弟子志願者が来ました 5
次の日、私は随分と穏やかな心でアンジーを迎えられた。
にこにこと笑っている私を、不思議そうにアンジーは眺めているが、気にもならない。
仕事を片付けてくる、と言って出て行った師匠に、2人きりで取り残されたが、昨日のように気まずいとは思わなかった。
「何か良いことでもあったんです?」
「うん、ちょっとね」
「ふーん」
自習をしているように、と言われて、私は植物図鑑を開いて、先日に引き続き、庭に植える植物を厳選していた。
隣にいるアンジーは、魔法陣を書く練習をしている。
一体、何の魔法だろうと思って、横目で覗いてみたが、さっぱり理解できなかった。
「アンジーは、今まで独学で魔法を勉強してきたの?」
「そうですよ。ところで、リザさんの名前は本名ですか?」
愛称だと思われているのだろうか?
不思議に思いながらも、私は肯定の意味で、頷いておいた。
「へぇ。アンジーは、愛称なんですよ。あと、もう1つ聞きたいんですけど、お師匠さまとは恋人同士なんですか?」
うっ、と予想外の質問に言葉に詰まる。
なんだか気恥ずかしかったけれど、牽制にもなるかなぁ、と打算的な考えもあり、素直に答えた。
「う、うん。やっぱり、そう見えるのかな…?」
「全然。ペンダントの話で、そうかな?と思っただけです」
ぐさり、と言葉が突き刺さる。
そっか、見えないのか…。
どうしたら師匠に釣り合う人間になれるのかなぁ、と落ち込む。
がっくりと肩を落としていると、急に立ち上がったアンジーに背中を押された。
椅子に座っているので、どうということはないが、突然どうしたのかと、きょとんとする。
「アンジー、どうしたの?」
「我が魔を与えし彼の者を、傀儡とし我が物とせよ。彼の者の名を<リザ>として、その祝福を奪い、呪いわれよ」
身体が泥に包まれたように重くなる。
何の魔法を掛けられたかも分からず、なぜ、アンジーがこのようなことをしたのかも理解できない。
ただ、自分の意思で動かなくなった身体に、妙な既視感を覚える。
これは、師匠に以前掛けられた魔法ではないだろうか。
身体はもちろん、口すらも動かなくて、私は焦燥を覚える。
「ふふっ、アンジーはやっぱり、天才ですね」
「そうだね。アンジーは師匠の1番の弟子になるべきだよ」
自分の口から出てきた言葉に瞠目する。
私が言った訳じゃない。
勝手に口が動くのだ。
「いい子ですね。ちゃんと魔法が効いてるようです」
信じられない。
アンジーは、私を操って、何を企んでいるんだろうか。
にやりと笑みを作ったアンジーの表情は、いつものような愛嬌は浮かんでおらず、とても邪悪に見えた。
どうしよう、と焦燥が生まれる。
スノウが一緒にいてくれれば良かったのだが、今日はまだ姿を見ていない。
つまり、私が操られていると知っているのは、アンジーと私自身だけなのだ。
「ただいま」
ドアベルがカランコロン、と鳴り響く。
あぁ、師匠が帰ってきた。
どうしよう、師匠は気づいてくれるだろうか?
「お師匠さま、おかえりなさい!」
「おかえりなさい」
アンジーの言葉に従うように、私の口が自然に動く。
顔を出した師匠が、私とアンジーを見比べて、不思議そうにしていた。
「随分と、仲良くやっていたみたいだな」
「はい!リザさんに、色んなこと教えて頂きました!」
「それで、師匠、少し提案があるんですけど、いいですか?」
提案って何、と思いながらも、アンジーは私を操ることをやめてくれない。
不用意なことを言わせないで欲しい、と心の中で懇願するしか出来ないのが悔しくて、泣きたいくらいだが、涙すら操られているのか目頭が熱くなることすら無かった。
「提案?」
「はい。アンジーを見ていたんですけど、本当に優秀なんですよ。私の知らない魔法陣なんかも書いてますし」
ほら、と私がアンジーの目の前の紙を手に取って師匠に手渡す。
どんな酷いことを言わされるかと思えば、私の口からアンジーが優秀であることを伝えて欲しかっただけなのだろうか?
