人鬼の調査・討伐を行う。基本的に町奉行所の許可を得ないと仕事ができない立場だ。


 局長である統一郎は、報告なり何なりで町奉行所に行くことが多い。西ノ宮とは何度も顔を合わせて話をしている。


 今日のように突然呼び出されることも、過去に数度あった。


 「至急奉行所に来ていただけませんか」


 制服を着た役人は、奉行所で何度か見たことがある顔だった。


 「わかった。すぐに行く」


 統一郎はそう答えると、一番隊隊長である強端樹(こわばたいつき)を連れて、徒歩20分の距離にある町奉行所へ向かった。


 「やっぱり局長さんにもなると大変だね……今日くらいはゆっくり休めるかと思ったのにな」


 小春は誰に向かってというわけでもなく、つぶやいた。


 一応、隊員が一人庭にいることはいるのだが——。


 宿短子が小春を襲おうとした一件があって以来、小春が屋敷に一人きりにならないように配慮されていた。


 しかし、統一郎は用心深い性格で、一部の特に信頼している隊員以外は自宅にあげずに庭で待機させた。家の中には何かあった時だけ入るようにと。


 あまり他人を家に入れたくない、という潔癖さというよりは、小春と隊員たちが親しくなるのを避けたがっているみたいだった。


 小春にしてみれば、自分のためにわざわざ庭で見張りをしてくれる隊員に礼を尽くしたいところだが、統一郎が良い顔をしないのでお茶を出して二言三言お礼と労りの言葉を言うだけで済ませていた。


