第122話 逃げられた闇 ②
銀士と心桜がキングピーファピュトンを追撃しているあいだ、レイミは負傷した彰吾のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
意識はあるものの、全身の震えが止まらない。ショック状態に陥った彰吾は荒い息を吐き、目を閉じたまま苦悶の声を洩らした。
「くそ……なんで俺が……。どれだけ頑張っても報われねぇ……脇役の人生、こんなところで終わるのかよ……」
まだ受け答えができると判断し、レイミは穏やかに声をかける。
「ゆっくり息を吸って。落ち着いてください。私はUCBD所属のヤングエイジェントです。今から救急マシンを呼びます」
MPディバイスを操作し、専用アプリからスイッチを押し、救急マシン要請を送る。
だが、その瞬間。
捕食を諦めていないキングピーファピュトンの三本のワーム状口器が分身のようにうねりながらこちらへ突進してきた。
レイミは頭から伸びる二本の触手を素早く振るい、しなやかにその攻撃を打ち払う。
「救急車が来るまで、応急処置を行います。お名前を教えてください」
六本の触手が青白く発光し、形を変える。
「……東山……彰吾だ……。それ、なんなんだ……?」
「止血と消毒ができる、医療用の触手です。安心してください」
異形の姿を見ても、彰吾は怯えなかった。
むしろ、かつて獣人族や魔族が共に生きる『エターナル・レジェンド』の世界で見慣れた光景が、どこか懐かしささえ呼び起こしたのかもしれない。
彼は小さく息を吐き、安堵したように体を横たえた。
「そうか……お前、異能者か……」
レイミは小さく頷き、彼の顔を確かめて目を見開く。
「……まさか、あなた……。四年前、街の広場でエレキギターを弾いていた、あのシンガーの東山彰吾さんですか?」
「なに……お前、俺を知ってるのか?」
「はい。雨の日も欠かさず歌っていましたよね。歩道橋の下で。……最後に見たのは三年前の夏、海水浴場でギターを弾いていました」
彰吾の脳裏に、途切れた夢の記憶がよみがえる。
雨の日も歌い続けた二年間。観客はほとんどいなかったが、たった一人、傘を差して聞いてくれた少女がいた。
その少女は彼の配信チャンネルをフォローし、わずかながら支援を送ってくれた。
夏には海で再会し、ピンクのビキニ水着で笑っていたレイミ。
彼の個人アカウントのコードをダウンロードし、聞いてくる日に5ND(100円)、少額の活動サポートしたこともあった。
彼の個人チャンネルは再生数こそ少なかったが、新曲を上げるたび、必ずコメントを残してくれるアカウントがあった。
<東山さんの声には、すごいパワーがあります。頑張ってください>
<懐かしいロボットアニメの主題歌ですね、聞くと胸が熱くなりますよ>
<東山さんの歌声は魂の響きです。次の新曲、楽しみにしています>
そのコメントが途絶えたのは、三年前の夏休みの終わりだった。
それ以降、あのアカウントからの言葉も、街角で聴いてくれる人の姿も全く消えた。
応援が減り、誰にも届かない歌を続けるうちに、彰吾の心は静かに折れていった。
やがてギターも歌も手放し、代わりに無気力な日常に沈んでいった。
だが。今、あの頃の少女は、美しく成長し、異能の力を得てヤングエイジェントとして彼の前に現れた。
かつて雨の日に傘を差して聴いてくれたあの子が、今は命の恩人となって立っている。情けなさと安堵が入り混じり、彰吾の目に涙が滲んだ。
「お前……ヴァニラチンチラの名を使ってたあの子か……。異能者になって、こんなに立派に……」
再会の現実が胸を突き、泣き声が震える。
「くそ……夢を叶えられなかった。ギターも歌も、全部……終わっちまったんだ」
レイミはそっと微笑み、優しく言葉を返す。
「辛いことがあったんですね。でも、夢はまだ終わっていません。生きている限り、何度でもやり直せます」
「俺なんか、何もできやしない……」
