第180話 残熱、ラヌースの光
一時間後。
品川島を見下ろす空域。
爆煙はすでに散り、レナタが倒された現場には、直径四百メートルを超える巨大な窪地が残っていた。
まるで隕石が落下した後のクレーターのようだ。深さは約六メートル。
避難シェルターへ通じるエレベーターの縦穴が、中央にぽっかりと口を開けている。
周囲では救援用マシンが消火作業を続けていた。
幸いだったのは、討伐が行われたのが日曜の夜だったことだ。
この一帯は海外輸出入貨物の保管倉庫が並ぶ区域で、普段から人の往来は少ない。
さらにレナタ出現と同時に避難警報が発令され、ガニメデ号による救助支援も迅速に行われた。
その結果、討伐作戦に関わった者以外の負傷者は、わずかな人数に抑えられていた。
救助された民間人たちは、一時的に609スクエア広場へ搬送される。
そこには手当て用のテントや救急マシンが待機していた。
一方――
フェアリーズプロのデビューコンサートは、依然として熱気を失うことなく続いていた。
エアーリアルズによる緊急プレが二曲披露され、その後も五組のアーティストがそれぞれ二曲ずつ歌い上げる。
会場には、テンションを高めるアップテンポの楽曲はもちろん、心を癒すラブソングも響き渡る。
アニメやドラマの主題歌、ポップ、ロック、ミュージカル風の演出、ゆったりとしたリズムで感情を揺さぶるR&Bやジャズ、さらには演歌調の楽曲まで――。
色とりどりの音楽が次々と披露された。
そしてアンコール。
五曲に及ぶ大合唱。
新たにデビューした五人を含め、総勢三十名のフェアリーズが歌声を重ねる。
今夜のコンサートは最高潮へと達した。
アウトロが流れ、客席のペンライトが波のように揺れる。
フェアリーズの情熱と観客の歓声に包まれながら、コンサートは華やかに幕を下ろした。
*
どれほどの時間が過ぎたのか、陽太には分からなかった。
真っ黒な空間の中に、ただ意識だけが浮かんでいる。
やがて、ぼんやりと自分の存在を感じ始めた。
「……ここは、どこ?」
「僕は……まだレナタの体内にいるのか?」
陽太はそう呟きながら、足を踏み出す。
足元には浅い水溜まり。
かかとを浸すほどの水を踏むと、静かな水音が広がる。
冷たい水。
頬を撫でる柔らかな風。
どこからか漂う、正体の分からない安らぎの香り。
五感のすべてが、妙に鮮明だった。
夢とは思えないほどに。
陽太が一歩、また一歩と進むたび、水面に波紋が広がり、淡く光を反射していく。
そのときだった。
何も見えなかった暗い水の空間に、ふっと光が灯る。
眩しい光ではない。
夜明け前の空のような、柔らかな明るさ。
雲ひとつない無限の空。
そこには宝石の砂を撒いたように星々が輝いていた。
遠く水平線を見ると、水と空の境界が溶け合うように曖昧になっている。
陽太は周囲を見回す。
誰もいない世界。
「……レナタの体内じゃない」
「ここは……別の世界?」
果てしない水の世界に、ひとり立っている。
それをはっきり意識した瞬間、陽太は大きく息を吸い込んだ。
そして腹に力を入れ、叫ぶ。
「おーーい!誰かいませんかー!」
「僕の声が聞こえたら、返事してくださいーー!」
すると。
どこかで聞いたことのある、柔らかな女性の声が響いた。
「意識がちゃんと繋がったみたいね、もみ」
陽太は振り向く。
声の方向に、ぼんやりと人影が浮かび上がっていた。
輪郭が徐々に鮮明になっていく。
「……キュフィネさん?」
そこに立っていたのは、キュフィネだった。
だが、いつもの研究所の制服ではない。
袖も襟もない白い衣装。
首元には淡く光る白銀の首輪。
