第119話 入隊審査会議
駅の近くにある駐舶場。
実瀬は潤軌の操縦するマシンに乗り込み、エンジンが静かに点火される。
機体はふわりと浮上し、やがて音もなく空へと舞い上がっていった。
その様子を、通路の影に立つ柚奈がじっと見つめていた。
高く航路を描きながら遠ざかっていくマシンを見送りながら、彼女の瞳に淡い光が宿る。
――なぜ、自分を傷つけた相手に頭を下げられるのか。
その“理解できない優しさ”が、逆に彼女の心を苛立たせた。
唇をきつく結び、眉を寄せる。
嫉妬の色が静かに滲み、柚奈の美しい横顔に、わずかに冷たい影が落ちた。
* * *
夕刻のネオ東京上空。
夕陽の光を受けた積雲が空を覆い、橙に燃えるような色を散らしていた。
西の空から夜の気配がゆるやかに降り、影は群青へと溶けていく。
その光景を遠くに映すのは、UCBDヒイズル州本部庁舎。
強化水晶ガラスの外壁が鏡のように空模様を反射し、都市の黄昏を閉じ込めていた。
会議室――
円卓を囲むのは、ヒイズル州本部長・浅井敏行をはじめ、シャドマイラ防災対策本部の部長、副部長、人事管理部長、そして各地方支部の部長や隊長たち。
地方支部の面々はホログラム通信で参加しており、実体としてこの場にいるのは科援隊と研究部の代表、瑤妤とその助手の青木愛理だった。
会議の議題は、今期の人事、および新入ヤングエイジェントの配属審査である。
中でも、日野陽太の査定は長く議論の的となっていた。
これまでの活動記録、シャドマイラ退治の協力映像、健康診断時の実技戦闘データ、そして昨日行われた二度目の実技テストの映像が、円卓の前に再生される。
モニターに映し出された陽太の姿を見つめる長官たちは息を呑み、室内に沈黙が落ちた。
実戦経験はまだ浅い。だが、身体能力の数値、戦闘記録の内容、その全てが強烈な印象を与えていた。
空気が重くなる、称賛と警戒が入り混じる静寂だった。
やがて、人事部長補佐の女性秘書官が議事を進める。
「以上が、日野陽太君の参考資料です。彼の入隊に異議をお持ちの方は、どうぞ意見を」
数名の長官が思案顔を見せる。
しかし、推薦書に名を連ねるのは、研究所長・大原、元現場ヒーロー・沖田純一、そして重装特務部隊副隊長・赤星瑠衣。
三人の名を前にして、異を唱える者は声を飲み込んだ。
青森支部の石岡部長、五十代の壮年が口を開く。
「科援研究所代表のリー部長。彼は君の親族で、つい最近、監護人にもなったと聞く。わずか一か月で三名の推薦を得たのは異例だ。……その《《後押しに、私情は含まれていないのか》》?」
瑤妤は静かに立ち上がり、まっすぐ答える。
「いいえ。親族としての情ではありません。研究者として、彼に必要な助言をしただけです。UCBDの一員として、事件のリスクを最小限に抑えることは義務だと考えています」
石岡は軽く顎を引き、再び問う。
「若者というのは、強大な力を得れば組織の枠を嫌うものだ。彼の志望は本心なのか?それとも、君の意志が働いたのではないか?」
瑤妤は即座に首を横に振る。
「彼自身の意志です。シャドマイラへの防災活動に、より深く関わりたい、それが彼の望みです。私はその意志を尊重しています」
張り詰めた空気を破るように、大阪支部の若い部長が声を上げた。
「いやぁ、素晴らしいじゃないか。若者の熱意を信じるのも上の役目だろう」
「それは同感ですわ」
京都支部の女性部長が微笑む。長い黒髪を後ろで束ね、菊の形に結びの元結をつけていた。
「自分の力の異質さを理解し、それでも任務の支援によって、社会の中で居場所を得ようとする、それがこの子の本心でしょう。
覚悟があるなら、チャンスを与えるべきですわ。ただ、あの年でそこまで執着できるのは、少し不思議なくらいね」
続いて熊本支部の白髪と顎に髭を伸ばせたの部長が笑う。
「新型ゴラーテルトンγを一撃で沈める力を持っておるなら、まさに天職じゃろう」
石岡も苦笑しながら肩をそびえる。
「念のため確認しただけだ。本人の意志なら、異論はない」
沈黙を破って、秘書官が進行を促す。
