第137話 悩みの子と嫉妬の才女 ④
実瀬たちは休憩も挟まず、同じ曲を五回も繰り返して練習を続けた。
それから二時間後。
ビル13階、アイトバラス専用フロアのリビング。
空間の設計から家具の配置に至るまで、すべてがモデルルームのように工夫されており、開放的でありながら「自宅のリビング」のようにくつろげる雰囲気になっている。奥へと伸びる細い廊下の先には、宿泊用の部屋が五つ、その手前にトイレとスタジオルームのドアが並んでいた。
オープンタイプのミニバーには、十種類のジュースマシンとウォーターサーバーが並び、皿には市販のチョコレート、ナッツミックス、駄菓子、ティーバッグがきれいに並べられている。奥のシステムキッチンのカウンターには、業務用の大型コーヒーメーカーが鎮座していた。
赤星実瀬、稲穂晴妃、愛川凛音、ほか数名のフェアリーズは、葵結の誘いでここに集まっていた。
カウンターテーブルの上には、手作りのイチゴタルト、ガトーショコラ、オレンジムースケーキ、さらにクッキーや季節の果物が並び、バイキング形式のアフタヌーンティーが用意されている。
料理番組の定番MCを務める葵結は、仕事だけでなくプライベートでも料理上手で、こうして時々、手料理やスイーツでフェアリーズの姉妹たちをもてなすのが常だ。
コーヒーの香りがふんわり漂う、リラックスムードのリビング。日系の顔立ちに
金髪碧眼、腰まで伸びた三つ編みのおさげが揺れる少女、トンティの華恋・和泉・クリフォードは、エスプレッソをカップに注ぎ、そこへホットミルクを注ぎ足しながら、ミルクフォームの上に動物や花のラテアートを描いていく。
追加で注文されたホットラテ二杯とアイスコーヒー、アイスキャラメルマキアートをカウンターに並べると、背中まで流れる艶やかな黒髪をハーフアップにまとめ、後ろで真珠のバレッタを留めた美島澄果が、そっと声をかけた。
「華恋ちゃん、運ぶの手伝うね」
トレイを両手で持ち上げながら、柔らかく微笑む。
「あっ、澄ちゃん先輩、ありがとう!助かるよ」
華恋は明るく応じつつ、次のカップにラテアートを描き続けた。
有機的な曲線を描くローテーブルの上には、三つ並んだグラス、メロンソーダ、クリームラムネソーダ、コーラ。その脇には、五角星と葉っぱ、そして優唯の描いたマンガ風キャラがラテアートで描かれたホットラテ。さらに、各フェアリーが選んだケーキや果物を乗せた八人分の皿が整然と並んでいる。
横に三つ並べられ、十人でも座れそうなくらいの大きなソファ。その周囲には背もたれ付きのクッションチェアが三脚、ローテーブルを囲むように配置されていた。
左側には、アイスブルーのロングヘアを一部三つ編みにしてツイン団子にまとめた子、その隣には凛音が肩を並べて座っている。
右側の外側では、晴妃がコーラの入ったグラスを手にストローを噛みながら飲み、その横に一席分のスペースを空けたところで優唯が話している。実瀬はほぼ中央の席に腰掛けていた。
「葵結さんのホットラテ、持ってきました」
澄果がトレイを手に近づくと、茶色のソファに座っていた葵結が振り向いた。
「菊と猫、どっちがいい?」
「じゃあ、猫さんのほうでお願いします」
澄果は、猫のラテアートが描かれたマグカップを葵結の前にそっと置いた。
「ありがとう」
「アイスコーヒーとアイスキャラメルマキアートは、どなたが頼まれました?」
澄果が問いかけると、優唯が顔を上げて答える。
「アイスコーヒーはレイちゃんの。マキアートは柚奈ちゃんの分だよ」
「分かりました」
葵結も立ち上がり、澄果と一緒に二つのグラスをそれぞれ空いている席へ運ぶ。
その後、澄果は菊のラテが描かれたカップを自分の席へと運び、同じチームの四葉雫玖の隣に腰を下ろした。
ホットラテを一口飲んだ実瀬は、カップをソーサーに戻し、ふっと小さく息を吐いた。
「実瀬ちゃん、今、ため息ついたよね。何か悩みごと?」
優唯に問われ、実瀬は、コンサート直前にこんな話をしていいのかどうか迷いながら、ゆっくり答えた。
「うん……少しだけ、ですけど。デビューコンの前に口にするのは、ちょっとよくないかなって思って」
