第148話 それぞれの想い ①
陽太が歩いている歩道橋の先に、ビル群の隙間から、フェアリーズプロダクションのビルが見えた。
その最上階には、五十畳ほどの広さを持つトレーニングジムがある。
掃き出し窓沿いには、ジョギングマシン、クロストレーナー、エアロバイクが十数台。
奥には筋力トレーニング用のマシンとベンチが整然と並んでいた。
ポニーテールを揺らしながら、天木小依がジョギングマシンを力強く走っている。視線は街の遠景に向けられたままだ。
今白栞成はクロストレーナーで大股のステップを刻み、体幹と持久力を鍛えている。
二人にとって、これはコンサート前でも欠かさない日課だった。
少し離れた場所では、木下心実が十分間の縄跳びを終え、呼吸を整えている。
ツーサイドアップの髪が、軽やかに揺れた。
さらに奥。身長167センチほど、艶やかな肢体を持つ女性が、流れるような動きで踊っている。
ワンレンズ型のVRゴーグル越しに映るのは、リズムチャレンジゲームの仮想ステージ。
高速で飛来する光のステップマーカーを、正確なフォームで踏み抜いていく。
選ばれているのは、かなりテンポの速い楽曲。
それでも彼女は一切乱れず、玄人レベルのダンスを踊り切っていた。
やがてジョギングマシンが鋭い電子音を鳴らし、プログラム終了を告げる。
ベルトの速度が落ち、小依はクールダウンの歩行に移ってからマシンを降りた。
汗に濡れた小依は、ウォーターサーバーから水を注いで一気に飲む。
タオルで額を拭き、荒い息を整えた。
(……まだ、足りない)
今日も先輩たちの助言を受け、五度以上通し練習を重ねた。
ダンスのミスは減ったが、歌と表情がまだ自然にならない。
この状態でステージに立てるのか。
不安が、小依の胸に重くのしかかる。
休憩のためベンチエリアへ向かうと、先ほどVRダンスをしていた少女が座っていた。
腰まで伸びたマンダリンオレンジの髪を、背後で一本の三つ編みにまとめ、左右に流した髪も丁寧に編み込んでいる。まるで縄細工のように整った髪型だ。
VRゴーグルを外した素顔は、文句なしの美貌。街を歩けば、男女問わず十人中九人が振り返るだろう。
ミッドナイトブルーの競泳水着姿でスポーツボトルを口に運ぶ様子から、先ほどまで泳いでいたことがうかがえた。
少し離れた場所には心実も座っている。
声をかけようとしては躊躇い、MPデバイスをいじっていた。
小依は緊張を押さえ、控えめに声をかける。
「お疲れさまです……五十嵐先輩、木下先輩。あの……お隣、座ってもいいでしょうか?」
セイレーンズ所属の五十嵐歌波は、澄んだ声で微笑んだ。
「どうぞ。気軽に座って」
「天木さん、こちらにどうぞ」
心実がそう言って席を詰める。
「ありがとうございます」
小依は深く頭を下げ、空いたベンチに腰を下ろした。
――コンサートまで、あとわずか。
それなのに自分はまだ不完全で、チームの足を引っ張っている。
小依は思わず溜め息をついた。
心実が顔を向け、心配そうに尋ねる。
「具合、よくないんですか?」
小依は首を横に振る。
「ううん……悩んでるだけ。もうすぐコンサートなのに、自分がどんな顔をして、どんなふうに立てばいいのか……全然自信がなくて」
「でも、昨日よりずっと良くなってましたよ?何回も調整して……」
「ミスしないようにって、音楽が始まったらずっと動きと移動だけに集中しちゃって……。どんな顔をしてるのか、自分でも分からなかった。
このまま本番に立ったら、きっと崩れると思う……」
心実が少し考えるように言う。
「天木さん、自分に“完璧”を求めすぎてるんじゃないですか?」
「それだけじゃなくて……先輩たちも、チームのみんなもレベルが高いから。追いつかなきゃって思って……」
「確かにそうです。でも、天木さんはダンスも歌も“得意”じゃない。苦手なものは誰にだってあるし、みんな分かってますよ。ここ数日間の頑張り、ちゃんと見てました。誰も天木さんを責めないです」
心実は優しく続けた。
「だから、今まで積み上げてきた自分を、そのままステージに出せばいい。それだけで十分です」
「……でも、怖いです。先輩たちは、デビューコンにどんな気持ちで向かったんですか?」
心実は少し首を伸ばし、昨年の自分を思い出すように言う。
「そうですね……私はアイトバラスの中でも“地味”って言われがちでした。それでも負けたくなくて必死にレッスンして。得意なものが少ないって分かってても……せめて悔いが残らないように、自分のできる限りを見せたいって思ってました」
心実は歌波に視線を向ける。
「五十嵐さんは?」
歌波は遠慮なく、自分の経験を語り始めた。
「あたしは実家のパン屋を宣伝したくて、地元の商店街の歌コンテストとか、美人コンテストとか……色々出たことはある。でも“数万人が見るステージ”は初めてだった」
歌波は少しだけ目を細める。
「だから、ファンを楽しませたい一心で、完璧を求めて、昼夜問わず見せ方を刻み込んだ。それでも足りない気がして……悩んだよ」
「五十嵐さんでも、そんなふうに?」
「あるよ。未熟な時期は、誰だってね」
「じゃあ……どうやって解いたんですか?」
歌波は懐かしそうに笑った。
「自然に解けた。デビューコン当日、満席の会場とサーチライトを浴びた瞬間、悩みが全部、消えたんだ。興奮で身体が震えて……考えるのをやめて、自分の全部を投げ出すつもりで踊った」
「あとで思ったよ。悩みは、ただの杞憂だったって。
ミスとか失敗とか、どうでもいい。
レッスンして、練習した自分を信じて出ればいい。
未熟でも、構わない。ミスしたら、終わってから反省すればいい。
次のステージに向けて、また積み上げればいいんだから」
小依は唇を噛み、震える声で言う。
「……私には、先輩たちみたいに割り切れません。ダンスは苦手で、歌も平凡で……。最初のコンサートで、鈍くさい自分を見せたくない。
足手まといだって思われるのが、恥ずかしいんです……」
歌波は少し間を置いて、提案する。
「じゃあさ。演じるのはどう?ステージの上だけでいい。明るくて自信満々なキャラを演じる。気持ちも動きも、そのキャラに合わせて」
心実がぱっと顔を上げる。
「それ、いいですね!天木さん、お芝居が強みじゃないですか」
小依は迷いながら言った。
「でも……今まで演じた舞姫役って、呪われて声を失う姫とか、蛇女に変えられる姫とか……陰謀に嵌められて犠牲になる役で……。今回のエアーリアルズのコンセプトと合わなくて」
歌波は気楽に言う。
「物語のキャラじゃなくてもいい。現実の誰かを真似したっていいじゃん。天木さん、憧れてるアイドルとかいるでしょ?」
「……勝手に真似したら、怒られませんか?」
「ステージの上だけなら、誰も気づかないよ。気質と性格を借りるだけだし」
小依は、少しずつ表情を明るくした。
「……それなら。できるかもしれません。ありがとうございます。五十嵐先輩、木下先輩……やってみます」
歌波の提案を受け入れた小依の脳裏に、すぐに憧れが浮かんだ。
(……愛川先輩みたいに、明るくて堂々とできたら――先輩の事をもっと調べてみると、完璧にキャライメージをトレスーできるかも……私、頑張る!)
迷いの森に道が見えたように、小依は真剣な笑みを浮かべた。