それくらいなら、普通に頼んでくれれば、言ってあげたのに。
ほっと力を抜いたところで、自分の口から飛び出てきた言葉に息が詰まりそうになった。
「そこでですね。師匠も2人面倒見るのは大変だと思いますし、しばらくはアンジーにかかりっきりになってあげた方が良いかなぁ、と思うんです」
待って、と私は内心で悲鳴を上げる。
隣でにこにこと笑っているアンジーを止めたかったが、私の身体は思い通りになってくれない。
「それで君はどうするんだ?」
「邪魔するのも悪いし、しばらくは街で暮らそうと思うんですけど、どうでしょう?」
師匠は表情の読めない顔でこちらを見つめた後、くっ、と面白そうに喉の奥で笑う。
「リザが自分からここを出ると言うのには、驚いたな」
「まぁ、良い年ですし、一人で暮らすのも悪くないなぁ、と思いまして」
「馬鹿娘。魔法が使えるようになるまで、自立はさせないと言ったのを忘れたか?」
もちろん、覚えてるに決まっている。
追い出されるかもしれない、と戦々恐々としていた時に、あの言葉にどれだけ救われたか分からない。
「さて。アンジー」
「はい、何でしょうか!」
「茶番はそこまでだ」
師匠がそう言った瞬間に、身体中に纏わりついていた泥のような重みが無くなる。
軽くなった身体を、動かしてみて、自分の思い通りになってくれることに、心から安堵した。
「と、解けた!」
「で、リザ。まだ出て行く気はあるのか?」
「そんな訳ないでしょう!出て行ったりしません!」
「だ、そうだが?」
師匠の口角がゆるりと上がる。
ギラギラと金色の双眸が輝いて、まるで、袋小路に追い詰めた獲物を甚振るのを楽しんでいるような、意地の悪い顔になっていた。
「なんのことですか?リザさんが、心変わりしただけでしょう?」
「とぼけるな。貴様、本当は僕に習うまでもなく魔法が得意だろう」
「そ、そんなことないです!アンジーは、魔法が出来ないから、お師匠さまに教えてもらおうと…」
「嘘をつくな。最初は騙されたが、魔力のコントロールは本当は完璧なはずだ」
師匠は肩を竦めて、次々と暴露をしていく。
「癇癪を起こすと同時に、呪文なしに魔力によって周囲のものを破壊するのは、小さい子供がよくやることだ。だが、意図的に起こすことも可能だろう?このようにな」
言った瞬間、ガタガタと窓ガラスが震え、音を立てる。
「泥人形の時は、魔法が上手く扱えないのを見せようと、魔法が崩壊しないギリギリの線で余分に魔力を注いだな?」
「そ、そんなこと、ないです…」
「最後に、リザを操ったのが失敗だ。傀儡の魔法は、1ミリの失敗も許されない。相手を支配するために、自分の魔力を正確に注がないといけないからだ。この魔法は、配分を間違えば確実に失敗する。偶然で使える魔法ではない」
「うぅ…」
完璧に言い返せなくなったアンジーに、師匠は冷たい声で告げた。
「破門だ。自習をしろと言った僕の言葉に背き、姉弟子に危害を加える愚か者に、教えることは何もない」
「そ、そんな!アンジーは、別に、そんな、悪いことをしようとした訳じゃないんです!」
「自分の希望を通すために、魔法を使い、他人に無理を強いる、その姿勢が間違っている。魔法はお前の欲を満たすために存在している訳じゃない。持つ者として、持たざる者のために使うべきだ」
アンジーは、ローブの裾を握り締め、呆然と立ち尽くしている。
「だいたいにして、誰からも魔法を習っていないというのが嘘だろう。それでも、本気で勉強したいのならば、と譲歩したが、どうも目的も違うみたいだからな」
「も、目的って…アンジーは魔法が…」
「はっきりと言っておくが、お前が人間じゃないのも分かっている」
さらりと師匠の口から零れた事実に、開いた口が塞がらないのは私だけだろうか。
アンジーが人間じゃないだなんて、どれだけ目を擦ってみても、信じられない。
一体、何者なんだろうか。
本人も、正体がバレているとは思ってもみなかったようで、ぽかん、としている。
「ニンフかルサルカか…どちらかは分からないが、リザを排除し、僕を誘惑しようとしたんだろう?ターゲットを間違えたな」
「あ、う、うぅ…」
ニンフもルサルカも、名前だけ聞いたことがある。
どちらも、可愛いらしい女性の姿をした魔物のはずだ。
人間や他の魔物の男性を誘惑して、からかったり、稀に本当に気に入った相手は魔界へさらって行くこともあるらしい。
アンジーはと言えば、返す言葉もないようだ。
その表情が、師匠の語ったことが真実であることを肯定している。
「イタズラなら別のところでやってくれ」
「…完敗です。うー、せっかく、かっこいい魔法使いを見つけたと思ったのにいいいい!」
悔しそうに地団駄を踏んで、アンジーがハニーブラウンの髪を振り乱す。
ふるふると肩を震わせながら、キッとこちらを睨んできた。
「お前!こんな立派なお師匠さまに師事できること、感謝すると良いです!」
「え、あ、は、はい」
思わず敬語になってしまった。
しどろもどろになって頷いていると、アンジーはくるりと身を翻す。
そして、瞬く間にその姿を消してしまった。
「あ、あれ?アンジーは…?」
「さぁな。どこかへ帰ったんだろう」
師匠はアンジーの書いた魔法陣を眺めてから、何も言わずに、そのまま燃やしてしまう。
おろおろとしているのは私だけで、師匠はいたって平然としていた。
「えっと、結局、アンジーは魔物で、イタズラで弟子志願をしてきたってことで良いんですか?」
「その通りだ。悪質な奴じゃなかったのが、救いだな。またどこかに、新しい男を見つけに行くんだろう」
この数日間、アンジーには完全に振り回されてしまった。
けれど、彼女が来てくれたおかげで、師匠との仲が少しだけ良くなったような気もする。
そこは、アンジーに感謝をするべきだろう。
こうして、小さな騒動は幕を下ろしたのだった。