「出演に関して?でも、五人の中だと、一番安定して見えるのは実瀬ちゃんだと思うけど」
実瀬はゆるく首を横に振る。
「いえ……そういうことじゃ、なくて」
葵結が、若いママのような慈しみのこもった声で続ける。
「悩んでるなら、ちゃんと口に出したほうがいいわ。胸の中に詰め込んだままだと、知らないうちに心も身体も壊れちゃうよ」
その言葉に、澄果ははっとしたように目を伏せた。
自分自身が溜め込みすぎて倒れた経験を持っているからこそ、胸に刺さる。
晴妃は腹の底から通る声で、あっけらかんと言った。
「そうそう。君は、まだ感情を切り離した完璧な演技なんてできるほど器用じゃないんだからさ。心の問題は、確実にパフォーマンスに影響するよ。解決できるかどうか分からないけど、少なくとも今話せるチャンスはここしかないと思うよ?」
実瀬は、凛音のグラスに入ったメロンソーダを見つめるようにして言葉を探した。
「……エアーリアルズのクイーンとして、チームを引っ張る役目を果たせていない気がして。みんながバラバラなままコンサートに向かってしまって……。
どうにかしたいのに、方法が分からなくて。
クイーン失格なんじゃないかって……思ってしまうんです」
華恋は、両手にジンジャーエールと、チーズケーキとイチゴタルトを乗せた皿を持ってきて、ローテーブルにそっと置くと、静かに椅子へ腰を下ろした。
話の重さを感じ、優唯が優しく問いかける。
「どうして、そう思うの? 実瀬ちゃんは、十分よくやっているように見えるけど」
実瀬は目を伏せ、テーブル上のオレンジムースケーキを見つめながら、自分を責めるように続ける。
「チーム全体として、どのレベルでステージに立つのか。
心構えが甘くて、プロとしては、まだまだ未熟で……。
みんな、才能は十分なのに、基本のダンスと歌の合わせすら上手くいかない。
時々思ってしまうんです。クイーンの席をもらうのは、私にはまだ早すぎたんじゃないかって……」
優唯は、その言葉を聞いて、少し切なそうな顔をした。
「実瀬ちゃん……自分を責めすぎないで。焦りは禁物だよ。
プロって言われてもさ、最初の一歩から最高ランクで立てる人なんて、ほとんどいない。芸能経験があるかどうかなんて関係ない。
デビューしたばかりのグループなんて、未熟で当たり前。
プロ、スーパーアイドルって肩書きは、活動しながら追いかけていく目標なの」
優唯の言葉に続けて、凛音も明るい調子で付け加える。
「そうそう。プロ入りは、アイドル業界の入場券をもらっただけ。
ステージに立った日が、スタート地点。そこから全部が始まるんだよ」
「……あの、マネージャーから聞いたんですけど、チームによってクイーンの決め方が違うって。先輩方のチームでは、クイーンをどうやって決めたんですか?
参考までに教えてもらえませんか?」
凛音が、隣に座る雫玖をちらりと見る。
「クイーンの決め方ね。確かにチームごとに違うよね。ねえ〜〜雫玖ちゃん?」
アイスブルーの長い髪、海を思わせるサファイア色の瞳。
ミルクのような柔らかな白い肌は、光を受けてほのかに輝いて見える。
耳の付け根からは、透明なヒレのようなものが後ろに伸びていた。
四葉雫玖は、一秒前までおとなしい雰囲気をまとっていたが、話を振られると、ぱっと陽射しのような笑顔になって答えた。
「ええ。セイレーンズの場合、最初から芸能経験があったのは澄ちゃんだけなんです。
でも、チームの知名度とか評価とか、その責任をクイーン一人に背負わせるのは違う気がして。
海族の感覚だと、皆は大家族みたいに、責任は五人で一緒に受け止めるものなんです。
だから、押し寄せてくる波には、五人で並んで立つほうが自然だなって。……ですよね、澄ちゃん?」
澄果は頬を赤らめて、肩を縮こまらせる。
「私のメンタルが、もっと強くて大きかったら……みんなに余計な負担かけずに済むのに」
「いいの、いいの。それがセイレーンズの五人でしょ。
だから今のセイレーンズには、固定のクイーンはいないの。
ただ、メディア的に分かりやすくするために、三か月ごとにローテーションで
