033 たまには普通の料理を④
白身魚のポワレは30分で完成する予定だった。
アリスとの共作ということで、余裕を持って45分程度と見積もっていた。
しかし、実際には1時間以上かかった。
「思った以上にぐだついたな……」
アリスの調理技術は、俺の想像を超える酷さだった。
彼女にとっては、剣で魔物を斬るよりも、包丁で食材を切るほうが難しかったようだ。
とはいえ、なんとか形にはなった。
「ですが、とても美味しそうですわ!」
アリスが目を輝かせる。
その視線の先には、湯気を立てる三つの皿が並んでいた。
白磁の中央に盛られているのは、鯛やスズキといった白身魚だ。
皮目は均一な焼き色を帯び、淡い琥珀色に染まり、パリッと香ばしく仕上がっている。
皿の縁にはバターソースが透き通るような琥珀の海を描き、魚の上には鮮やかな緑のパセリと刻みエシャロットを混ぜ合わせたエスカルゴバターが乗せられている。
付け合わせはジャガイモのピュレとインゲンのソテーだ。
「この料理、フレンチのメニュー風に言うなら〈フィレ・ドゥ・ポワソン・ブラン・ポワレ、ブール・ノワゼット・パルフュメ・オ・ブール・デスカルゴ、ピュレ・ドゥ・ポム・ドゥ・テール、エ・アリコ・ヴェール・ソテ〉といったところか」
「長っ! でも、なんだかオシャレですわね。日本語にするとどういう意味なんですの?」
「〈白身魚のポワレ ブール・ノワゼット エスカルゴバター仕立て~ジャガイモのピュレとインゲンのソテーを添えて~〉だ」
「ブール・ノワゼット……? それは何ですの?」
俺はフライパンに残ったソースを指差して解説した。
「調理の仕上げで、アロゼしていたバターを焦がす直前で止めただろ? あれをフランス料理では『ブール・ノワゼット』――つまり『ヘーゼルナッツ色のバター』って言うんだ。香ばしさがナッツに似ているからな」
「なるほど……。料理用語というのは奥が深いですわ」
感心したように頷くアリスに、俺は皿を持つよう促した。
「よし、冷めないうちに食べようぜ」
「はい!」
俺たちは三人分の皿を慎重に持ち上げ、ダイニングへと向かった。
◇
ダイニングテーブルには、すでにカトラリーが並べられていた。
俺とアリスが並んで腰を下ろすと、テーブルの正面には――。
「お嬢様、どうして私まで……?」
――天王寺家の専属シェフ、パットンがいた。
彼は目の前に置かれた皿を見て、困惑の表情を浮かべている。
「厨房を使わせていただいたお礼ですわ!」
アリスは満面の笑みで答えた。
俺はナプキンを膝にかけながら補足する。
「それに、俺の技量を推し量る機会になればと思ってね。アリスがモタついたせいでクオリティは下がったが、それでも満足させられるはずだ。さあ、食べてくれ」
「なっ……! モタついたとは余計ですわ!」
「事実だ。言っておかないと、このクオリティが俺の限界だと誤解される」
パットンは微かに頬を緩めた。
それから優雅な所作でナイフとフォークを手に取る。
「ふっ、若造が。……私が誰だか分かっていながら強気なものだ。いいだろう、その度胸だけは認めてやる」
パットンは食べる前に皿を観察し始めた。
品定めをする審査員の目つきだ。
「盛り付けに迷いがない。下手に飾り立てず、必要な要素だけを残している。最低限の“品”はあるようだ。だが、問題は味だ。ポワレという料理はシンプルゆえに誤魔化しが利かん」
パットンがナイフを入れる。
カリッ、と小気味よい音を立てて皮目が切れた。
切り分けた身をフォークに刺し、ゆっくりと口へ運ぶ。
「これは……!」
咀嚼した瞬間、パットンの目がカッと見開かれた。
数秒の沈黙の後、彼は信じられないものを見る目で皿を見つめた。
「……皮目が立っている。身はほどけるほど柔らかいのに、加熱による収縮で締まっていない。芯まで火を通しつつも、決して過熱ではない――余熱で止めたな」
