第151話 嵐の前の静穏 ①
それから二日後、〈レナタ〉はネオ長春市を襲撃した。
ほぼ成獣に近い段階まで成長したその巨体は、全高300メートルを超え、背中からは太さ一メートル以上のワーム状の首が百本も伸びていた。その姿は、まるで百岐大蛇が山に絡みつくかのようで、都市は壊滅的な被害を受けた。
現地のUCBDは戦闘マシン32機を投入して迎撃にあたったが、その八割が撃墜され、与えた損傷も〈レナタ〉の再生能力の前では、ほとんど無意味な抵抗に見えた。
センターアジアに拠点を持つジャイアントウォーリア第3号柱――バンナタックスが現場に到着する前に、〈レナタ〉はすでに撤退していた。
それ以来、〈レナタ〉の姿は忽然と消え、まるで世界から蒸発したかのように目撃情報が途絶えた。
日曜日、午前十時過ぎ。浮遊電車が品川島へと滑り込む。
高度800メートルに浮かぶ空島。面積はおよそ20平方キロメートル。反重力コアシステムの発明によって、人類は地上という制約から解き放たれ、こうした空島都市を築けるようになった。
ネオ東京上空には現在、三つの空島が存在する。
政府機関が集中する千代田島、商業と国際ゲートの要衝である品川島、そして東京湾上空に広がる高級住宅地・新台場島。さらに建設中の空島も複数ある。
品川島には、空港を兼ねた大型船艦の発着場、貨物倉庫、商社ビル群、十階以下の集合住宅が立ち並び、今夜フェアリーズプロのコンサートが行われるスタジアムと、
609スクエア・ショッピングモールがその中心に位置していた。
遠目にも、スタジアム周辺にはすでに凄まじい人の列ができているのが見える。
それを見た陽菜が、指を差して明るく声を上げた。
「お兄ちゃん、見て! もうあんなに人が並んでるよ!」
白とオレンジのウィンドブレーカーにTシャツ、スカートという動きやすい服装に、歩きやすいスニーカー。一方の陽太は、天文好きらしくTシャツにデニムショートパンツという軽装だ。
「二階席は自由席だから、早く来た人の方が良い場所を取れるはずだけど……それにしても、この列、数百メートルはあるよね。開場までまだ5時間もあるのに……」
「さすが、近年トップクラスの女子アイドルグループだね。
でもさ、せっかくイレアナさん本人からもらったVIPチケット、使わなくて本当にいいの?」
「うん。〈レナタ〉は姿を消して三日経った。紅先輩の予知によれば、必ず東京に戻ってくる。コンサート会場が狙われる可能性が高い。今は鑑賞してる場合じゃない」
陽太はそう言って、話題を切り替えた。
「それより、買い物は何を買うんだ?」
「もう決めてあるよ。今日はちゃんと付き合ってもらうからね」
――陽菜の買い物は、たぶんノープランでぶらぶらだろうな。
「でも、映画はダメだからね」
「大丈夫。夜七時の回でしょ?『銀河戦士・相剋の銀河』。再上映されてるの」
「去年、三回も観たやつだろ?」
「そうそう。好きなんだもん」
否定もせず、陽菜は微笑む。
「状況次第でスルーしてもいいよ。シャドマイラが出たら、映画どころじゃないし」
そう呟いた陽太は、ふっと首を伸ばした。
列車内の頭上には、投影スクリーンにニュース映像が映し出されている。
報道によれば、都内に展開していたUCBD隊の屯駐拠点は、これまでの十か所から五か所へと再編され、ネオ東京の西北部から南部にかけて重点配置される形へと変更されたという。取材を受けていた渋谷拠点の長官は、
『国内のみならず、海外の複数州郡が壊滅的な被害を受けている中で、なぜレナタ討伐に向けて都内拠点を減らしたのか』
というマスコミの問いに対し、次のように説明していた。
拠点数の縮減は単なる後退ではなく、兵力の精鋭化と装備の強化を目的とした再編であり、より迅速かつ柔軟に対応できる万全の体制を整えるための判断である。
ニュースはそうした趣旨を強調していた。
〈曇り時々晴れ。雲量70%。午後から雲が増える見込み〉
浮遊電車が停車し、二人は改札を抜けて609スクエアへ向かう。
上空から見る609スクエアは、Ω字型を描く10階建ての巨大施設だった。
左右ブロック5階と7階でが外棟と連絡通路が繋がり、その先にはホテル、美術館、劇場、展示場が立ち並ぶ。
強化ガラスの屋根が空を映し、陽菜は楽しそうに先を歩く。
半歩後ろを、陽太がついていった。
広場では、噴水ではしゃぐ兄妹と、それを見守る母親たちの姿があった。
陽菜は足を止め、しばしその光景を見つめる。
「……昔、ああいうこと、あったよね」
「噴水の話?」
「お父さんがアメリカで特訓してた頃、球場近くの広場で遊んだでしょ」
「……ああ、あったかも?」
「私、三歳くらいかな」
「随分前だね」
「懐かしいね……」
その笑顔には、かすかな切なさが滲んでいた。
「……そうだね。
そういえば、今日は陽射しが弱いね。雲が多くて、外は少し霞んで見える」
そう言った陽太に、陽菜はむっとした表情を浮かべ、頬をぷくっと膨らませる。
「お兄ちゃん、また太陽観測してるの?今日は一日、買い物に付き合うって約束したでしょ」
「ごめん。つい、見ちゃって」
「もし赤星さんとデートしてる時に、そんなことしたら、絶対怒られるわよ」
「そうかな?」
「太陽オタクって思われてもいいの?」
ツッコミがいまいち効いていない様子で、陽太は首を傾げた。
「……太陽オタク?」
「とにかく。彼女の前でイメージを下げるような真似、しちゃダメだからね」
「うん、分かった」
「今日一日、天文観測は禁止。タブよ、タブ」
それは、さっきの切ない話題を水に流すために、わざと明るく振る舞った陽菜なりの気遣いだった。
「……分かったよ。じゃあ、次はどこに行きたい?」
「こちらにいっこうよ」
陽菜は楽しそうに頷き、陽太の手を引いてモールへ入っていった。




