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第186話 潜伏の危険 ②

そのやり取りを、少し離れた場所から凛音と雫玖が見ていた。

凛音が小声で呟く。

「……うわ、また来たか、死神の営業マン」

雫玖も視線を向けたまま言う。

「チーフと黒野さんの交渉ね」

その視線の先では、黒と青のドレスをまとった綾香と歌波が、

大人びた落ち着いた所作で黒野へ挨拶し、会話に加わっていた。

雫玖はオシャングリーンのマーメイドドレスの裾を整えながら、

シャンパンの入った細いグラスを軽く傾ける。

隣でホワイトのドレスを見に包まれ、オレンジジュースのコップを持った凛音が、耳元で囁くように言った。

「綾香先輩と歌波ちゃん、よくあんな人に普通に対応できるよね」

「仕事だからでしょ。でも正直、関わりたくはないわよね」

そこへベランダから戻ってくる実瀬は二人に声を訊ね掛ける。

「凛音先輩、雫玖先輩、あの人は誰ですか?」

「レイモンドダイヤ社の黒野さん」

「その会社が聞いたことない」

「軍民用武器と異能応用技術開発の会社よ」

実瀬は驚く。

「そんな会社が……どうしてここに?」


「親会社の株主。それに、うちのセキュリティ顧問担当でもある」

少し間を置いて、雫玖が低く言う。

「……でも、一番興味があるのは。異能よね」

実瀬は息を呑む。

「……私には関係ない、ですよね」

凛音が即答した。

「むしろ関わらない方が幸いよ。下手に関係すると、イメージが変わる。命を奪う武器寄りのアイドルなんて、ファンにどう思われるか分からないでしょ」

実瀬は小さく頷く。

「……難しい話いですね」

異能者が存在する社会。怪人や怪獣による襲撃が日常的に起こるこの世界では、異能を持たない人間が自衛のために武器やマシンを所持・使用することは、法的にも一定の範囲で認められている。人外や異端の異能者に対抗する手段として、それは必要とされているからだ。

しかし、その一方で武器の普及は、社会の治安リスクを確実に押し上げる。

もしそれらが容易に流通すれば、悪意ある者や精神的に不安定な人間の手に渡り、重大な事件へと発展する可能性も高くなる。

そのため、武器の所持や使用に反対する声も決して少なくはない。

この問題は、社会全体で議論が続く大きなテーマの一つとなっている。

特に、公衆の注目を集める立場にある人物がどちらかの立場を安易に支持した場合、

一度貼られたイメージやレッテルは、簡単には覆せない。


しかし、その事を考えさせる余裕もないその時だった。

黒野の視線が、ゆっくりと実瀬へ向けられる。

目をつけられた。

次の歌を出番する凛音と雫玖が暫く席を外した、その一瞬の隙を突くように、黒野は迷いなく歩み寄り、声をかけてきた。

黒野が、実瀬に視線を向ける。

「君、今年の新メンバーだね?」

実瀬は少し緊張しながら答える。

「はい、赤星と言います」

黒野は目を細めた。

「知っている、君の姉はUCBD特務隊の人だろう?」

その一言で、実瀬の表情が固まる。

「……よくご存じですね」

黒野は笑った。

「この時代、調べれば何でも分かる」

そして本題に入る。

「昨日の緊急プレイ、見たぞ。異能もないのに、あの場に立つ度胸、君のことが気に入った」

先輩から聞いた本人の素性を知った実瀬は戸惑いながら頭を下げる。

「ありがとうございます……」

黒野は続けた。

「今、我が社で銃器プロモーションのモデルを探している。どうだ?受ける気があるか?」

空気が変わる。狼に睨まれたウサギのような気分を抱く実瀬は言葉に詰まる。

銃器のプロモーションなど、これまで一度も考えたことのない分野だった。

実瀬はわずかに表情を硬くし、無理に笑みを作る。

「はい……あまり詳しくない分野ですが……」

黒野は口元を歪める。

「当社のモデルとして起用するなら、報酬は保証する。損はさせないぞ」

その言葉に、実瀬はさらに言葉を詰まらせた。

笑顔を作ろうとしても、うまくできない。

――どう断ればいい……?

