第116話 実瀬の本心
シャドマイラの図鑑アプリを開き、キングピーファピュトンの討伐方法を巡って議論していたその頃。
一方、ネオ東京・練馬エリアの浮遊電車駅。
実瀬は夏らしい私服姿で改札を出てきた。
半袖のTシャツに柔らかな布地のパンツ、キャップを被り、できるだけ目立たぬように装っている。
コンサートの集中練習を終え、ようやく与えられた自由時間を使って、彼女はここに来たのだった。
エスカレーターを下り、平面歩道に足を踏み出すと、住宅地へ続く入口に立ち止まる。
「さて……氷川さんの家はどこかな?」
バッグからMPディバイスを取り出し、マネージャーから聞いていた住所をマップアプリに入力する。
画面上に、氷川瑠織の住むマンションの位置がピンで表示された。
「ここか……氷川さん、家にいるといいんだけど」
歩き出そうとしたその瞬間。
「赤星さん」
呼びかけられ、実瀬ははっと振り返った。
目の前にはマネージャーの潤軌が立っていた。
「マネージャー?どうしてここに?」
「それは俺のセリフだ。氷川さんの住所を聞いた時から嫌な予感がしていたんだ。やっぱり来たか。
ネットの記事はすでに対策済みだ。これ以上勝手な行動をすれば、予想外のトラブルに繋がる。……もう帰りなさい」
「マネージャー、お願いします。どうしても彼女に会って話をしたいんです」
「君はこれからアイドルとして活動していく人間だ。関係のない相手に自ら関わっていく必要はない。
不用意な接触はリスクしかない。最悪の場合、君自身も、フェアリーズ全体も傷つくことになる」
「それは分かっています……でも、それでも彼女に会わないといけないんです」
「どうして、そこまで?」
潤軌の問いに、実瀬は胸元に両手を当て、切なげな表情で言葉を紡いだ。
「悪いのは私なんです……。
ネタを重ね過ぎたせいで、彼女のチャンネルパフォーマーとしての活動を不況に追い込んでしまいました。
元パフォーマーだった私が、同業者を傷つけたままアイドルを続けるなんて、心が落ち着かないんです。
ちゃんと謝らなければ……きっと後悔すると思うんです」
「アイドルの道は、常に実力の競争だ。誰かが注目を浴びれば、誰かがその影に消えていく。
頂点に立つ者は、敗者のことを思いやるより、自分がどう“勝ち続けるか”を考えるべきなんだ。」
実瀬は一瞬うつむき、しかし強い目で潤軌を見上げた。
「ネットチャンネル・パフォーマーとして活動してきた私は……氷川さんの気持ちが分かります。
だからこそ、人を傷つけてまで上に立つような、“血に染まったアイドル”にはなりたくありません。アイドルもステージも、私ひとりのものではないと思うんです。」
彼女の声はわずかに震えていたが、その瞳には迷いがなかった。
「オーディションの最終ステージで、私は氷川さんに勝ちました。
でも、同じ舞台で最後まで戦った彼女を、心から尊敬しています。
私のせいで、彼女が築き上げたチャンネルを壊してしまった。
それは“夢を叶えるためにやりたいこと”なんかじゃありません。
本当は、みんなの思いを背負って、共にステージで輝ける未来を選びたかったんです。
人を幸せにすることが私たちフェアリーズの役目なら、
人を不幸にしてまでアイドルを続けるなんて、そんなの、私にはできません。」
その言葉を聞いた潤軌は、思わず息を呑んだ。
しばらく無言のまま見つめた後、静かに口元を緩めて微笑む。
潤軌は一瞬、息を呑んだ。
しかしすぐに、口元にわずかな笑みを浮かべる。
「……参ったな。君の本心には、まっすぐ心を打たれるよ。
チーフもよく言っていた。歌やダンスや演技の技量も大事だが、一番大切なのは“ステージに立つ人間の心”だとな。
君はまさに、喜多田さんのようなアイドルを目指しているんだな。君たちのマネージャーを務められることが誇らしいよ。
トラブルを避けるように、俺もできる限りサポートする」
「マネージャー……ありがとうございます」
「それで、彼女に会いたいなら、どうするつもりだ?」
「本当は直接、家を訪ねて謝ろうと思っていました」
「だが、必ず会えるとは限らない。もし彼女が君に会いたくないと思っていたら?」
「ええ、今日は無理に会うつもりはありません。突然訪ねたら迷惑になるでしょうから。だから、手紙を書いてポストに入れておきます。そこに連絡先と、会える日時の候補も書いておきます。それなら、彼女の気持ちを尊重できますよね」
「うん。その方がずっと安全だ」
「では……行きましょう」
決意を固め、再び歩き出そうとした実瀬の背を、潤軌の声が止めた。
「待ってくれ、赤星さん」
「はい?」
「氷川さんの家、そっちじゃない。反対側だ」
実瀬は思わず足を止めた。潤軌が指差した方向は、まったく逆だった。
「そ、そうですか……こちらですね。すみません……やっぱりマップアプリを使えないとさっぱりわかりませんね」
方向音痴の実瀬は、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
実瀬と潤軌は、駅を背にして歩き去った。
ほどなくして、駅舎の装飾壁の陰から一人の影が歩いて出る。白いオフショルダードレスに身を包み、顔を隠すようにサングラスをかけた柚奈だった。
柚奈は二人の背が雑踏に紛れるまで視線を外さなかった。 夏風が白いドレスの裾を揺らす。 指先でサングラスの縁を押し上げ、低く呟く。
「……やっぱり、あいつはあの子と関わってるのね。面白くなってきたじゃない」
どうやら二人のやり取りを盗み聞きしていたらしい。鋭いつり目をわずかに細め、彼女は去っていく二人の背中を、無言のまま目で追った。