クイーンを変えてるだけ。晴妃ちゃんたちエルトヴァイズも、似た方針だよね?」
晴妃が頷く。
「まあ、クイーンの席って、誰か一人の特権じゃないと思ってるし。
みんなのメンタルやリーダーシップを鍛える意味もあって、エルトヴァイズは毎月クイーンを入れ替えてる。他の四人は、支えるだけじゃなくて、いざというとき一緒に柱になるって前提でね」
「でも、毎月フェアリーズって人気投票やってませんでしたっけ?」
「アレはただの話題作りよ。メディアとファンを楽しませるためのお祭り。
結果がどうであっても、チームの中で気にする子なんていないし、一番人気を取った子がいれば、みんなで素直に喜ぶ。
うちのチームのテーゼは、信頼は五人で固める大地。
楽しいときも、悲しいときも、どんな時でも、みんな一緒だ」
「なるほど……。葵結ママのチームは?」
フェアリーズの妹たちからママと呼ばれることに、葵結はどこか照れながらも嬉しそうに頬へ手を当てる。
「うち、アイトバラスはね。
最初に林檎ちゃんが、織田信長の孫娘として天下の心を掴むなんて宣言したから。クイーンは最初から林檎って全員一致で決まった、それ以来ずっと変わってないの」
同じユニットの華恋も笑いながら言う。
「林檎ちゃん、欲張りだけどさ。毎回はっきりした目標立てて、有言実行しちゃうのは本当にすごいと思う。そのぶんトラブルのときは、マネージャーだけじゃなくて、みんなも結構大変だったけどね。実際、クイーンを支えてるのは葵結ママと乃波ちゃんだよね」
「乃ちゃんは、うちのチームの半兵衛さんみたいな子だからね。
穏やかでマイペースだけど、すごく頼りになるよ」
「『グレムリンズ』は?」
凛音が答える。
「表向きのクイーンは葵ちゃんだけど、裏でチームを締めてるのはクニュッペルさんだね」
「確かに、日比野先輩より、クニュッペル先輩って厳しいイメージ強いかも」
晴妃は腕を組み、真剣な表情で言う。
「グレムリンズはね、最初から経験豊富な葵がクイーンって決まってたの。
今は暗黙的になってるけど、ドロテーア自身はクイーンという肩書きを望んでいない。でも、彼女は他人以上に自分に厳しいタイプなのよ」
「……ちょっと浅井さんと似てるかもですね。
そんな鬼のように厳しいクニュッペル先輩が、どうして自分でクイーンを取りに行かなかったんでしょう」
「ドロテーアは、虚名はいらないってハッキリ言ってるからね。
葵はしっかりクイーンをやってるし、二人はすごく気が合う。
だから、わざわざ自分が前に出る必要を感じてないんだと思う」
晴妃の言葉に、優唯も重ねる。
「ドロちゃんは、自分ひとりの名声より、フェアリーズ全体が成長していく姿のほうが嬉しいって言ってたよ」
「じゃあ、クニュッペル先輩があんなに厳しい指導をしたのは……」
「エアーリアルズに、ものすごく期待しているから。
葵結ママとは別のやり方だけど、彼女も誰よりフェアリーズプロを愛してる人だからね」
そこまで聞いて、実瀬はようやく理解したように息をついた。
厳しい言葉の裏にある、本当の想いを少しだけ感じ取れた気がした。
「……そういうこと、なんですね」
「さて、一通りいろんなチームの話を回ったし、最後は優唯の番かな?」
凛音が軽くボールを投げるように話を振ると、優唯は少し照れたように笑う。
「私のチーム、か……」
「マネージャーさんから聞きましたけど、ヴァルトヴァイプフェンズのクイーンって、この六年間ずっと優唯先輩なんですよね。本当ですか?」
「うん……。別に私がずっとクイーンやりたいって言ったわけじゃないんだけどね。
いろいろ事情があって」
「いろいろ……ですか?」
優唯は少し苦笑いしながら、飾らない口調で話し始める。
「ジュリーさんは、言葉の壁もあってコミュニケーション面で苦労しそうだからって遠慮されちゃって。だったら人気の高い綾ちゃんに譲ろうかって何度も相談したんだけど……綾ちゃんは人間関係がちょっと苦手ので、ファーストチームのクイーンになると私より上手くできないなら、席を取る意味がないって、何度も断ってきたのね」
