自分の目で見たものを信じる
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一方その頃、菊男は七男の手によって別室に運ばれていた。
七男は丁重に彼を床に下ろすと、
「……どうしてですか」
と尋ねた。
ずっと暴れていた菊男が、悲しげな声音にピタリと動きを止める。
「どうして小春さんを襲ったんですか。どうしてお父さんを殺したんですか。どうして天狗とグルになって——」
菊男は、そうか、と気づく。
こいつは、俺を短子だと思っているんだった。
赤髪の男以外に、俺の悪行を知っている隊員はいない。
この青臭いガキは、短子が隊員の体を乗っ取ったのだと思っている。
「何か事情があるんですよね? 宿先生が悪い人だとはどうしても思えないんです」
「なんで? なんでそう思うんだ?」
短子の何がそこまでこの男にこう言わしめるのか信じがたくて、菊男は思わず尋ねる。
「副長と話してる時、宿先生は副長を心配しているようでした。なんだかんだ気遣っているように感じて……。ああこの人はすごく面倒見の良い人なんだろうな、って思いました」
七男の感覚は正しかった。
短子は佐助を気にかけていた。
少し目を離した隙に真っ暗闇の中を突き進んでしまいそうな危うさを、佐助に感じていた。
だから自分に何かできるというわけでもないのだが、何となく心配で、からかい半分に話しかけて様子を見ていた。
そんな短子の心の機微を、七男は薄々感じ取っていたのだ。
「ただの俺の直感なんて、根拠とも呼べないものでしょうけど……他の人に話したら、何を言っているんだと一蹴されちまうんでしょうけど……」
でも、と七男は曇りなき目で伝える。
「俺は俺の目で見たもの、感じたものを無視したくない。皆さんに判断と決断を任せてその通りに動くだけじゃなくて、ちゃんと自分の頭で考えて結論を出したいんです」
七男が考えて出した結論というのは、やっぱり短子が話に聞く悪人とは思えない、何か行き違いがあるのではないか——というものだった。
少ない情報では、それくらいが限界だった。
「俺が考えて出した結論が間違ってるって可能性も当然あります。自信なんてないっすけど! それでも……結果的に間違ってるとしても、この違和感を無視したくないんです。無視するべきじゃないと……そう思うんです」
七男は、自分の目で真実を確かめたいと思っていた。
「だから教えてください。宿先生はどうしてこんなことをしたんですか?」
七男の切実な眼差しを受けて、菊男に希望が芽生える。
こいつを懐柔できれば——。
***
「佐助!」
短子が太郎坊の一撃を受け止めて、佐助を守る。
蓄積した疲労が、佐助の反応と動きを遅れさせていた。おかげで危ないところだった。
「悪い!」
「謝るんじゃねー! お前が謝るな!」
短子は目を擦った後、拳を構える。
太郎坊がイライラした声で言う。
「なんだ。お前も邪魔をするのか」
「そうだ。今この瞬間、俺は佐助の仲間だからな。俺も倒してから本命に行け」
言わず語らずとも、佐助と短子の考えは一つだった。
太郎坊から、なんとか羽団扇を奪うこと。
羽団扇さえなくなれば、恐れる理由はなくなる。
他の隊員たちが動けるようになる。
短子は「俺が取るからお前が隙を作れ」と目で合図する。佐助も「了解」と視線で返すと、太郎坊に切り掛かっていく。
「ぐっ……!」
佐助の肩から血が流れる。
体の節々が悲鳴をあげているが、今ここで自分が倒れれば——。
『佐助さん』
真っ先に小春の顔が浮かんだことを、佐助はこそばゆく思う。
守らなければいけない。
花が綻ぶような彼女の笑顔を。
自分を頼ってくれる隊員たちを。
あの方が与えてくれた、こんな俺が役に立てる大切な居場所を。
それと——友の望みを。
それら全てを守るために、ここで天狗なんかに負けるわけにはいかない。
「うああああ!!!」
凄まじい気迫を纏った佐助の刀が太郎坊の胸を一閃して、大量の血しぶきが舞った。
「今だ!」
「よっしゃ、でかした!」
短子が素早い手つきで、太郎坊の懐の羽団扇を掠め取った。
それを見た佐助は安心し、とっくに限界を迎えていた足が膝から崩れ落ちた。同時に太郎坊も気絶する。
「よし! これで——」
「どけ」
短子の喜ばしい声に被せるように、冷めた声が乱入してくる。
短子の体が吹っ飛ばされる。受け身もろくに取れなかった短子は、地面を転げ回った末に大きく吐血する。
佐助は予想外の事態に、度肝を抜かれた。
「お前……! どうしてここに……!」
太郎坊に気を取られるあまり、近づいてくる菊男に気づけなかった。
「お人よしの部下のおかげで助かったよ」
小馬鹿にしたように菊男は言った。
その言葉で気付いた。七男が解放したのだと。菊男とは知らず、短子だと思って。
「苦しいから足だけでも外してほしい、と言ってな。そしたらあいつ、気の毒そうな顔して足の拘束を解いてくれたよ」
七男は足くらいなら……と思ったのだろうが、菊男にとっては足だけでも解放されれば十分だったのだ。それだけで拘束を解くくらいの力は湧いてくる。
人とは元々の膂力が違うあやかしのことだ。何も不思議ではない。
「天はまだ俺を見放してはいなかったみたいだ。またあいつを殺せる機会を授けてくれたんだから」
菊男は高らかにその手にある羽団扇を掲げた。
まずい。これで羽団扇は再び敵の手に——。
「まっ……!」
佐助が伸ばした手は虚しく空を掴む。
まず真っ先に短子の命を狙いに行った菊男は、やっとの思いで立ち上がった短子の腹に助走付きの重い一撃を喰らわせる。
「ゴホッ……! ゲホッ! ゴホッ……!」
泉のように血を吹き出す短子の姿は、どう見てもこれ以上戦えないことが明白だった。
統一郎は利き腕が使い物にならない。離れたところにいる隊員たちは羽団扇が気がかりで動けない。
奴が殺したいのはもう一人いる。俺だ。短子の他に、ただ一人真実を知っている俺だ。
奴の殺害対象である俺だけが、この戦いに参加できる。
深く息を吸い、深く吐き出してから立ち上がる。
立ち上がった瞬間、目の前が白く霞んでいくが、頬をバチンと叩いて気合を入れる。
大丈夫だ。まだいける。まだ戦える。
まだ戦え。戦えなくても戦え。
自身への鼓舞を済ませると、佐助は地面を蹴った。
菊男が振り返った。その表情は「邪魔をするな」と言わんばかりの不快感に歪んでいた。
殺害する順番を佐助へと変更した菊男は、羽団扇をしっかり懐に入れて、拳を固く握りしめた。




