墓参り
芝居見物を終えた二人は、およそデートには相応しくない場所に来ていた。
「付き合わせてしまってすみません」
「いえ……ここが行きたかった場所ですか?」
——行きたい場所があるんです。ついてきてくれますか?
小春にそう言うと、統一郎は彼女を墓地に連れていった。
「ここには私の仲間が眠っているんです」
「仲間……魔性討伐軍の隊員さん、ということでしょうか」
「ええ」
墓地はかなり広くて奥行きもあり、数十基もの墓石がずらっと並んでいたが、統一郎は慣れた足取りで奥へと進んでいく。
やがてある墓の前で立ち止まると、墓石をじっと見つめる。
その目から涙が一筋溢れ落ちたので、小春はギョッとする。
「あっ、あの……大丈夫、ですか……?」
「すみません、心配をかけてしまいましたね」
統一郎は長くしなやかな指で目元を拭うと、墓石にそっと触れた。
「一年前、ある殺人鬼との死闘の末、一人の部下が死にました。殺したのは愛宕山に住んでいた天狗です」
「愛宕山ってこの前の……」
数日前、統一郎率いる魔性討伐軍は、愛宕山に住む天狗集団と死闘を繰り広げた。
愛宕山の首魁、太郎坊との闘いの際に統一郎が負った右腕の傷は、未だ完全に癒えてはいない。
部下を殺したのは、太郎坊の息子である次郎坊だ。次郎坊は殺人鬼として捕えるよう奉行所から指令が下りていた。
殺人鬼を捕らえるのが魔性討伐軍の仕事だ。生捕りが難しければ殺すことも認められている。
捕まって役人の手に回れば、どの道処刑される。だから殺人鬼たちも全力で抵抗する。
激しい闘いの末、命を落としてしまう隊員が出ても何ら不思議ではない。
「一年前、ここに初めて来た時はしばらく墓の前で動けませんでした。私がもっと賢明であれば彼は死なずにすんだのではないかと思うと、今でも胸が潰れそうになります」
「統一郎さんが悪いわけではありませんよ! 統一郎さんはその時考えうる限りの最善を選んだんでしょう?」
「それは……はい。私は常に最善だと思う判断をするように心がけています」
「だったら自分を責める必要なんてありません。——こんなこと言われても、難しいってことくらいわかってるんですけど……」
小春には統一郎の気持ちが痛いほどわかる。
あの時ああしていれば——小春だって何度もそう思ってきた。
家族が全員殺された日。
あの日、私だけは珠生ちゃんの家に遊びに行っていたから助かった。
私だけが。私一人だけが生き残ってしまった。
あの日、私が遊びに行かなければ。早く帰っていれば。
そうしたところで大したことはできなかったはずだとわかっているのに、思わずにはいられなかった。
何度も想像した。
いつも殺人鬼が家に押し入る場面から、小春の想像は始まった。
突如屋敷に侵入してきた殺人鬼に家族は慌てふためく。お母様は悲鳴をあげて、お父様は家族を守ろうと前に出る。
お父様が我が子たちに逃げるように叫んだ頃、私はすでに外に出ている。
殺人鬼が押し入ってきた、とわかった瞬間にほとんど反射的に外に飛び出していたのだ。
誰かに助けを求めなきゃ。近所の人たちにこのことを教えて、あの殺人鬼を取り押さえてもらうんだ。
たくさんの人がいてくれれば大丈夫。待っててみんな。今私が人を連れてくるから。もう何も心配いらないから。
大丈夫だから。私が大丈夫にするから。だから——。
「小春さん?」
統一郎の声にハッとする。
「大丈夫です。……少し家族のことを考えていただけで」
そう言うと、統一郎は心苦しそうに眉を下げる。
都合の良い妄想だ。こんな夢を見るのは無意味でしかない。
いくら本格的に思い描いてみたところで、起こってしまったことは変えられない。現実は"大丈夫"になんてならなかった。
みんなが殺人鬼に殺されたという過去は変わらないんだ。
そもそもあの場に私がいたところで、きっと夢想しているようには動けなかったはずだ。