「それに、杏ちゃんと梨恋ちゃんが優唯クイーンをとことん支えるって言い張っちゃってね。そんなこんなで、気づいたらずっとクイーン続投中。誰かやりたいって言う子がいたら、いつでも喜んで譲るんだけどなぁ」
その言葉に、余計なプライドや傲慢さは一切なく、
だからこそ、フェアリーズの仲間たちが自然と彼女を信頼しているのだと、実瀬は感じた。
「そうですか……。先輩たちの話を聞く限り、クイーンって人気とかスキルの高レベルだけじゃ決まらないんですね」
「実瀬ちゃんは、自分のことをクイーンだって意識しすぎてる?」
「最初は、メンバーの多数決で決まったんです。でも……浅井さんが納得してくれなくて」
「でも、そのあとネットチャンネルの閲覧数の勝負して実瀬が勝ったんでしょ。実力で勝ち取った席なら、誰にも文句は言えないと思うけど?」
「……クイーンになってから気づいたんです。
自分のことだけじゃない。どうやってチームを率いて前に進むか、考えるべきことが一気に増えて。もし浅井さんがどうしてもクイーンになりたいなら、優唯先輩みたいに席を譲るべきなのかなって、少し思ってしまって。
彼女のほうが、経験もあって、ルールや業界の空気も分かっている。
だから……浅井さんのほうがクイーンに相応しいのかなって」
葵結は人差し指を頬に当て、少し考えるような仕草をして言った。
「でも、クイーンにふさわしい条件って、誰かが決めた正解があるのかしら?」
晴妃が真剣な表情で続ける。
「私はそうは思わないな。今のエアーリアルズを見る限り、クイーンは実瀬が一番ちょうどいいと思うよ」
「君たち五人それぞれの才能は、本当にレベルが高い。
そのぶん、スキルの差も大きい。
スタミナと協調性に課題がある今白さんと天木さんには、鍛えるまで、まだ時間が必要だし、全体のレベルを見ながら、バランスが中間になる位置に誰かが立つべき。
そう考えたら、実瀬がクイーンになるのは、ごく自然な選択じゃない?」
アシスタントとしてずっとエアーリアルズにつき合ってきた凛音も、力強く頷いた。
「私も同意見。
浅井さんは今、自分が追い求めてる理想だけを見ている状態。
チームメイトのことが全然見えていない。
あの暴君みたいな引っ張り方は、今のエアーリアルズには絶対良くない。
特に小依ちゃんへの態度は、はっきり言って“理不尽なパワハラ”に見える。
もし彼女がクイーンになったら、今よりもっと空気が悪くなると思うよ」
「分かる。気に入らないなら、いつか自分のタイミングで蹴落としてやるみたいな、棘のある空気を感じる。味方というより、いつか決着つける相手みたいな扱い……。
同じチームメイトに対する見方じゃないよね」
華恋はジンジャーエールを飲みながら、率直に言った。
「確かに。チーフはいつもフェアリーズは仲間であり、ライバルでもあるって言うけど、それは互いを高め合うって意味であって、潰し合うって意味じゃない。
どんなに才能があっても、同じユニットの仲間にあの態度で接するのは、フェアリーズのモットーから外れてる。正直、ここに入ってきた意味が分からないって思っちゃうよ」
「でも……優唯ちゃんの言ってることも分かる気がする。
あそこまで焦ってる柚奈ちゃんは、きっと何か事情があるんだと思う」
「私も浅井さんのことが気になって、前にさり気なく聞いてみたけど……。
ライバルには弱みを見せないって感じで、教えてくれなかった」
凛音が肩を竦める。
「ライバルに自分の弱点なんて、そう簡単には話せないよね」
葵結が続ける。
「実瀬ちゃん。浅井さんは、いわゆるジャリタレ出身で私たちみたいな一般オーディション組とは、スタートが違う。
それに、両親は誰もが知っている有名歌手と人気俳優。
十代でアイドルデビューっていうだけでも、世間からの期待値は倍以上だと思う。
目をつけられる範囲も広い。
だからきっと、彼女自身も、人に想像される以上のプレッシャーを背負ってるんじゃないかな」
葵結の分析を聞き、実瀬は柚奈の姿を頭の中に浮かべる。
「……ジャリタレへの期待と、その分、背負わされるプレッシャーですか……」