「そんなこと言わないで。貶しい言葉は、幸運を逃がしてしまいますよ。……思い出してください。東山さんの歌詞にあった前を向く勇気を。あの熱い声を、あなた自身が裏切らないで」
「……俺の歌、か……俺の魂……」
「はい。だから今は、ゆっくり休んでください。あの怪物は、私が止めます」
レイミは背を向け、医療用の触手二本を黄色に変化させ、東山を守るように前へ立つ。
死守する構え、彼女の表情は真剣そのものだった。
再び暴れ出したキングピーファピュトン。
しかしその瞬間、氷像と化した怪物のワームの口器が銀士の斬撃によって粉砕された。
氷片が舞い、冷たい夜風が吹き抜ける。
「銀ちゃん!コアを破壊して!シャドマイラは、壊さない限り何度でも再生するよ!」
銀士は高機能カメラの視界でコアの位置を捉え、ビームセイバーを構える。
一瞬、キングピーファピュトンの動きが止まったが、次の瞬間。
氷の表面に無数の亀裂が走り、内部から五十本の触手が一斉に飛び出す。
黒い針のような猛攻。銀士は防御が間に合わず、数本の触手に貫かれ、勢いのまま推し飛ばされた。
心桜は咄嗟に両手を前に突き出し、エネルギーバリアを展開。
衝撃波を防いだが、銀士の体はコンビニのガラスを突き破り、一階の売り場に叩き込まれた。
棚が崩れ、商品が散乱する。
「銀士!!」
心桜の悲鳴。
キングピーファピュトンは銀士の体を貫いた触手を引き抜くと、羽を失ったまま暗闇の中へ飛び去った。
崩れた棚の下から銀士が立ち上がる。
銀士は噛み付いた口器を取り外せ、人工皮膚の裂けた箇所から、金属と配線が露出している。
「……取り逃した、か」
怒りを押し殺し、拳を固める。
十数分後、レイミの端末に届いたUCBDアプリの低周波マップから、怪物の反応が完全に消失した。
「こちら手塚。キングピーファピュトン、逃走を確認。負傷者搬送完了まで現場に待機します」
〈お疲れ様です。引き続き警戒をお願いします〉
「分かりました。」
ほどなく救急マシンが到着した。
担架に横たえられた東山は、搬送される直前、かすかに腕を持ち上げ、レイミへと手を伸ばした。
「東山さん、私はここまでです。……あのシャドマイラを追い続けなければなりません」
彼は力の抜けた体で、それでも微かに口元をほころばせた。
その瞳には、失われた夢をもう一度見つめ直すような、穏やかな光が戻っていた。
「お前たちの……戦う姿を見て、また歌いたくなった。俺は、夢をまだ捨てちゃいねぇよ」
「ええ、ゆっくり休んでください。身体が治ったら、また歌ってください。東山さんの熱い歌、楽しみにしてます」
救急マシンは空へ浮上し、光跡を残して飛び去った。
残された銀士は、黒いコートの裾を整え、拳を打ち合わせる。
その表情には悔しさと決意が入り混じっていた。
「あの怪物……なんて狡猾なんだ」
「銀ちゃん……」
レイミはアプリで新東京連盟のジャスティスキーパー名簿を開き、二人の身分を確認してから改めて声をかける。
「黒川さん、松原さん。キングピーファピュトンの討伐に協力してくれて、ありがとうございました」
「いえ……力が及ばず、逃がしてしまって……ごめんなさい」
「いいえ。後ほど、これからも協力しましょう。それに黒川さん、怪我がひどいのでは?救急マシンの応急処置を断っていましたよね?」
銀士は黙したまま、無表情のまま視線を合わせようともしなかった。
何かを考えているようでいて、その心の内は読み取れない。
感情の起伏が乏しく、人との距離を保つ彼の性格をよく知っている心桜が、代わりに笑顔を浮かべて答えた。
「平気です。少し飛ばされただけですから。それに、普通の病院じゃ治せません。家に帰れば、うちのセラフィックハート工房で父がなんとかします」
「……そうですか。お気をつけてください」
知らない他人の事情をそっとしておき、互いに多くを語らず、静かに別れる。
レイミは再びアプリを開き、消えたキングピーファピュトンの反応を追いながら、夜の街へと駆け出した。




