08
私は今日も師匠の家に行く。
ママからの差し入れは、アップルパイだ。
本当はママの作るいちごショートが食べたかったけど、それを言ったら『旬の果物を使う料理が一番美味しいのよ』と言って、諌められた。
別に、アップルパイが嫌い、という訳ではない。
せっかく作ってくれるなら、いちごショートが食べたかった、というだけの話である。
ママの作った料理は何でも美味しいのだ。
そして、そんなママの誕生日が来週に迫っている。
今日は師匠に、何かいい贈り物がないか訊いてみる予定だ。
「こんにちはー!」
「・・・」
「師匠ー!挨拶くらいしてくださいよ」
ソファで一心不乱に本を呼んでいる師匠の目の前に回り込む。
師匠は本から目も上げずに、君か。と一言だけ呟いた。
「あのですね、師匠。本を読んでるところに非常に申し訳ないんですけど・・・」
「本当にな」
「すみません、ごめんなさい」
仕方ないので、師匠が本を読み終わるのを待とうとソファに腰掛ける。
私の重みでソファが少し沈んだのが不愉快だったのか、師匠は眉を顰めたけれど、特に言及することはなかった。
こうして横から見ていると、師匠はとても整った顔立ちをしている。
深緑色の髪はくせ毛なのか、少し跳ねていて。
スッと通った鼻筋も、白い肌も。
綺麗、と形容するべきなのか、それとも、カッコイイと形容すべきなのか。
その辺は推し量りかねる。
じっと文字の羅列を追う師匠の金色の瞳を見て、助けられたあの夜のことを思い出す。
師匠がいなかったらと思うと、背筋に氷を滑らせたようにぞっとする。
ママもパパも、そして私の命も無かったかもしれない。
あのとき、本当に師匠が来てくれて良かった。
私の視線が気になったのか、師匠は本から目を離すと私を一瞥する。
それから、突然頭を掴まれたかと思うと、師匠の胸に顔を押し付けられた。
「ぶっ・・・何するんですか!」
思い切り鼻を師匠の胸にぶつけてしまって、そこを中心にじんじんと痛みが広がっていく。
けれど、そんな私のことなど気にする事も無く、師匠は意地の悪い表情を浮かべた。
「構ってほしかったんだろ」
「ひ、否定はしませんけど・・・」
ふと、師匠からふわりと香る、薬草の匂い。
さっきまで、調合でもしていたのだろうか?
少しだけ甘い、けれども爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「師匠、いい匂いする」
「なんだ、突然。気持ち悪い」
「はいはい。どーせ、私は気持ち悪いですよ」
ちょっと拗ねてそう言ってやれば、師匠が笑ったのか肩が少し揺れる。
「何の匂いか分かるか?」
「薬草?」
「当たり前だ。僕が聞いてるのは薬草の種類だ」
「えー」
薬草の匂いなんか、判別できるはずがない。
もっと特徴的な匂いなら分かるかもしれないけれど、私の嗅覚は人並みなので甘くて爽やかだけでは種類までは当てられない。
「うー・・・なんだろ」
ぐっと顔を師匠の胸に埋めたまま息を吸ってみても、息苦しいだけで、何の情報も得られなかった。
「師匠、ヒント!」
「美容に役立つものだ」
「美容って・・・師匠、そんなところに気を使ってたんですか・・・」
「そんな訳ないだろう。依頼で作ったものだ」
美容に役立つ薬草と言えば、ローズヒップやヒース、カモミール、ローズマリーくらいしかパッと思いつかない。
けれども、それぞれの匂いなんか嗅ぎ分けたりはしないし、増してや実物を触ったこともないので、分かるはずもなく。
仕方なく、思いついたそれらのハーブの名前を口にする。
「一応、正解ということにしてやろう」
私の解答に師匠はそう言う。
きっと、正しい答えが今の4つの中にあったのだろう。
「カモミール、が答えだ。カモミールの化粧水を媒介にして、スライムの体液を混ぜた簡単な薬品を作っていた」
「えー、スライムの体液って、なんか身体に悪そう」
「そんなことはない。スライムの体液は身体に有効な成分を取り込むのに適しているんだ」
「どうしてですか?」
「彼らの餌は何だ?」
師匠の問いに、私は迷う事無く答えを口にする。
「人間」
「そうだ。人間を丸呑みにする。けれども、人間を取り込むにしたって、不要なものまで取り込む必要は無い。必要なものだけ自分のものにすればいいからな。スライムの体液は、その辺の取捨選択に長けている」
「へぇ・・・。そしたら、スライムの体液だけ肌に塗ったらどうですか?」
「そんなことをしたら、身体を構成する成分が体液に吸い出される。カモミールの成分と混ぜ合わせる事で、すでに体液には養分が飽和している状態にすることができるんだ」
「じゃぁ、カモミールに対して体液が多すぎたら、肌には悪くなるってことですか?」
「そうだ。必ず体液が飽和状態にならなければいけないからな。もちろん、カモミールに対して体液が少なすぎても効き目は薄いが」
スライムなんて、その辺に沢山いる。
捕まえて来て体液を少し分けてもらえれば、いい化粧水が作れるのかな?