的確な分析だ。
その反応を見て、アリスが身を乗り出す。
「パットンさん! エスカルゴバターはいかがですか!? わたくしが作ったのですよ!」
褒めてほしくてたまらない様子のアリスに、パットンは表情を和らげた。
「ええ、よくできています、お嬢様。香草が熱で死んでおらず、練りが均一で、刻みも極めて繊細です。エスカルゴバターを完全に溶かし切らなかった判断も良い。粒が口の中でほどけて、フレッシュな香りが立ちます。ニンニクは前に出すぎず、レモンの酸とパセリの清涼感が脂を軽くし、全体の輪郭を締めている。実に丁寧なお仕事です」
「やった! 聞きましたか!? シュウジさん!」
アリスが勝ち誇った顔で俺を見てくる。
「ああ。大絶賛だな。念のため言っとくが――仕上げでエスカルゴバターの溶け具合をあえて残すと決めたのは俺だぞ」
「でも、実際に手を動かしたのはわたくしですから! 貢献度ならわたくしのほうが上ですわ!」
「みじん切りすらままならなかった奴がよく言うぜ」
パットンはそんな俺たちのやり取りを見て笑みを浮かべる。
――が、料理に目を戻すと、再び真剣な表情になった。
メインの次は付け合わせだ。
「ピュレも見事だ。生クリームのように滑らかで軽いのに、味が薄くない。ジャガイモ本来の甘さがしっかりと残っている」
続いてインゲンを食べ、丁寧に咀嚼し、頷いた。
「インゲンの火入れも正しい――青臭さを消しつつ、野菜としての“青”が生きている。どちらもソースを拭う役割を果たし、付け合わせとして完璧に機能している」
「今回は無難に食感のコントラストを重視してみたが、満足してもらえたようで何よりだ」
付け合わせは、皿のテーマや完成度を決定づける重要な要素だ。
どれだけメインが良くても、それを支える脇役が雑では台無しになる。
「若い料理人ほど、付け合わせの意味を深く考えず、メインにだけこだわる傾向があるが……」
パットンの鋭い目が俺の顔を捉える。
「その辺のザコとは違うってことがわかってもらえたかな?」
「ふっ、そうだな。認めざるを得ない」
パットンはナプキンで口元を拭うと、不思議そうな目で俺を見た。
「君は普段、屋台で魔物料理を出していると聞く。それなのに、よくもここまでフレンチを極めたものだ」
「美味い魔物料理を作るには、幅広い知識が必要だからな」
俺はグラスの水を一口含み、ニヤリと笑ってみせた。
「三つ星シェフに言うのは釈迦に説法だが、仮に屋台で提供するのが和食だったとしても、その調理においてフレンチの技法は役に立つ」
「なるほど。現場での経験が豊富なだけでなく、知識欲も旺盛というわけか。私も君の魔物料理が食べたくなったよ」
「いつでもご馳走するぜ。ダンジョンまで来てくれたらな!」
「検討しよう」
「ちょっと! シュウジさん、パットンさん、何を二人で話し込んでいるのですの!?」
男同士の会話に入り込めず、アリスがフォークを握りしめて声を上げた。
「わたくしを忘れないでくださいませ!」
「すまん、すまん」
「申し訳ございません、お嬢様」
俺とパットンは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
「許しませんわ! 罰として、二人にはわたくしがお腹いっぱいになるまで料理を作っていただきますわ!」
「……! お嬢様、それはあまりにも……!」
「おいおい、明日も朝からダンジョンに行くんだぞ。エスカルゴバターの仕込みもしないといけないんだが……」
「知りませんわ!」
アリスがぷんぷんと頬を膨らませる。
ただ、よく見ると笑っていて、本気では怒っていない。
「やれやれ、わがままなお嬢様だぜ」
そんなこんなで、俺たちは食事を楽しむのだった。
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