 そろそろ夕飯の時間だ。今にあんこも帰ってくるだろう。


 台所の方で、雇われている飯炊き婆さんが夕飯を準備する音が聞こえてくる。


 野菜を切るトントントン、という音。グツグツと何かを煮込む音。聞いているだけでお腹が鳴りそうな音と共に、何やら芳ばしい匂いが小春のいる部屋にまでやってくる。


 東雲家にいた頃は食の細かった小春も、ここに来て出来立てのご飯を食べられるようになってからは食欲が出てきて、ガリガリだった手足に肉がついてきた。


 健康的な体型と血色の良い肌に艶のある髪。小春は統一郎の手のひらの上で、日に日に美しく変身していく。


 統一郎はまるで、やがて来る"その日"に向けて、小春が美味しくなるように飼育しているみたいだった。


 太陽が山の陰に隠れて、急速に辺りが暗くなった時だった。


 「あれ?」


 休むことなく響いていた食事の支度の音がふいに途切れたので、小春はどうしたのかと訝しむ。


 なんだか良くない感じがする。これから大変なことが起こるような、不吉な予感がじわじわと足先から這い上がってくる。


 小春は音を立てぬように襖を開けると、そうっと廊下に足をつける。


 ゆっくりゆっくり、忍び足で台所へと向かう。


 なぜこんなにこっそりしているのか、自分でもはっきりとはわかっていなかったが、第六感が告げていたのだろう。


 屋敷に侵入してきた危険な存在のことを。


 台所につくと、まず飯炊きの婆さんが頭から血を流して倒れているのが、目に飛び込んできた。


 「セツさん!? 大丈夫ですか!?」


 毎日小春たちの食事を用意してくれるセツという婆さんに、小春は駆け寄る。大声で呼びかけると、老婆は小さく呻き声をもらした。


 小春がホッと息をついたその時——。


 「!? んー! んんんー!!」

 「お静かに」


 首にピタリと包丁が当てられる。その冷たさに小春は一瞬で血の気が引いた。


 口は抑えられたまま。足は男の片足が巻き付くように纏わりついており、腰には男の片手が回っていた。


 背中越しに相手の鼓動が伝わってくるほど、一分の隙間もなく密着していた。故に、小春には相手がかなり大柄な人物であることがわかった。


 分厚い体で押さえつけられ、ガチガチと歯が鳴り、膝が笑い出して立っていることが難しくなる。


 これから何が起こるのか、無事ですむのか——小春は祈る。助けを求める。何に対してかはわからないが、とにかく命だけは助かりますようにと懸命に祈りを捧げる。


 振り返って侵入者の顔を確かめようとした時、包丁が小春の柔肌に食い込んだ。


 「振り向かない方が身のためかと」


 小春は動きを止める。決して振り向かないし騒がないと意思表示すると、侵入者は包丁を足元に捨てた。


 こんなものがなくても、この人は簡単に私を殺せる。それこそ赤子の手をひねるようにあっけなく——。


 「!?」


 突然視界が真っ黒になったので小春は動転する。


 目元を布で覆われたのだ。後ろで布を縛る気配がして、小春の心臓は死んでしまいそうなほど激しく高鳴る。


 口元は依然として押さえつけられたままだ。侵入者は絶対に小春に叫ばれたくないと思っていた。


 せっかくここまできたのだ。このまま誰にも知られずに事をなす。


 小春の体が台所から一段上がった床に押し倒される。背中に感じる鈍い痛みに小春が耐えていると、男がのしかかってくる気配がした。


 首に手がかかり、殺されるのか!? と小春は暴れ出すが、少し体重をかけられただけであっけなく封殺される。


 足の間に膝を挟まれ、上半身は相手の肉厚な体によって押さえつけられて、小春はもうわずかに身動きすることすら叶わない。ただ恐怖の中震えて、酷いことをされませんように、と祈ることしか——。


 「いっ……!?」


 首筋に食い込むものを感じると同時に、皮膚が破られ出血したのを実感した。


 包丁だと思った小春はいよいよ死を覚悟するが、彼女の皮膚を食い破って血を流させたのは刃物ではなく、鋭い犬歯だった。


 男はあろうことか、噛んだ箇所から流れた小春の血を啜る。


 「んあっ」


 男の手のひらに吸い込まれる小春のうめき声。血を吸われるという初めての体験に、心身が戸惑いを訴える。


 痛みとくすぐったさ。最初はそれだけだったのだが、次第にそれ以外の感覚が訪れる。


 何これ……頭の芯がボーッとして体が熱くなってくる……。


 落ち着かない感覚だった。初めて体感するそれは高熱のように小春を蝕み、恐怖すらも飲み込んでいく。


 体が熱い……全身がソワソワと落ち着かなくて叫び出してしまいそう……。


 この熱を外に出したい。なんとかしたい。でもどうすればおさまるの?