「他に異議のある方はいらっしゃいますか?」
異論は出なかった。
「では日野陽太くんのヤングエイジェント入隊を反対する方を投票スイッチを押してください」
1分間を経って、反対ライトが付いてなく、秘書官は確認し、次の宣言を行う。
「異議なしと判断します。日野陽太君のヤングエイジェント入隊を正式に承認します。続いて、彼の配属先についてご意見のある方はどうぞ」
そのとき、重く低い声が響いた。
「私は入隊を認めるが、配属には異議がある」
声の主は、シャドマイラ防災対策本部長・剣崎鎮。
スライド気味のオールバック、顎に整えられた髭、鋭い眼差しの40代。
ゆっくりと眼鏡を押し上げ、言葉を選ぶように続けた。
「彼の志望はシャドマイラ退治の前線に立つこと。それなら、なぜ科援隊なのか?対策本部の実働部隊に配属すべきだ。今でも即戦力として投入できる」
人事部長が答えかけたが、浅井本部長が手を上げて遮った。
「私から説明しよう。剣崎部長、日野君の志望を許可したのは、私の判断だ」
「理由を伺おう」
「彼は覚醒からわずか一か月。ランクはAだが、まだ安定段階ではない。
高温プラズマという異能は、対シャドマイラには有効だが、同時に周囲へ我らの損壊リスクも大きい。
制御を誤れば甚大な被害を及ぼす可能性がある。
ゆえに、現場投入よりもまず制御と調整を優先すべきと判断した。
研究所長・大原、チーム・ウィクトーリアの沖田君の指導下で経験を積むのが最適だ」
剣崎は腕を組み、少し考えた。
「……観察と調整に、どれほどの期間を想定している?」
「若い彼に一年。最低でもそれだけは必要だ」
「随分慎重だな」
「特殊人材のリスク管理を徹底するのが、我々上層部の責務だ」
京都支部の女性部長が笑いを交えて口を挟む。
「剣崎君、優秀な人材を独占したい気持ちは分かるけど、東京には《ナイト・ガーディアンズ》がいるでしょう?優秀な子も多いし、支援要求すると直ぐに対応するわよ。それでも人材足りないくて?」
「それでも、ゴラーテルトンを一撃で倒せる力は貴重だ」
腕を組み、額にはタオルを巻いたヘアバンド。管理官というより、まるで漁船の船長のような風貌の老紳士が、朗らかに口を開いた。
「それならわしの島根支部に欲しいのう。人手不足でのう」
対面の席では、髪を後ろで一つに束ねて団子状にまとめた女性が、頬に両手を添え、のほほんとした口調で微笑む。
「それならぜひ、札幌にも来てほしいべさ。冬が長い街にも、熱い若者が必要だべ」
佐賀支部の男がすかさず冗談めかして言う。
「残り者ばっかり回されるのはごめんだ。今度こそ、うちに来てもらうぱい」
軽いやり取りに笑いがこぼれ、重かった空気が少し和らぐ。
相模郡・新都支部の部長が落ち着いた声で締めた。
高い額に整えられた洗練された髪型は、まるで刑事ドラマに登場する警察警部のよう。知的な雰囲気を漂わせるそのイケメン紳士は、クールな笑みを浮かべて口を開いた。
「皆さん、浅井部長の言葉を聞いたでしょう。
この少年の行き先を決めるのは、まだ少し早いと思いますよ。
彼の道が形になるのは、おそらく一年後、その頃で十分でしょう。
そもそも、彼自身の志向はエイジェントになることどうかまた分かりません。
新米を扱うには、少々過剰な期待が先走っているのではありませんかね?」
再び静けさが戻り、浅井が剣崎に視線を向ける。
「これで納得していただけますか?」
剣崎は短く息をつき、瑤妤に視線を移した。
科援隊に預けるのも悪くない、と判断し、再び浅井へ目を戻す。
「……分かった。君の判断を尊重しよう。僕の意見は以上だ」
こうして議題は次へと移り、別の審査相手、可憐な少女のファイルが開かれる。
その後も審査は続き、一時間半後、会議はようやく閉会した。
各支部のホログラム映像が順に消え、室内に残ったのは浅井本部長、秘書官、そして瑤妤と愛理だけだった。
浅井は手を組み、顎を軽く支えながら言葉を落とす。
「――さて、リー部長。前回の報告以来だな。
例のプロジェクト、進捗を聞かせてもらおうか。」




