第138話 悩みの子と嫉妬の才女 ⑤
チャンネルパフォーマンスからアイドルへデビューした実瀬は、
柚奈の気持ちがまったく理解できないわけではなかった。
だが、ジャリタレとして育ち、幼い頃から親の期待と世間の視線の中で生きてきた柚奈の重圧が、どれほどの重さなのか。
それを想像するには、実瀬自身まだ若すぎた。
神木綾香はトイレから出ると、ふとベランダへ通じる扉に目が止まった。
静かに開いたガラス越しに見えたのは、
背中まで流れるロングヘアをハーフツインテールに結び、黒紫のリボンを揺らす柚奈の姿。
ベランダの欄干に両手を添え、無言のまま街並みを見下ろしている。
コンサートホールでの彼女のパフォーマンスを見て気になった綾香は、
そっと外へ出て隣に立った。
7畳ほどの広いベランダには芝生と大理石の敷石。
花壇には草花が並び、欄干の向こうに広がる眺望ガラス。
五人でラジオ体操でもできそうなほど十分に広い。
雨上がりの湿った風が頬を掠め、灰色の厚い雲の隙間から光が漏れる。
ビルの窓が金色に反射し、遠く南の空には大型マシンが空島の空港へ着陸していく姿があった。柚奈はその景色を無表情のまま眺めていた。
「……雨、上がったみたいね」
気配を感じたのか、柚奈は視線を動かさずに短く応じる。
「またすぐ降るかもしれない」
綾香は柚奈の隣に並び、同じく街の光景へ目を向けた。
「デビューコン、成功させたいって……思っている?」
その問いに、柚奈はハッと顔を向き合う。
「あっ、神木先輩……!す、すみません。さっきの態度……」
慌てて深く頭を下げる。
綾香は小さく微笑んだ。
「気にしなくていいわ。フェアリーズ同士に上下関係はそこまでないし」
「……そうですか」
「最近、ずっと焦ってるみたいだけど、合わなくて困ってる事情、何かある?」
その声は冷静でクールなのに、不思議と温度を含んでいる。
柚奈の肩がびくりと揺れた。
「いえ……個人的な問題で、コンサートとは関係ありません」
「元ジャリタレとしてデビューした気持ち、分かる気がする。
重たいプレッシャー、背負ってるんじゃない?」
「……それは、もう慣れています。生まれた時から、そういう定めでしたし。
それにしても、世間の期待に応えるのは、アイドルとして当然のことです」
「個人的なことか。ご両親……浅井さんがアイドルの道に進むこと、反対してる?」
その瞬間、柚奈の眉がぴくりと動いた。
表情はすぐ崩れたが、ドンピシャで当たった。
「…………」
言葉が喉につかえ、口元がわずかに歪む。
「無理に話さなくていいのよ。
私の経験が役に立つか分からないけれど、聞き流してくれても構わない」
「いえ……。神木先輩のお話、聞かせていただけるのは……嬉しいです」
綾香はそっと視線を遠くへ向け、思い出を語り始めた。
「小さい頃からね、父に俳優になれってよく言われてたの」
「先輩のお父様……映画監督ですよね?」
「ええ。だから、私がフェアリーズのオーディションを受けた時、
父は猛反対した。アイドルは仕事が複雑。プライベートが少ない。ストレスが大きい。賞味期限も短いってね。アイドルを始めるメリットなんて一つもない、と」
柚奈は真剣に耳を傾け、自然と問いがこぼれる。
「……先輩を辞めさせるために?」
「そう。しかも内気で人間関係が苦手な私には向かないって、
最初から見下されてた。それでも私はオーディションを受けて、アイドルとしてデビューした」
「ご両親は……認めてくれたんですか?」
「最初は全然。契約書の保護者署名も父は拒否して、母に頼み込んでやっと……。
そのせいで、初期の頃はほんとに関係最悪だった。
トラブルがあっても、悩んでいても、父は一度も助けなかった」
「それは……保護者としてひどいのでは……」
「ううん。父は自分で選んだ道なら、自分で責任をとれと教えたかったの。
その厳しさがあったから、私は自分の力で乗り越えられた。
仲間たちに支えられて……気づけば、私はここまで来られた」
柚奈の目がわずかに揺れた。
「では、お父様と仲良くなったのは……?」
「父の映画に出演した時かな。アイドルとして、一人前プロ俳優の表現力を備えると、雑誌のインタビューで言ってくれた。……あれは嬉しかった。でも、そんな厳しいお父さんとまた一緒に仕事したいけれど、もうできなかった」
「撮影現場にシャドマイラが襲撃られた事故があったんですね……」
「ええ」
綾香はうなずき、真っ直ぐ柚奈へ向き直る。
「浅井さんは……どんな気持ちでフェアリーズに入ったの?」
柚奈は小さく息を吸い、静かに言った。
「……親の差した笠から離れたかったんです。
うちの両親は有名人。顔も広くて……
デビューしたいなら、いくらでも親の力を借りられる環境です。
でも私は、自分の力で証明したかった。
私は私自身の実力で、スーパーアイドルになれるって」
綾香は優しく笑った。
「……なるほど。
君は才能だけじゃない。
志と度胸も持ってる。
最初から、私よりずっと強い武器を持っていたのね」
「そんなこと……ないと思います」
「じゃあ、ご両親が反対している理由は?」
柚奈は観念したように息を吐き、小さく語った。
「……フェアリーズのオーディションの日程が、
特撮の試聴会と、カラオケ大会番組と重なったんです。
私は、こちらを選びました。
父は何も言いませんでしたが……
母は、ドタキャンだと怒り……フェアリーズプロに、あまり良い印象を持っていません。
それに、私は1番席を取らなければ許さないと言われました。
この前の勝負で赤星さんに負けた時……とても怒られて……
エアーリアルズのクイーンとしてデビューできなかったのは恥だと言われました……」
そこまで話すと、柚奈の指先がわずかに震えた。
綾香は静かに目を細めた。
「だから、焦っていたのね」
「……はい」
「でも、そのプレッシャーを全部チームに向けたのはダメよ?
フェアリーズはグループで行動する」
柚奈は悔しそうに唇を噛んだ。
「……チームの実力が低いと、私の評価も落ちるから……」
綾香は怒らず、冷静に諭すように言った。
「浅井さん。あまり威圧的な態度で仲間に接すると、敬遠される。
誤解され、孤立して……それは君自身の未来にも影響する。
新生チームにおいて、最初に求められるのは信頼。
チーム内の信頼が築けないユニットは、仕事で必ずトラブルを起こす。
君が目指すスーパーアイドルから、むしろ遠ざかってしまうわ」
柚奈は首を垂れ、静かに問い返した。
「……先輩。私は、どうすれば……?」
綾香は即答した。
「信じること。仲間を信じて、自分のすべてを魅せる。
君が本気で走れば、他の四人も必ず追いつく。
そういう子たちよ、エアーリアルズの子たちは」
「……でも、口を出さなければ、みんな怠けるのでは……」
綾香はいたずら気味に笑った。
「浅井さん。エアーリアルズの残り四人は、いえ、フェアリーズの仲にはそんな人がいない、皆はそれぞれ才能が恵まれて、頑張っている。
みんなは器と成長のペースが違うでも、同じスーパーアイドルを目指すから、
君が油断していれば、いつか追い抜かれるかもよ」
その言葉に、実瀬に負けたことを思い出して、柚奈の目が鋭く細める。
「……そうはさせません。私は、必ずリベンジします」