そんな迷いが、頭の中を巡る。

その時だった。

「黒野さん」

静かな声が割って入る。

「何だ、神木さんか?」

助けに来た綾香だった。

柔らかな物腰のまま、しかし一歩も引かない目で黒野を見据える。

「赤星さんは、まだデビューしたばかりの新人です。イメージを固めるには、今はまだ早い段階かと」

そして、自然な流れで実瀬に問いかける。

「赤星さん。銃の使用経験はありますか?」

実瀬は首を横に振る。

「いえ……防犯用のスタンガンも使ったことがありません」

綾香はそのまま黒野へ視線を戻す。

「でしたら、黒野さん、同年代向けのイメージモデルをお探しであれば、サバイバルゲームなどに親しんでいる方の方が適任ではないでしょうか」

黒野は一瞬だけ目を細め、すぐに笑みを浮かべた。

「なるほど。参考になる意見だ」

肩をすくめる。

「まあ、候補はいくらでもいる。ただ」

ちらりと実瀬を見る。

「特務隊で働く姉の妹、という肩書きは、なかなか面白い題材トピックだと思っただけだ」

そして軽く顎を上げた。

「赤星さん。気が変わったら優先的に話を回すぞ」

実瀬は一瞬言葉に詰まりながらも、丁寧に頭を下げる。

「……はい。考えさせていただきます」

「そうか。ゆっくり考えればいい」

黒野が踵を返そうとしたその時、綾香が静かに付け加える。

「それと、黒野さん」

黒野が振り返る。

「フェアリーズへの仕事の最終決定権は、すべてマネージャーにあります。もし正式なご提案であれば、エアーリアルズ担当の要永までご連絡ください」

黒野はふっと笑った。

「分かっている。こちらも、無理に押すつもりはない」

わずかに意味深な笑みを残す。

「だが、諦めが悪い性分でね」


黒野は尊大な態度のまま実瀬に背を向けると、何事もなかったかのように別のフェアリーへ声をかけ、去っていった。

 

黒野の背中が視界から消えた瞬間、実瀬は、ようやく張り詰めていた息を吐き出した。

「……はぁ……」

肩の力が抜ける。

そして、小さく頭を下げる。

「神木先輩……助けていただいて、ありがとうございました」

綾香は穏やかに微笑む。

「いいのよ。ああいう相手との交渉や対応も、大事な仕事のひとつだから」

少しだけ声の調子を引き締める。

「もし断りたい仕事なら、遠慮せずにはっきり言えばいい。相手が粘るようなら、マネージャーに任せればいいわ。きちんと対応してくれるから」

実瀬は素直に頷いた。

「はい……勉強になります」

綾香が軽く首を傾げる。

「赤星さん、ああいうタイプの人……苦手?」

実瀬は少しだけ視線を落とし、素直に答えた。

「……うん」

無理に隠そうとはしなかった。

 

綾香はその様子を見て、小さく息をつく。

黒野のことは初対面ではない。

株主として関わる立場を利用し、何度もフェアリーズに干渉してくる。

決して好ましい相手ではない。

それでも、綾香は静かに言った。

「気持ちは分かるわ」

「でもね、苦手な相手とも向き合うのは、アイドルとして避けられない仕事よ」

実瀬は顔を上げ、しっかりと頷いた。

「……分かりました、ありがとうございます」


黒野はその後も何度か企画の交渉を試みたが、話は進展せず、やがて興を失ったように会場を去っていった。


そして、一時間後。


6回目のデビューコンサートを祝う親睦会は、賑やかな余韻を残したまま、無事に幕を閉じた。


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