032 たまには普通の料理を③
タクシーが停車し、重厚なドアが開く。
料金を支払い車外へ出た俺は、眼前にそびえる大豪邸を見上げた。
「いつ見てもでけーな」
城壁と見紛うほど高い塀と、威圧感すら漂わせる黒鉄の門。
その奥には整えられた広大な庭園と、歴史の重みを感じさせる洋館。
門の両脇には、鋭い眼光の警備員が常駐していた。
さらに、死角なく設置された防犯カメラがこちらの挙動を逐一監視している。
さながら要塞で、日本とは思えない光景だ。
「な、なんだか緊張してきましたわね……!」
アリスは頬を赤く染め、もじもじと身をよじらせている。
「ただ一緒に料理を作るだけなんだから、緊張することないだろ」
俺が苦笑すると、アリスはぷくっと頬を膨らませて睨んできた。
「そんなこと言ったら、また拗ねますわよ?」
「なんでだよ」
俺たちは警備員に会釈し、二人並んで巨大な門をくぐった。
ここに来たのは二度目だが、門を抜けたのは今回が初めてだ。
前回は門の前で解散した。
「俺まで緊張してきたな……!」
庭を歩いていると、体がそわそわしてきた。
「わ、わたくし、覚悟はできておりますわ……!」
アリスが恥ずかしそうに俯く。
「……?」
彼女の言う「覚悟」が何を指すのか、俺にはわからなかった。
◇
アリスの館に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず叫んだ。
「どこが一人なんだよ!」
館内には大勢の使用人がいたのだ。
その数は優に10人を超えている。
しかも彼らは、アリスを見るや否や駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
エントランスホールに使用人たちの挨拶が響き渡る。
実に温かい歓迎だ。
「わ、わたくしは『一人で寂しいからスーパーに同行している』『両親が旅行で不在』とは言いましたが、『家にはほかに誰もいない』とは言っていませんわ!」
アリスは視線を泳がせながら捲し立てた。
「シュウジさん、思い込みで批判するのはよしてくださって?」
「この野郎、一緒に過ごしたくて騙したな……!」
アリスは「うっ」と口ごもった。
「それならそうと素直に誘ってくれればいいのに」
俺が呆れ顔で言うと、アリスは頬を膨らませた。
「乙女心がわかっていませんわね」
「まあ、男だしな。わからないさ」
とはいえ、別に嫌な気はしない。
アリスと一緒に料理を作るのは、俺自身も楽しみにしていたことだ。
「それより厨房に行こうぜ!」
「はい! 案内しますわ!」
◇
大豪邸の厨房だから広いだろうとは思っていたが、実際は想像以上だった。
磨き上げられたステンレスの調理台、壁一面に吊るされた大小さまざまな鍋やフライパン、業務用の巨大なオーブン……。
まるで高級レストランの厨房そのものだ。
そして驚いたことに、先客がいた。
調理台の前で静かにナイフを研ぐ、白髪の初老の男。
その顔を見た瞬間、俺は反射的に口を開いた。
「パットンじゃないか!」
パットン――。
日系アメリカ人で、高級フレンチの名店〈クロノス・グルマン〉で総料理長を務めた三つ星シェフだ。
俺が子供の頃には表舞台から姿を消していて、すっかり引退したものと思っていた。
「なんだね? 君は」
パットンは怪訝そうに目を細め、俺を見据えた。
その眼光は鋭く、猛獣のような威圧感を放っている。
しかし視線がアリスに移ると、表情は一転して好々爺のそれになった。
「アリスお嬢様!」
「パットンさん、今日もお疲れ様ですわ!」
アリスが笑顔で応じ、それから手のひらを俺に向けた。
「こちらはシュウジさん! 前にお話していた、私の雇用主様ですわ!」
「ほう……」
パットンは再び俺に視線を戻す。
「彼がダンジョンで魔物料理を提供しているという……」
パットンは明らかに俺を値踏みしていた。
ねちっこい視線で、俺の全身を舐め回すように見てくる。
「そんなにじろじろ見なくても、料理人なら手を見ればわかるだろ?」
俺は気負うことなく、パットンの前に両手を差し出した。
その手には、無数の小さな傷や火傷の痕、そして包丁ダコが刻まれている。
同業者が見れば、それだけで力量が推測できるものだ。
冒険者でいうところのランクみたいなものだ。
「この手は……!」
パットンは目を見開いた。
「たしかに、それなりの場数は踏んでいるようだ。しかし、所詮は若造。魔物という複雑怪奇な食材を自在に操り、真の美味へと昇華させられるとは思えんな」
