第126話 浅井柚奈
ネオ東京・新宿エリア。薄い灰色の空を、救急用の特殊マシンだけが行き来していた。大雨と暴風が街を叩きつけ、街路樹の枝は激しく揺さぶられ、時折レジ袋らしきゴミが風に巻かれて飛んでいく。
前世紀から残された地下鉄線路は現在、歩行者用の通路として再整備されており、地上の歩道橋を使えば外を歩く必要もない。強い風雨のせいで、道路に人影はまったく見えなかった。
『フェアリーズプロダクション』の14階、エアーリアルズ専用フロアのスタジオでは、実瀬たち5人が今日も練習に励んでいた。最も完璧なパフォーマンスを届けるため、彼女たちは毎日休むことなく努力を積み重ねている。
音楽とリズムに合わせ、実瀬とクローディアは美しい動きでシンクロしていた。栞成も遜色なく、軽やかなフットワークから蹴り上げ、回転しながら伸びやかな手の振りを決める。
柚奈はキレのある鋭いポージングで振りを合わせながら、ポジションの入れ替わった小依を鋭く睨んでいる。
小依は余裕のない表情のまま、必死に周りの動きに合わせて踊っていた。しかし、どこか半拍ずれ、動きには迷いが残る。ポーズにキレはなく、時折小さなミスが出てしまう。
その荒削りな動きに堪えきれず、柚奈が声を張り上げた。
「待って!一度止まって!」
実瀬は少し驚きながらも、腕時計型のリモコンで音楽を止めた。
柚奈の性格には慣れているクローディアは冷静に動きを止め、栞成は自然体に「またか」と呆れた表情を浮かべる。
「天木さん!今のミス、何回目だと思ってるの!」
栞成は自分にもミスがあったのを察し、すぐに頭を下げて謝った。
「す、すみません……」
「意味のない謝罪なんていらないわ。本番まであと6日しかないのよ?いつまでミスを繰り返すの!本当にやる気あるの?」
強い叱責に圧された小依は、怯えたように目を伏せ、細い声で答えた。
「……あります」
柚奈は腕を組み、容赦なく続ける。
「どこにやる気があるのよ?私には全く見えないけど?」
間に入った実瀬が、柚奈を宥めるように声をかけた。
「落ち着いてください、浅井さん。こんな大事な時期に、そんな言い方をしなくても……」
「いえ、今だからこそよ。ここではっきり言っておかないと、エアーリアルズが笑い者になるわ!天木さん、自分が今日まで犯したミス、数えみようか?」
「私は……」
「はっきり言うわ。アイドル失格よ、あなたは!」
その言葉に、小依は唇を噛みしめ、目に悔し涙を浮かべた。
——やっぱり私は、ここにいてはいけないんじゃないかな。
「浅井さん、その言い方はさすがに酷いですよ」
実瀬が指摘すると、柚奈は苛立った口調で返す。
「赤星さん、あなたが庇い続けるからでしょう?彼女が自分のミスを反省できていないのよ!」
「違います。小依ちゃんは本当に頑張っていますよ」
「コンサート目前なのに、朝の特訓レッスンに遅刻してくるなんて、アイドルとして自覚が足りないわ。基本のマナーを守れない人は芸能界では評価されないのよ」
「小依ちゃんが遅刻したのは台風のせいです。浮遊電車やバスが止まっていて……
江東エリアから地下通路を通ってくるのは本当に大変なんです。遅れたのは仕方ないことですよ」
「それを予測して、昨日のうちに事務所に泊まる選択肢だってあったはずよ?
あなたは泊まったのに、天木さんは相談すらしなかった。判断できないなら、マネージャーでも仲間でも誰かに相談するのが常識よ。それすらできない人が“スーパーアイドル”になれるわけないでしょ」
「昨日、小依ちゃんは泊まりたいって言っていたんですよ」
「はい……」
「でも、彼女はまだ15歳ですし。特別な事情がない限り外泊は契約上できないんです。結局、帰るしかありませんでした」
「それにしたって、一ヶ月練習してダンス一曲もまともに踊れないなんて……もう辞めたら?“でき損ない”は、エアーリアルズの足を引っ張るだけよ!」
静かに聞いていた栞成が声を上げた。
「浅井さん、その言い方はないね。小依ちゃんにはちゃんと才能がある」
「どこに?ミスだらけの子が?」
栞成は『ハムレット』と書かれた分厚い台本を差し出す。
「じゃあ浅井さん、この台本、半日で丸暗記できる?」
「はあ? こんな厚い台本短時間で覚えられるわけない」
「小依ちゃんは一時間で覚えたよ。役によって声色も変えられるし、演技のつくり方も上手い。浅井さん、じゃりダレあなたにそれ、できる?」
柚奈は本を受け取らず、そっぽを向いた。
「ふん。芝居の才能だけあっても仕方ないでしょ?アイドルの基本は歌とダンスよ。ダンス音痴でアイドルなんて、あり得ないのよ。芝居の才能だけなら、何処の劇団に行けば?」
実瀬が穏やかな声で続ける。
