拾われた娘
時は江戸時代。あやかしが存在して、人々との間に交流を持っていた時代である。
縁側で永爽小春は眠る子狸を膝に乗せて、晴天を見上げていた。
凍てつくような寒さもマシになってきて、春の匂いが強くなっている。
まさかこの家で春を迎えることになるなど、一ヶ月前の自分には想像もできなかった。
小春は名門退魔一族『永爽家』の本家の娘である。
今や本家の生き残りは彼女だけになってしまった。
五年前、小春の家族は何者かに皆殺しにされた。その日たまたま家にいなかった小春だけが生き残ったのである。
行き場を失った小春は、分家の東雲家に引き取られた。
そこでの日々はまさに生き地獄。
家中の者に虐げられ、召使にも悪口を言われてこき使われた。同い年である東雲家の娘の珠生には、特に激しく虐められて連日のように暴言暴力の雨あられだった。
家族を全員殺され、親友だと思っていた珠生の態度も豹変し、尊厳を踏み躙られる毎日は小春の心を絶望へと堕としていった。
そんな生活から救い出してくれたのが、鬼頭統一郎だ。
あの家に帰りたくない。そう言う小春に彼は「わかりました」と言うと、戸惑う小春を自身の屋敷に連れていった。
統一郎の屋敷は魔性討伐軍の拠点の中にある。
彼は魔性討伐軍の局長だった。
魔性討伐軍とは、人を殺した『殺人鬼』と呼ばれるあやかしの調査・討伐を執り行う政府公認の小規模組織である。
100人以上いる隊員たちを住まわせる巨大な屯所、道場、奥にある統一郎の屋敷の三つから『魔性討伐軍拠点』は成っている。
統一郎の屋敷に来てから、もうすぐ一ヶ月。
小春は、すっかりこの家のペットとして馴染んでいる化け狸のあんこを撫でながら、昨日統一郎に言われたことを思い出していた。
——明日、私と共に出かけませんか?
久々にもらった貴重なお休みの日を、私と街を見て回ることに費やして本当に良いのだろうか。
小春は多忙な彼を思ってついそんな心配をするが、この屋敷に連れてこられた日に言われたことを思い出した。
——貴女に惹かれているからです。
その時の統一郎の熱い眼差しを思い出して、小春は頬を染める。あんなに美しい人にあんなことを言われたなんて、今でも夢のようで信じられない。
「おはようございます」
背後から彼の声がしたので、小春の肩がビクッとはねる。
「統一郎さん——おはようございます」
「早いですね。まだ日が登ったばかりじゃありませんか」
朝食の6時半まで、まだ30分以上ある。着替えをすませて縁側で朝日を浴びていた小春に、統一郎は自身が羽織っていた上着を被せた。
「寒いでしょう。あまり風にあたっていると、体にさわりますよ」
「そうですね。でも私、この空気好きです」
「早朝の空気が?」
「はい。春は特に。冬から春へ季節が移り変わるこの時期の空気を気に入っています。なんだか新しいことが始まりそうでワクワクしませんか?」
「そうですね。その気持ちはよくわかります」
統一郎は手を伸ばすと、小春の長い髪を一房ほど手の中におさめて真剣な顔で眺め出す。
「あっ、あのっ……!? 統一郎さん……?」
「ああ——良かった」
統一郎は顔を綻ばせる。その表情は花が咲くようで、男性であるのに何と華のある雰囲気の人だろう、と小春は胸がドキドキしてくるのだった。
「艶のある綺麗な髪です。ここに来たばかりの頃と比べると、見違えるようですよ」
東雲家では、小春は毎日髪や体を洗えなかったし、食べ物も残飯がメインで、ろくに栄養も与えられていなかった。
当然髪もひどく傷んでいて、櫛でとかすとキシキシ音がした。
それが今では、サラサラで艶のある見事な長髪になっている。
「綺麗ですね。ずっとこうして触っていたいくらいです」
耽美な顔に至近距離で見つめられ、小春は頬に熱が集まっていくのを止めようがなかった。
「どうかしましたか? 顔が赤いですが……熱でもあるのですか?」
「あっ、い、いいえ……! そんなことは……!」
小春は首を振るが、統一郎はその発言の真偽を確かめるように、小春の額へと手のひらを近づけていった。
その時、小春の膝の上で小動物がモゾモゾと身じろぎした。
「ふわぁ……」
大あくびをして目を覚ましたのは、化け狸のあんこだった。
ひょんなことから小春が「飼いたい」と言い出してから、この家のペットとして一緒に住んでいる。
小春とほぼ同時期にやって来たあんこは、起きるやいなや白い子犬——現代でいうところのポメラニアンの姿——に化ける。
あんこは化け狸だというのに、この姿にしか化けられない。可愛さだけが取り柄の落ちこぼれ狸である。
一族を追放された挙句、殺人鬼の汚名を被せられそうになり困っていたところを小春に助けられて以来、すっかり小春に懐いている。
ちなみにあんこという名は、小春にもらったものだ。
目覚めたあんこは小春を見上げると「おはよー!」というように「キャンッ!」と鳴いた。キラキラと輝いた大きな黒目は可愛らしく、小春の心臓はギュンッッッッ! と"萌え"という感情に締め付けられる。
「おはよう、あんこ。今日も元気だね」
小春の意識が完全にペットにいってしまったことを確かめると、統一郎は名残惜しそうに髪の毛を離す。
「いつからいた?」
立ち上がった統一郎が振り返った先には、目つきの鋭い赤髪の青年がいた。
「あ、佐助さん! おはようございます!」
小春も立ち上がり、佐助に軽く頭を下げて挨拶する。
統一郎の屋敷には、小春とあんこ以外にもう一人、この物語において重要な男が住んでいた。
人間の母と鬼の父親という出自を持つ佐助は、統一郎率いる魔性討伐軍において、副長という立ち場にいる。
「おはようございます。局長、小春」
「ウチもいるよ」と言うように、あんこが佐助の足元をうろちょろする。
佐助は、自分に笑顔を向けてくる小春のことを眩しそうに、細い目をさらに細めて眺める。
佐助にとって、小春の笑顔は太陽よりもよほど眩しいものなのである。
「小春さん」
統一郎が優美な笑みを浮かべて小春に向き直る。
「今日、どこか行きたい場所などはありますか? 小春さんのお望みとあらばどこへでも連れて行きますよ」
「えっと……私、遊ぶ場所などに詳しくなくて……というかほとんど知らなくて……統一郎さんは詳しそうなので、できればお任せしたいなと」
小春は11歳の時に家族を惨殺され分家に引き取られてから、ほとんどの時間を蔵に押し込められて過ごしてきた。それゆえに世俗に疎い。
というか一般常識も怪しいほどである。一言で現すならば、大切にされていなかった箱入り娘だった。
「わかりました。必ず私と過ごす今日という日を、小春さんのこれまでの人生の中で最も楽しい一日にしてみせます」
統一郎の完璧な笑顔を佐助の冷めた目が見ていたことに、小春は気づかなかった。
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