パットンは俺に対して半信半疑だった。
技術を認めつつ、若すぎる年齢が引っかかっているようだ。
今の俺が18歳であることを考慮すると、それは当然の反応だろう。
「ここに魔肉があれば、俺の魔物料理を披露してやれるのだが……」
「ふん、あるわけがない。ここは由緒正しい天王寺家のお屋敷だ」
パットンが即座に切り捨てる。
「だよなー。ということで、俺の実力は想像に任せるよ」
俺は肩をすくめ、話題を切り替えることにした。
「パットン、これは本当に申し訳ないんだけど、厨房を借りるぜ」
「なんだと?」
パットンの眉間に深い皺が刻まれる。
これまでと違って、明らかに敵意を剥き出しにしていた。
凄まじい怒気だ。
(そりゃ怒るよなぁ)
厨房は料理人にとっての聖域だ。
アリスだけならまだしも、部外者の料理人に使わせるのは許せないだろう。
ましてや、その相手がどこの馬の骨とも知れぬ若造であればなおさらだ。
逆の立場なら、俺も全く同じ反応を示していただろう。
だから、パットンに対しては純粋な申し訳なさを感じるばかりだ。
そのうえで、俺は真摯に告げた。
「アリスと料理を作るんだ」
そう言ってから、俺はアリスの方を向く。
「専属のシェフがいるって知っていたら、こんな無礼な行為をすることもなかったんだがな」
俺の皮肉に対し、アリスはバツが悪そうに視線を逸らす。
だが、意を決したようにパットンに向き直ると、深々と頭を下げた。
「パットンさん! そういうわけですので、厨房を使わせてください! お願いしますわ!」
「ア、アリスお嬢様、頭をお上げください!」
パットンが慌てて手を振る。
「もちろん可能でございます! ここはお嬢様のお屋敷なのですから、どうぞご自由にお使いください! 私は邪魔になりますので、失礼します!」
パットンは丁寧に手を洗い、タオルで拭きながら厨房の出口へと向かう。
その去り際に、俺のことを一瞬だけ睨みつけた。
(厨房を使わせてくれるんだ。睨まれるだけで済むなら安いものだろう)
同じ料理人だからわかるが、パットンは決して悪くない。
誰が悪いかといえば、間違いなく根回しをサボったアリスだ。
しかし、当のアリス本人はというと――。
「さあ、シュウジさん! 料理のお時間ですわ!」
いつの間にか準備を整え、満面の笑みを浮かべていた。
白銀に輝く軽鎧の上から、フリルの付いたエプロンを身に着けている。
なんとも奇妙なスタイルだ。
「はいよ」
俺は気を取り直し、買ってきた材料を広大な調理台に並べ始めた。
無塩バター、にんにく、パセリ、エシャロット。
さらに調味料として、レモン、塩、胡椒を置く。
「まずはエスカルゴバターを作ろう」
「わたくしは何をすれば!?」
アリスがウキウキした様子で尋ねてくる。
「バターが常温に戻るまで少し時間があるから、その間ににんにく、パセリ、エシャロットをみじん切りにしてくれ」
「みじん切り!?」
「難しそうか?」
「い、いえ、大丈夫ですわ! たぶん……!」
「たぶんかよ」
俺は苦笑しつつ、彼女の手元を注視する。
ペティナイフを持つ手がプルプルと震えていた。
「無理なら言ってくれ。怪我をされたら困る」
最初の指示を終え、俺も自分の作業に取り掛かる。
レモンを半分に切り、断面から溢れる果汁を絞ってレモン汁を用意する。
エスカルゴバターにほどよい酸味を加えるためのものだ。
続いて、今回のメイン食材である鯛とスズキを取り出す。
どちらも切り身の状態で購入したため、鱗取りや内臓処理といった面倒な下処理は不要だ。
さらに袋から小麦粉を取り出し、バットに広げる。
これらの材料から作るのは――そう、〈白身魚のポワレ〉だ。
レシピそのものは簡単で、素人が作っても美味しく楽しめる。
はずなのだが――。
「ぐぐっ……! みじん切り……! みじん切りですわ……!」
俺はアリスの手つきを見て不安になった。
作業は遅々として進んでいない。
野菜を刻んでいるというより、爆弾の解体作業をしているかのようだ。
「アリス、代わるよ」
「だ、大丈夫ですわ……! これくらい、わたくしにだって!」
「本当に大丈夫かよ」
予想以上に前途多難だが、これまた二人で作る楽しみだろう。
俺はアリスの動きに気を配りつつ、自分の作業を淡々と進めた。
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