寂しくないですよ
ルーン文字を目で追いながらも、その内容は全く頭に入って来ない。師匠が見てくれているおかげで、かなり早いスピードで読めるようになったはずなのに。
まるで何も知らなかった時に戻ったような錯覚に襲われる。
「リザ?」
隣で教えてくれていた師匠が、こつこつと机を指先で叩いて、眉を顰める。その表情に、慌てて、ごめんなさい。と、呟いた。
「なんか、その、頭に入らなくて」
「普段より数割増で、ぼけっとしていたぞ」
師匠の嫌味に返す気力もなくて、私は黙り込む。
頭を掠めるのは、夢の中のケルベロスの姿。師匠はふぅ、とため息をつくと、じっと私の瞳を覗き込んだ。
「夢のことか?」
「……はい」
師匠には、なんでもお見通しだ。私の様子が普通でないことに気づいて、いつもよりも数倍優しい声音で話しかけてくれる。
いつも、こういう風に接してくれたらいいのに。でも、常に優しい師匠なんて気持ち悪いな、と頭の隅で考えるくらいの余裕はあった。
その時、ピピッと声がして、スノウが部屋に窓から部屋に入って来る。ちょこん、と机の上にとまると、スノウはこちらを見て首を傾げた。
「おはよう、スノウ」
「ピィ!」
私の呼びかけに答えるように、スノウが元気よく鳴く。別に人間の言葉をスノウが話している訳ではないが、挨拶している様子なのは、なんとなく分かるのだ。
そして、私はふと思った。
もし、あの時、ケルベロスと意思の疎通が図れたら、パパとママは、今も生きていたのだろうか。今の、スノウとの対話のように、あのケルベロスに殺さないで、と懇願していたら……。
なんて馬鹿なことを考えているのだろう、と自分でも思う。けれども、あんな夢を見た後では、自然とそのような思考回路が出来上がってしまうのだ。
「あの、師匠。ケルベロスとも意思の疎通が取れると思いますか?」
「なんだ、急に」
師匠は苦虫を噛み潰したような表情をして、こちらを見る。
「えっと、その、スノウと意思疎通できるなら、ケルベロスともいけるかなーって……」
「さぁな。僕には分かりかねる質問だ」
「……ですよね」
師匠は何も言わない。
私も何も言わない。
師匠との間の沈黙が気まずいだなんて思ったの、何年ぶりだろう。
ケルベロスが私の両親を殺した事を師匠は知っていて、私が今日見た夢のことも知っている訳で。こんな話題を持ち出せば、何を考えているかなんて師匠にすぐバレてしまう。
そっと師匠の方を窺ってみれば、案の定、難しい顔をしていた。私が謝ろうと口を開きかけたとき、被せるように師匠が呟く。
「リザ、君は、やはりご両親がいないのは……」
言いかけて、師匠は首を横に振る。
「愚問だな。聞くまでもないことか」
ご両親がいないのは、の次に続くのは「寂しいか?」という問いかけだろうか。
それなら、私は、自信を持ってこう答えることができる。
「師匠がいるから、寂しくないですよ」
師匠はじっとその金の双眸でこちらを見つめる。探るようなその瞳に、私はにっこり笑ってみせた。
「変な夢を見て、ちょっと変なこと考えちゃっただけです」
師匠は何か言いたげだったが、短く「そうか」とだけ呟いて、口を閉ざしてしまった。
あのケルベロスとも、対話が出来ていたなら。もしかしたら、パパもママも殺されずにすんだかもしれない。
ぐるぐると回る思考を頭の隅に追いやって、私はもう一度ルーン文字の本に目を落とした。