みんなと同じように何の抵抗もできずに殺人鬼に殺される。
そんな結末の方が、よほどあり得そうに思ってしまう。
「わかってるんです。あの時はどうにもできなかったんだって。でも"あの時ああしていれば今頃はこうなっていたんじゃないか"って思ってしまうのは、意思の力で抑えられるものではないんですよね」
「小春さん……」
統一郎は彼女の手を取り、両手で包み込む。
その瞳が期待と感激に揺れているのを見て、小春は初めてこの完璧に思える麗人に親近感を覚えた。
「貴女はわかってくれるんですか。私の気持ちを……」
「はい。わかっているつもりです。統一郎さんのその苦しみは、私にも馴染み深いものですから」
統一郎の手は、かすかにだが震えていた。
小春はその手をそっと握り返す。
少しでも彼の心が楽になればいいと思った。
「私は怖いんです。本当に目的を果たすことができるのか——殺人鬼のいない世界に辿り着くことができるのか」
殺人鬼のいない平和な人の世。
そんな世を迎えるために、統一郎は魔性討伐軍を作った。
しかし、その夢は簡単に叶えられるものではない。
指名手配されている多くの殺人鬼の行方は、杳として知れない。
「もし叶えられなかったら……そう思うと、あまりの恐ろしさに夜も眠れなくなるんです」
長い睫毛がおりて、目元に影を落とす。
「もう一つ怖いことがあります。大切でかけがえのない部下たちのことです。……私の判断で彼らが死ぬのだと考えて、毎日重圧感に押しつぶされそうになっています」
統一郎の震えはおさまっていた。彼の瞳はまだ揺れていたが、もうほとんど落ち着きを取り戻していた。
弱さを見せるとしてもほんの一瞬だけ。そんな統一郎のしたたかさに、小春は鼻の奥がつんとしてくる。
「統一郎さん。あまり思い詰めないでくださいね。あなたにかかる責任は相当なものでしょうけど、あなたは一人じゃありません。辛い時は誰かに寄りかかってもいいんですよ」
「ありがとうございます。でしたら……時折こうして話を聞いてもらっても良いでしょうか。貴女と一緒にいる時だけは責務から解放されて、ありのままの鬼頭統一郎でいても良いでしょうか」
そう言いながら、統一郎が一歩距離を縮めてくる。良い香りが小春の鼻腔をくすぐった。
目の前に彼の胸がある。あと少し身動きすれば触れてしまいそうな距離。
小春の心臓がドキドキと鳴る。
「もちろんです。私でよければ、いつだって愚痴でも弱音でも聞きますよ。それで統一郎さんが楽になるなら」
どうにかして彼の役に立ちたい。だって。だって統一郎さんは——。
「だって統一郎さんは、私の恩人なんですから」
東雲家での生活を思い出す。
蔵に押し込められる生活。一人ぼっちでとる食事。家中の者から心ない言葉をかけられる悲しみ。
そして、親友だと思っていた彼女からの圧倒的な敵意と暴力。
そんな地獄から、統一郎さんは救い出してくれた。
何の責任も義務もないのに。この人は純粋な善意から私を救ってくれた。
いくら感謝してもしたりない私の恩人だ。
「だから私にできることなら何でもします」
そう言うと、統一郎が目を見張った。
「ありがとうございます。——ですが"何でもする"なんて、軽々しく言ってはいけませんよ」
軽い気持ちで言ったわけではないのだけど——小春はそう言おうと思ったが、統一郎の赤く染まった頬を見て口をつぐんでしまった。
頬を赤く染めて照れたように目を伏せる統一郎は、見ていると気恥ずかしくなってくるほどの色気を纏っていた。
「くれぐれも他の男には言わないでくださいね」
「は……はい。わかり、ました……」
色づいた小春の頬に統一郎は手をそえると、うっとりと彼女を見つめた。
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