「浅井さん、誰でも不得意なことはあります。小依ちゃんはダンスが苦手でも、一生懸命克服しようとして、たくさん練習してきた。前よりミスも減ってます。努力、見てきましたよね?」
「努力なんて、して当たり前。ファンが見るのは結果だけ。彼女のために動きを減らして、リズムもまだ遅れて、時にミスムーブしている。それじゃ話にならないわ」
今度は矛先を実瀬へ向けた。
「赤星さん、あなたはクイーンでしょ?こんな三流レベルのままでよくも耐えられるなんて、チームをどこへ連れていくつもりなの?」
その空気を切り裂くように、クローディアがため息混じりに口を開いた。
「そろそろやめたら、浅井さん。あなたの叱責、何分続いてるの?」
「豊嶋さん……何が言いたいの?」
「時間の無駄ってこと。あなたの指導は問題解決じゃなくて、ただの非難。
私たちの練習を邪魔してるのは、どう見てもあなたのほうよ?」
スタジオの空気が一瞬凍りつく。
実瀬も栞成も、クローディアに視線を向けた。
「残り時間が少ないんだから、せめてチームの足を引っ張らないで。
才能があろうと関係ない。私たち5人全員が主役なの。一人の見栄のためにいる“引き立て役”じゃないのよ。顎で人を使えば、信頼なんて育たない。エアーリアルズの害にしかならないわ」
柚奈は目を見開き、言い返せずに立ち尽くした。
そのとき、スタジオの扉が開いた。
ヴォドヌイの愛川凛音と、他に二人のフェアリーズ、ミディの日比野葵、ヴァジルィの柳原奈穂が入ってきた。
黒地に銀刺繍のキャップを被り、キャラメルミルクティの髪を結んだ葵。エレキギターも得意なグレムリンズの一人。
ストレートのミディアムロング、上品な白ブラウスと黒スカートの奈穂は京都の華族出身で、今は、エルトヴァイズのクイーン。
この三人はエアーリアルズの面倒を見るため、よく協力に来ていた。
凛音が口を開く。
「エアーリアルズのみんな、ホールのリハーサルは自由に使っていいわよ」
「愛川先輩、お知らせありがとうございます」
三人はただならぬ空気を察し、葵が尋ねた。
「何かあったの? みんな固まってるけど」
実瀬は苦笑いに言う。
「ちょっとね……」
柚奈の目付きは先輩たちから逸らす、彼女は深く息を吐き、小依に向き直った。
「天木さん、午後のリハーサルでミス、全部直して。返事は?」
「……はい……」
柚奈はそのままスタジオを出ようとする。
奈穂が呼び止めた。
「浅井さん、どこへ?」
「外のリビングで自主練します」
「むしゃくしゃしてるんですね……何があったんですか?」
「別に……。一人で頭を冷やしたいだけです」
そう言い残し、柚奈はスタジオを出ていった。
小依はとうとう我慢できず、両手で顔を覆って泣き出した。
「ごめんなさい……いつもみんなの足を引っ張って……」
奈穂は彼女の頬に手を添え、やさしく訊ねる。
「何があったんですか?」
栞成が肩をすくめる。
「いつものことよ」
「柚奈ちゃんは、他人に厳しいだけじゃなくて、自分にもすごく厳しい人ですからね」
ゆったりと語る奈穂に続き、葵が真剣な表情で口を開いた。
「確かに、彼女は才能に恵まれてる。でも、そのぶん周りの様子が見えていないというか……完全に自分のペースで走っちゃってる。何か事情があるのかもしれないけど、一方的にプレッシャーをかけ続けたら、チームの空気がぎくしゃくするだけだよ。アイドルってチームでやる意味があるのに、そのことをまだちゃんと分かっていない。仲間を意識できないままだと、周りだけじゃなくて、きっと本人も苦しくなると思う」
奈穂は言う。
「彼女自身が、その問題に気づいてくれればいいんですけどね」
実瀬は、小依の背中を優しくさすりながら言う。
「小依ちゃん。さっきのダンス、いままでで一番良かったよ」
「小依ちゃん、これを見てください」
奈穂が事務所用のデバイスを提示すると、3週間分の練習記録映像が流れ始めた。
最初の頃の小依は、リズムも動作も合っておらず、ぎこちないロボットのような動きだった。
だが日々のレッスンで、少しずつ滑らかになっている。最近の映像では、まだミスはあるものの、成長がはっきりと見て取れた。
「これ……私ですか」
「一ヶ月でここまで来たんです。努力はちゃんと実っていますよ。これからも一緒に頑張りましょうね」
小依は涙を拭い、決意を込めて頷いた。
「……はい。わ、私……頑張ります」
「よし、頭からチェックしよう。凛ちゃん、浅井さんのポジション代わりに入ってくれる?」
「しょうがないね、やろうね皆」
「よろしくお願いします!先輩!」
音楽が再び流れ、五人は初めのフォーメーションに立つ。
葵は腕を組み、奈穂はスカートを押さえる女性らしい所作で、二人は実瀬たちのパフォーマンスを細かくチェックし始めた。