そういえば、ママが最近肌荒れがひどいって嘆いていた。
誕生日プレゼントに今聞いた化粧水をあげたら、喜んでもらえるかも。
「師匠、私、それ作ってみたいです。ママが来週誕生日なんですけど、それまでに間に合いますか?」
「調合だけなら、1日あればできる。ハーブを煮詰める作業が厄介なくらいだな」
「やった!じゃぁ、今から材料採ってきたら、明日には作れますか?」
「あぁ、可能だ」
「私!今から採ってきます!」
私がソファから立ち上がると、師匠も本を閉じて立ち上がる。
「僕も一緒に行ってやろう」
「どういう風の吹き回しですか?」
「君のお母さんにはお世話になっているからな」
師匠はぐっと伸びをすると、ふわぁ、と欠伸をする。
「帰って来たら、アップルパイを食べるのに丁度いい時間になっているだろう」
「そうですね。せっかくだから、ハーブティーも淹れましょうよ」
「となると、それなりに種類を摘んでブレンドするのがいいな」
先を歩く師匠に続いて、私も玄関先に向かう。
師匠の作る料理は無味乾燥。
ハーブのブレンドなんかさせたら、どうなるか想像できたもんじゃない。
「師匠、ハーブティーは私が淹れますからね!」
「なんだ、急に」
「淹れたいんです!」
「好きにしたらいいだろう?」
師匠は訳が分からない、という風に私を見る。
もし、私の意図が見破られたら、負けず嫌いの師匠は自分が淹れるって言い出すんだろうな。
心の中でくすくす笑いながら、私はドアに手をかける。
そして、外へと一歩踏み出した。
木で出来た天井の梁が見える。
古くなって、黒ずんでいるそれは、どこかで見た天井だ。
そうだ、これは師匠の家の天井。
私の家の天井は、もっと綺麗な色だもの。
「あれ・・・?」
私はいつの間にか横になっていた身体を起こす。
窓から入って来る日差しで、どうやら昼に近い時刻のようだと判断した。
いつの間に眠ってしまったのだろう。
昨日、師匠と一緒にハーブを採りに行ったはずだけれど、そこから先の記憶がない。
あの後、ママの作ったアップルパイは食べたっけ?
ハーブティーのブレンドには、何を使ったっけ?
疲れて、そのまま師匠の家に泊まってしまったのだろうか?
「リザ、寝坊しすぎだ」
がちゃり、とノックもなしにドアが開いて、師匠が部屋に入って来る。
私はあ、と声をあげてから、すみません。と謝った。
それから、ベッドから抜け出す。
「師匠、昨日摘んだハーブってどうしましたっけ?」
「ハーブ?薬草のことか?それなら、乾燥させてる最中じゃないか」
師匠は半眼になって、呆れたように私を見る。
うっ・・・そうだったっけ?
まさか、全然覚えてないとも言えず、私は困ったように笑うしかなかった。
「えっと、それじゃぁ、パパとママが心配してると思うので、一旦家に帰ってからまた来ますね」
私がそう言うと、師匠は驚いたように目を見開いた。
「師匠?」
「君は・・・何を言っているんだ?」
「え?師匠こそ、何言ってるんですか?」
今度は私が目を見開く番だ。
なぜ、師匠が私の言ったことを理解しなかったのか全く分からない。
「パパもママも師匠の家にいるのは分かってると思いますけど、やっぱりちゃんと帰らなきゃ」
「リザ・・・君は、自分の言っていることを、きちんと理解しているか?」
「師匠こそ、どうしたんですか?いくら何でも、帰るな、なんて言わないですよね?」
師匠は困ったように口を噤むと、一瞬、視線を彷徨わせた後、じっと私の目を見つめる。
「リザ、君のご両親は・・・亡くなっているじゃないか」
「え・・・?」
ぐさり、と心臓にナイフを突き立てられたような痛みが走る。
どくどく、と目まぐるしく血液が溢れ出る音が聞こえる。
あぁ、思い出した。
私のパパとママは、12年前に死んでしまったのだ。




