第117話 心の底までさらけ出せる友
一時間前。
氷川家のあるマンションのエントランスに、白地のセーラー服に濃紺の三本線が縫い取られた襟、緑のスカーフと濃紺のスカート制服姿の手塚レイミが現れた。肩にはマイバッグ、左手にはドーナツの箱。
部屋番号を押し、コールを三度。ようやく少女の声が返ってくる。
「えっ、レちゃんなの?」
「そう。ひと月ぶりに、やっとルリの声が聞けた」
「ヤングエイジェントの仕事、忙しくないの?」
レイミは受話口に向かって、柔らかく言う。
「今日は土曜……じゃなくて、もう日曜よ。少し顔を見たくてね。会える?」
「レちゃんなら……」
返事と同時に玄関ドアーが開き、エレベーターを乗せ上がり、氷川家部屋の外に立ち寄る。
扉を開けてワンカラーの地味なルームウェア姿の氷川瑠織が顔を出した。
「しばらく会ってないけど、痩せた?」
「自分じゃ分からない……。レちゃん、今日はUCBDから支援要請ないの?」
「今のところないよ。先生と委員長、みんな心配してて、様子を見てきてって頼まれたの。ドーナツ買ってきたから、一緒に食べよ?」
「……うん。忙しいのに、わざわざ会いに来てありがとう。少し、話せる」
レイミは瑠織と一緒に部屋へ。
数日掃除が入っていない乱れた室内を見回すと、言葉少なに手を動かした。頭頂から伸びる六本の触手に両手を合わせ、同時に複数作業、掃除機、流しの食器洗い、ベッドリネンの交換、ゴミの分別。
瑠織はその様子にもう慣れているのか、平然と会話を交わしつつ畳み物を進める。数分で部屋は見違えるほど片づいた。
二人はコタツに向かい合って座り、紅茶に入れたコップ2つとドーナツの箱を開けた。しばし、静かな時間に話し続ける。
「……やっぱり、登校やめてリモートに切り替えたのは、チャンネルが不調になったせい?」
「うん……」
人気チャンネルパフォーマーとしての再生数と評価が急落。学校では顔が知られている。どん底の自分を見られたくない。それが、瑠織の本音だった。
「赤星さんの新企画とコンセプトが重なったのは、偶然に過ぎないと思う。比べられても、評価を全部真に受ける必要はないよ。やりたいことが同じでも、“見せ方”は人それぞれ。ルリはルリにしかできない表現を考えればいい。ネットには、心ない言葉を平気で書く人もいる。でも、ずっと応援してくれる人だって、確かにいるよね」
瑠織は小さくため息をついて、目を伏せる。
「分かってる。分かってるんだけど……彼女のことを考えると、悔しくて」
「私から見ると、運がついているのは、むしろレちゃんかもね」
「どういう意味?」
「もしオーディションに勝ってたのがレちゃんだったら、今の立場は逆。炎上の矢面はレちゃんだった」
「……実際、矢面に立ってるの、私だと思ってたけど」
「彼女も、相当ダメージ受けてるよ」
レイミはMPディバイスで赤星実瀬のチャンネルを開き、コメント欄を示した。そこには心ない批評と罵詈雑言が山のように並ぶ。
「……アイドルになった彼女は、こんなに叩かれるのか。大変だね」
もし自分がアイドルだったら、この圧を耐えられただろうか、瑠織はふと視線を揺らす。負けた悔しさを手放せるか、試されているのは自分の器かもしれない。
「アイドルになってない今、チャンネルパフォーマーとして自由に自分をプロデュースできるのは、ある意味で幸運でもあると思う」
「……どうして、そう思えるの?」
「私ね、降って湧いた幸運は、本当の幸運じゃないって思ってる。時に、それは災厄の前触れかもしれない」
「何か……あったの?」
「念者になる前は、ただの中学生だったの。夏休みに海へ行って、友達に勧められるまま美人コンテストに応募して、運が良くて優勝を獲った。トロフィーと賞金、それに有名特撮タイトルのカメラテストのチャンスまでついた。でも、後日行ったスタジオは粗末な造作で、出されたお茶には薬物。気づいたら拉致されていて、人造念者の実験台に――。あのとき、あれを『幸運』だって思ってた私への罰だったのかもしれない。もし参加していなければ、今も普通の女子高生だったかも」
「……でも、その経験がなかったら、今、UCBDのヤングエイジェントとして信頼されるレちゃんはいない。私は、街を守る人の友達でいてくれるレちゃんを誇りに思うよ」
「もう。慰めるつもりが、布団に包み込まれてるのは私の方じゃん」
「怖い経験だけど、でも私が受けたのは大手芸能のイベントだよね?そんな怖いこと、普通は起きないはず……」
「業界には、一般人の知らない暗黙があるのかもね」
「本当かな?でも、もし何かあっても、レちゃんなら止めてくれそうよね」
レイミは微笑み、茶をひと口。
「だから言いたいの。必死で頑張っても掴めないことは、必ずしも不運じゃない。むしろ守られているのかもしれない。神様がルリにいちばん安全な道を示してる。そう考えたら、少し楽にならない?」
しばし考え、瑠織は机の上の心願成就のお守りに目を落とす。
――守られている。
そんな予感が胸に灯り、やわらかな笑みが戻った。
「……そうかもね」
その時、着信音。レイミが内容を確認する。
「どうしたの?」
「署から捜査依頼。すぐ戻らないと」
「そっか。私は大丈夫。レちゃん、頑張って」
「その笑顔が見られたなら、安心。新作、楽しみにしてる」
「うん。衣装のコンセプトから考えてみる。時間はかかるけど、作ってみるね」
「いいものには時間がかかる。待ってる。あ、ついでに掃除で出たゴミ、捨てて行くね」
「気をつけて。行ってらっしゃい」
一階へ降りたレイミは、まとめたゴミ袋を資源回収ボックスに投げ捨てた。
エントランスに向かうと、ポストルームから赤星実瀬とマネージャーの潤軌が出てくるところだった。