髪の間からは、海ぶどうのような触覚がもみあげのように胸元まで伸びている。
胸元からは、絹のように透明な帯が四本に分かれて腰や太腿を巡り、背中の仙骨付近で一つのボタンにまとめられていた。
ベルトの代わりに、へその位置に銀のボタンがあり、服のフィットを調整している。
下半身はマーメイドドレスを思わせるライン。
腰の両側からは、肌がわずかに覗いていた。
「お疲れさま、陽太くん」
キュフィネは穏やかに微笑んだ。
「ここは……どこですか?」
「ここは、私が作った精神世界もみ」
「陽太くんの意識が私と繋がったから、この空間に来たの」
研究所で見せる丁寧な口調とは違い、
どこか幼い、柔らかな話し方だった。
語尾に「もみ」と付く癖も、そのままだ。
陽太は周囲を見回す。
そして思い出したように尋ねた。
「戦いはどうなったの?レナタは……?」
キュフィネの杏色の瞳が、少し細くなる。キュフィネは、ほんの一瞬だけ、
大切なものを見るような目で陽太を見つめた。
「心配いらないもみ」
「陽太くんが燃え尽きるほど頑張ったおかげで、闇は消えた」
「もう、ゆっくり休んでいいもみ」
その言葉を聞いた瞬間、
陽太の胸に、澄んだ音楽のような安堵が広がった。
自分の心も、すっと軽くなる。
それでも陽太は、少し戸惑いながら呟いた。
「……そうなんだ……僕、勝ったんだ……」
キュフィネは首を横に振る。
「それより、大事なことがあるもみ。陽太くんに伝えなきゃいけないこと」
「……何ですか?」
キュフィネは静かに言った。
「君は、ラヌースの光を宿す子」
「ラヌースの光?」
陽太の脳裏に、初めてキュフィネと出会ったときの言葉がよぎる。
「遠い昔、流放されたカプテリオン星人の王子と、陽太くんのご先祖が蒔いた種。それが今、芽生えたもみ」
陽太は思わず言った。
「……カプテリオン星人?」
「それって……遺伝子のこと?」
キュフィネは笑う。
「そうそう。遠い昔に地球で埋めた種、だから陽太くんは、その力を持っているもみ」
「……つまり」
「僕はカプテリオン星人と地球人ハーフの子孫?」
キュフィネは少し考え、
「そう言えるかもしれないもみ」
と答えた。
「じゃあ……カプテリオン星人の星はどこに?」
キュフィネは空を見上げる。
「陽太くんが、長い間にずっと見上げてきた青い星もみ」
陽太は息を呑む。
「……まさか、ヴァリテリオン?」
キュフィネは微笑んだ。
「地球の言葉で言うなら、運命ってやつかもしれないもみ」
「それなら……カプテリオン星人の皆は、ラヌースの光を宿しているんですか?」
陽太の問いに、キュフィネは小さく首を振った。
「そうでもないもみ。
ラヌースの光は、特定の種族だけが持つ固有の力ではないもみ。
けれど――その光を宿した命は、みんな同じ」
彼女は柔らかく微笑む。
「まるで、太陽が燃えるように輝くみたいに……
心の奥で、強く光っているもみ」
陽太は少し戸惑いながら、もう一つ尋ねた。
「……どうして、このことを僕に教えてくれるんですか?」
キュフィネは静かに答える。
「この秘密は、陽太くんが知るべきものだからもみ」
「僕が……ラヌースの光を宿している人間だから?」
キュフィネは今度は答えず、ゆっくりと視線を空へ向けた。
遠く高い星空を見つめながら、静かに呟く。
「……明日が、穏やかな風の吹く日になりますように……もみ」
その横顔を見つめていると――
ぽつり、と
どこかで雫が落ちたような音がした。
次の瞬間、風が少し強く吹く。
小さな彼女の姿は、淡い光の粒となって霧のようにほどけていき――
やがて、空間の中へ静かに消えていった。
それと同時に、陽太の意識もゆっくりと遠のいていく。