 答えなど小春に見つけられるはずもなく、慰めに足の先をピンと張ることくらいしかできなかった。


 小春がボーッとしているうちにも、男は血を啜っている。自分の体から血液がどんどん失われていくにも関わらず、小春の体は逆に熱を増していくようだ。


 もはや抵抗の気配なし、と安心した男の警戒が緩む。


 だから、背後から忍び寄る人物に気づかなかった。


 「……ッ!!」


 すんでのところで殺気を察知した侵入者は、首元めがけて振られた刀をかわす。


 「あと少しだったのに……!」


 小春の腰に誰かの手が回される。その直後に体が浮かび上がる感覚。


 鼻をくすぐる草木の匂いに、外に連れ出されたのだと理解した時、急に目の覆いが外されて視界が明るくなった。


 「無事ですか!? どこか痛む箇所などは!?」


 普段であればここまで近くにはない、慌てふためいた彼の顔が目の前にあった。


 「佐助、さん……」


 鼻先が触れ合いそうなほどの距離にある彼の顔を見た瞬間、小春の全身から力が抜けた。


 グッタリと倒れ込みそうになる体を、佐助は片腕だけで支える。


 もう片方の手には、抜き身の刀が握られている。その切先は台所の暗がりに身を潜んでいる男に向けられている。


 「あ……さ、すけ……さん……」

 「大丈夫です。俺が全部何とかしますから。少しだけ待っていてください」


 そう言って小春をその場に丁重に座らせると、彼女を庇うように前に出て刀を持ち直す。


 彼女の苦しげな声を聞いて、佐助の冷静さは急速に失われていた。


 喋るのも辛いほど深手を負ったのか。さっさとこいつを倒して、急いで医局に連れていかなければ。そうしなければ小春は——。


 彼女がこの世から消える。想像しただけで奈落の底に突き落とされたような気分になる。


 何があっても彼女には生きていてほしい。彼女の笑顔を守りたい。そのためなら自分は何をしたってどんなに汚れたって構わない。


 佐助は早くかたをつけなければと、勝手口へと突進した。


 彼にしては珍しく急いたのが良くなかった。


 ガシャン、と瓶が割れる音と共に飛び出してきたのは、澱んだ色の液体。


 それが佐助の左目に入った。


 「くッ……!!」


 目の奥に激痛が走るが、佐助は目を押さえるのを我慢した。


 確認はあとだ。今は一刻も早くこいつを——。


 顔を上げた佐助は視界が狭くなっていることに気づくも、外に出てきた敵を睨む。


 侵入者は、佐助と同じくらい大柄な男だった。


 30代半ばほどの見た目にそぐわぬ銀色の髪は、背中を覆うように下ろされている。月の白さを思わせる青白い肌は人間離れしていた。


 口元は忌々しげに歪み、覗く犬歯が血液で光っている。病的なほど白い肌と銀色の髪のせいで、その血の赤色の禍々しさが際立ち、恐ろしげな色気をたちのぼらせていた。


 「お前は……!」


 明るい場所でその顔を見た瞬間、佐助の中で怒りが沸騰する。


 魔性討伐軍の拠点の入り口付近には、殺人鬼の手配書が張り出されている。


 毎日一度は必ず目にする顔。魔性討伐軍が血まなこになって探している男が目の前に立っていた。


 吸血種のあやかしであるこいつは、殺人鬼の中でも極悪非道な男だ。


 江戸で起きた『連続吸血殺人事件』。二週間で35人の人間の血を啜り尽くして殺した、その凄惨極まる事件の犯人である。


 それだけではない。この男はその事件を起こした後永爽家に身を寄せる。そして、永爽家のクーデター計画の協力者の一人になったのだ。


 永爽家は殺人鬼を匿い、江戸に彼らを解き放ち破壊や虐殺を行わせる予定だった。その混乱に乗じて天皇を拉致し、自分たち一族を江戸の最高権力者にしようという恐ろしい計画を立てていた。


 統一郎率いる魔性討伐軍が永爽家に奇襲をかけたおかげで、この計画は未然に防げた。永爽家は殺人鬼を特攻させて魔性討伐軍に立ち向かおうとしたが永爽家は敗れ、統一郎によってその日家にいなかった小春以外の全員が殺された。


 かなりの数の殺人鬼たちが永爽家に協力していたはずだが、全員が捕まったわけではなかった。統一郎が多くの殺人鬼を斬り伏せていくのを見た幾人かの殺人鬼は、形成不利と判断するやいなやさっさと永爽家から退散した。


 そのとんずらこいた殺人鬼の一人がこの男——吸血鬼である早雲輝一郎(そううんきいちろう)だ。


 「まったく……邪魔をしないでいただきたい」


 心の底から面倒くさくてたまらない、というように肩をすくめる早雲。


 佐助が発する息が詰まりそうなほどの殺気を感じ取っていないはずがないのに、早雲は明らかに舐め腐った態度で佇んでいた。


 「あなた、まだ生きていましたか。あの日何もかも長に任せて突っ立っていた体たらくから察するに、一年と持たずに死ぬものと思っていましたが」


 五年前の永爽家。統一郎が全てを片づけるところをこの男は見ていた。これは逃げるが吉、と見た早雲は、魔性討伐軍に見つからないうちに世話になった永爽家を後にしたのである。


