17
視界の先に、横たわる肢体が2つ。
1つは、師匠。
もう1つはアリーセさんの身体。
そして、半透明に浮かんだ、肩まで伸びた茶髪の優しい印象を与える顔立ちの女性がその場に現れる。
驚くほどに透き通った青い目が、驚愕に見開かれていた。
私は立ち上がると、師匠に駆け寄り、その身体を抱きしめる。
冷たくなっているものの、呼吸はしているようだ。
とりあえず、生きていることに安堵して顔を上げれば、エーデルさんとアリーセさんが結界の中に飛び込んでくる。
弾かれるのではないかと、ヒヤリとしたが、何事も無かったかのように入り込んだ2人に私は驚いた。
(さっすが2人。結界解いたのに気付くのも早いね)
「アルノーさんが解いたんですか?いつの間に?」
(リザが、リュルザに駆け寄ってる間にね。アイリスの使う魔法は、ほとんどオレが教えたようなものだし。解くのは簡単だよ)
アルノーさんは、本当に偉大な魔法使いのようだ。
師匠が褒めそやしていたことが、少し理解できたような気がした。
「アリーセ!身体を!」
「わかってるわ!」
アリーセさんが、自分の身体に手を伸ばす。
するり、と半透明の身体が吸い込まれるようにして消えた。
エーデルさんが、その身体を抱き起こす。
「なんで・・・?あんたがやったの?」
アイリスは、憤然とした表情でこちらを睨んでいる。
ゴーストのような存在になったからと言って、油断はできない。
そう身構えた時、身体からするりと何かが抜けるような感じがした。
そして、抱きしめていた師匠の身体がぴくり、と動く。
「師匠?」
問いかけても、答えはない。
ただ意識は戻ったようで、小さく呻いた後に、身体を起こした。
「うっわぁ。健康な身体ってこんなに軽いもんなのか」
直後に飛び出た言葉遣いに、私は目を見張る。
まさか、先ほどの感覚は。
「アルノー・・・さん?」
「心配しなくても、リュルザの意識が無い間にちょっと借りるだけだよ」
からからと笑う師匠の表情は、アルノーさんそのものだ。
私の身体から出て、師匠に移ったのだろう。
深緑の髪と、金色の双眸だけが本来のアルノーさんとは違う。
宥めるように私の頭を撫でた後、アルノーさんは師匠の身体を使ったまま、ふわりと半透明のまま浮いているアイリスと対峙した。
「さて、久しぶりと言うべきか、さっきぶりと言うべきか・・・」
「アルノー?アルノーなの?」
アイリスが手を伸ばす。
けれども、その手はアルノーさんに触れることなくすり抜けてしまった。
「元気してた?っていうのも、おかしな話だね。オレのせいで、君はずいぶんと変わってしまったようだ」
小さくため息をついたアルノーさんは、屈んで手近に咲いていた花を手折る。
咲いては枯れるを繰り返したその花は、花弁をつけたまま時を止めた。
「ねぇ、アイリス。オレたちは、本来ならもう死んでるはずの人間なんだ」
「でも、でもぉ!私はアルノーを死なせたくなくて!例え、私の魂が業を背負うことになったとしても!それでも、一緒にいたいのぉ!」
「語尾を伸ばすくせ、まだ抜けてないんだね」
小さく微笑んだアルノーさんの手の中の花が青味を帯び、花弁が増えて薔薇へと変化する。
その魔法に、私はもちろん、アイリスも驚いたようだ。
「もう、辞めよう。オレは、君にこれ以上、罪を重ねて欲しくない」
そっと、アルノーさんが青い薔薇を差し出す。
「オレは、負けず嫌いで、一生懸命で、命の尊さを知っているアイリスが好きだよ」
アイリスが言葉に詰まる。
動揺したように、その姿が揺れた。
「還ろう、アイリス」
差し出された薔薇を、アイリスが呆然とした様子で見つめている。
周りの花々が、音も立てずに咲いては、枯れていく。
今まで気付かなかった、むせ返るような芳香が私を満たした。
指1本動かすことも出来ず、ただただアルノーさんとアイリスを見つめる。
エーデルさんも、意識を失ったままのアリーセさんを抱きかかえたままじっと成り行きを見守っていた。
「ねぇ、アルノー」
静まり返った空間の中で、アイリスの声が響く。
初めて彼女の声を聞いた時のように、優しく、柔らかい声音だった。
「今でも、私の事好きって言ってくれる?」
アイリスが、問いかける。
アルノーさんはふわりと微笑んだ。
「もちろん」