 「案外しぶといものですね。あなたたちはこの五年間、大した犠牲も出さずに着々と大きくなっていった。良い組織です。よほど長が優秀なのでしょう」


 まずい。


 これ以上こいつに喋らせてはいけない。


 後ろには小春がいるのだ。永爽家、という言葉がこいつの口から出たら。五年前の真実が小春に知られたら——。


 「はあああっ!」

 「フフ、余裕のない人ですね」


 早雲は何もかも見透かしたように言う。


 佐助の一太刀をノーダメージで受け止めた彼は、喉の奥からククッと笑い声を発する。


 確かに攻撃を浴びせたはず。手応えもあった。なのに早雲は痛くも痒くもなかった。


 佐助は自身の目を疑う。先ほどかけられた液体には、幻覚を見せる作用があったのではないかと。


 佐助がそう思うのも無理はない。なぜって佐助の刀は、早雲の体を"すり抜けていた"からだ。あり得ない光景に、佐助は幻覚の類いを疑った。


 しかし、そうではない。事実として刀は早雲の体を貫通していた。刺さっているのに血の一つも出ない。早雲には刀が刺さっているという感触もない。


 まるで幽霊のように、今の早雲は物理攻撃を無視できていた。


 「これ、結構疲れるんですが——その方にもらった血のおかげで、すこぶる調子がいいです。感動的なほどに妖力がみなぎっています。さすが永爽家の——」


 佐助が刀で早雲の口を引き裂こうとすると、彼は「おやおや」と愉しげに小首を傾げる。


 「どうやら異変を察知した隊員がこちらに向かってきている様子。仕方ないのでここは一旦退散しますか。五年前と同じように、ね。フフ」


 早雲はコウモリに姿を変えると、星がまたたき出した空へと舞い上がる。先ほどまでとは対照的な真っ黒い姿は、暗さに同化してあっという間に見えなくなった。


 「待て!」


 佐助は思わず手を伸ばすが、その手は宙で行き場を失うだけである。


 「さすけ、さん……」


 背後から消え入りそうな声がして、佐助は慌てて振り返る。


 「小春!」


 荒い息の彼女に駆け寄ると、潤んだ瞳が佐助を見上げる。


 「大丈夫ですか、今医局に——」

 「目……目が……」

 「目ですか? 目がどうしました? 目に何かされたんですか?」

 「ちがい、ます……佐助さんの、ほう……目が……佐助さんの、目が……」

 「俺?」


 小春の震える指先が佐助の瞼へと伸びていくが、途中で力尽きてダラリと地面に落ちてしまう。


 「小春!」


 ここで佐助は、小春の様子が尋常じゃないことに気づく。


 痛みに蝕まれているわけではない。彼女を苛んでいるのは、それとはまったく別の感覚だった。


 佐助は早雲輝一郎の手配書に記してあったことを思い出す。


 彼は上位の吸血種であり、人間の血を吸うことで生命活動を維持しているのだと。


 上位の吸血種は、血を吸う際に吸血対象の人間に抵抗されるのを防ぐため、唾液に二つの効力が含まれている。


 痛みを消す効力と、快感を与える効力だ。


 その快感は、吸血対象を骨抜きにするほど強いものだということだった。


 「さすけさん……」


 小春が佐助の腕に縋り付いてくる。はあっ、はあっ、と熱病にうなされているように熱い吐息を吐く。


 「おかしいんです……からだ、へん……お腹の奥が熱くて……どうしたらおさまりますか……これ……」


 吸血種による催淫効果に苦しむ小春。未知の感覚への恐怖に涙がポロポロとこぼれ落ちる。


 自分は一体どうしてしまったのかと。小春は安心できる彼に解決法を尋ねてみる。


 「助けてください、佐助さん……助けて……」

 「助けるって……」


 小春は潤んだ瞳と赤く染まった頬で佐助を見つめる。両手で自分の体を抱きしめながらの縋るような視線は、佐助には刺激的すぎた。


 彼は一瞬固まってしまったが、ハッと我に返ると小春を抱き上げようと肩に手を伸ばす。


 「大丈夫です。今医局に連れて行きますから——」

 「……んっ!」


 横抱きにした際、佐助の腕が腰に触れた瞬間、小春の口から艶っぽい声が漏れる。


 佐助は必死に意識を逸らそうと、脳内でしりとりを始める。しりとり。りんご、ごはん——あっ、終わってしまった。


 小春を見ないように細心の注意を払って統一郎の屋敷を出ると、異変を感じてやって来た隊員たちに行き合った。


 思わず手ぬぐいを取り出して、小春の顔を隠す。


 「副長! 何かあったんですか!?」

 「侵入者だ。取り逃がしてしまった」


 佐助は、今日の見張りを担当していた隊員のことを思い出す。


 「山田(やまだ)はどこにいった?」

 「えっ、庭にいなかったんですか? 今日は局長の自宅で見張りの仕事だったと思うんですけど」


 庭に山田の姿はなかった。佐助は嫌な予感がして、急いで部下に命じた。


 「台所で飯炊きのセツさんが倒れている。今すぐ行ってきて医局に運んでくれ。俺は小春を連れていく」


 医局に向かう途中で別の部下にすれちがうと、「山田を探すように他の奴らにも言ってくれ」と佐助は頼んでおいた。

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