アイリスがそっと手を伸ばし、青い薔薇に触れる。
その瞬間、地面から黒い影が飛び出しアイリスの身体に巻き付いた。
「なに・・・?!」
驚いているのは私だけらしく、エーデルさんやアルノーさんはもちろん、当人のアイリスですら当たり前のような顔をして立っていた。
「さよなら、アルノー。愛してるわ」
アイリスはそう言った後、こちらに視線を投げてくる。
何か言いたげに口を開いたけれども、そこから言葉が発されることは無かった。
半透明の身体が、影に覆われてどんどん見えなくなる。
「さて、オレも行くかな」
師匠の身体を借りていたアルノーさんが、くるりとこちらを振り返る。
そして、私の隣に座ったかと思うと、そのまま倒れてしまった。
「アルノーさん!?」
驚いて身体を抱きかかえれば、師匠の腕が力無く垂れる。
どうやら、アルノーさんの魂が身体から抜けたようだ。
「リザ、リュルザによろしくね」
「え?!」
声が耳元で聞こえる。
けれども、いくら探しても、アルノーさんの姿は何処にもない。
アイリスと同じように姿が見えるものなのだと思っていたけれど、アルノーさんの場合は術が半端だったせいか、姿を保てないようだ。
普通のゴーストたちと同じように、私には目視することが出来ず、声だけが聞こえて来た。
「アルノー?!あなたまで一緒に来ること・・・!」
「言っただろ、オレは今でもアイリスが好きだって」
「でも!」
何かを突っぱねるように、アイリスが手を前に押しやる。
けれども、誰かに抱きしめられ、拘束されたように彼女は動かなくなった。
きっと、姿が見えないだけで、そこにアルノーさんがいるのだろう。
「ねぇ、リザ。君がアイリスに酷いことされたの、オレ、わかってるんだ」
アルノーさんが、懺悔をするように、小さく呟いた。
私は大人しくそれを聞く。
「アイリスのことを話した時、我慢ならないって顔をしていたのにも、尋常じゃない憎しみようだったのにも、気付いてた」
寂しそうなアルノーさんの笑い声が響いた。
「それでもね、オレはアイリスが好き。ごめんね、リザ」
黒い影が、アイリスと共に姿の見えないアルノーさんを呑み込む。
どうしてだろう。
私の両親を殺して、トリス君とナナちゃんの両親まで殺して、ルーカスさんをも殺したあの女が。
どうして、誰かに愛されるのだろう。
私は、アルノーさんの言葉を、許すことも出来なければ、否定することも出来なかった。
なぜなら、心のどこかで、アイリスがアルノーさんと一緒に居たいが為に、手段を選ばなかったことを肯定している部分があるからだ。
私だって、両親と共に過ごすための時間を、取り戻すことが出来たはずなのだ。
師匠は、私に何度もその選択肢を差し出してきた。
そして、アリーセさんの身体を奪わせないようにすることも、アルノーさんとリュルザを融合させないようにすることも、出来たはずだ。
それでも、それを選ばなかったのは、師匠と一緒にいたかったから。
遠い未来の世界で、私が師匠に出会うことを望んだからなのだ。
「アリーセ、エーデル。オレ、2人のところで一緒に過ごせて楽しかったよ。本当に、ありがとう」
エーデルさんが、何も言わずに、こくりと頷く。
未だに目を覚まさないアリーセさんを抱く腕に、力が入ったように見えた。
そして、アルノーさんは私の隣にいる師匠を見つめる。
「ねぇ、リュルザ。聞こえてないのは百も承知だけど…」
黒い影が、アルノーさんとアイリスの身体を覆い尽くす。
影の隙間から、一瞬だけ、アルノーさんが優しく微笑んだような気がした。
「さよなら、オレの悪友」
それ以上、彼は口を開こうとはしなかった。
黒い影が、2人を覆い尽くし、何も見えなくなる。
やがて、黒い影は、収束して地面へと消えてしまった。
アルノーさんも、アイリスも、そこにはいない。
「・・・何が、起きたんですか?」
エーデルさんに問いかければ、彼は2人が消えた場所を見つめたまま、口だけを動かす。
「業を負ったものは、その業を償わなければならない。魂を浄化するための場所に行ったんだよ」
「でも、アルノーさんは・・・?」
「彼まで行く必要はなかった。けれど、アイリスについて行ったんだろう」
一陣の風が、私の頬を撫でてすり抜ける。
ピィ、と頭の上に乗ったスノウが一声鳴いた。




