第3話 太一の窮状
どうして私が、江戸の時代にいるのか。
あの将棋盤の光は何だったのか。
そして――
その将棋盤まで、
私とともにこの江戸の世へ来ているという事実。
なぜ、こんなことが起きたのか。
本来なら、もっと驚き、
取り乱していてもおかしくないのだろう。
だが――
この奇妙な出来事について、
いくら考えたところで分かるはずもない。
それよりも今は、
目の前の青年のことが気にかかった。
私は改めて、
部屋の中を見回した。
古い家だから、ではない。
壁はところどころ傷み、
家財らしい家財もほとんど見当たらない。
そして、この目の前の膳。
麦飯と味噌汁。
大根の煮物。
腹を空かせていた私には、
この上ないご馳走だった。
でも、この家にとっては――
決して気軽に、
人へ振る舞えるものではないのではないか。
「……太一」
「ん?」
「失礼を承知で聞くが、
暮らし向きは……あまり良くないのではないか?」
太一の表情が、わずかに曇った。
「……まあね」
(……やはり、そうか)
私は膳に目を落とした。
「そんな中で、見ず知らずの私に食事まで……」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか」
太一は笑った。
「腹を空かせて倒れてる人間を見つけたんだ。
飯くらい食わせるさ」
「しかし――」
「いいんだよ。困ったときはお互い様だろ?」
「…………」
私は、しばらく何も言えなかった。
今日会ったばかりの、
どこの誰とも分からぬ老人に。
自分たちにも余裕がないというのに、
この青年は食事を分けてくれた。
「……かたじけない」
そう言って、
私は深く頭を下げた。
「大げさだなあ」
太一が困ったように笑う。
そのときだった。
「おい! 太一!」
突然、外から男の声が響いた。
太一の顔色が変わる。
「……!」
勢いよく戸が開いた。
入ってきたのは、
柄の悪い二人の男だった。
「よお。いたか」
「……何の用だ」
先ほどまでとは違う、
低い声で太一が答える。
男の一人が鼻で笑った。
「何の用って、決まってんだろ。
金を返してもらわねえとな」
(……金?)
私は驚いた。
金を返せということは……
太一は、この柄の悪い男たちに、
借金があるということか。
「返す金は……今はないって言っただろ!」
「そうか。
だったら物で返してもらうしかねえな」
男たちはそう言うと、
外に置かれていた荷車へ向かった。
「お、おい! 待て!」
太一が慌てて男たちを追いかける。
私も立ち上がり、その後を追った。
荷車には、太一が運んできた、
畑から採ってきたばかりであろう、
土を被ったままの野菜が積まれていた。
男たちはそれを、
次々と自分たちの荷車へ移していく。
「やめろ!
それは売り物なんだ!」
「うるせえなあ」
「それまで持っていかれたら、
俺たちはどうやって暮らせばいいんだ!」
「そんなこと、こっちの知ったことかよ!」
男たちは抵抗する太一を押し飛ばし、
最後の野菜を放り込むと、
太一を見てニヤリと笑った。
「文句があるなら、お前の親父に言うんだな!」
「……くっ!」
(……親父?)
私は、そのやり取りを聞いて、
おぼろげに状況を理解した。
どうやら借金をしたのは、
太一の父上ということか。
「そういや、お前、
親父が今、何してるか知らねえのか?」
男が面白そうに言った。
「今もお前の親父、
賭け将棋で借金返そうと必死だぜ」
「……なんだって?」
太一の目つきが変わった。
「そんな……」
拳を握る。
「もうやめるって……言ったのに……!」
次の瞬間。
太一は駆け出していた。
「おい!
お前が行ったってどうにもならねえぞ!」
借金取りが笑いながら声を上げる。
だが太一は振り返らない。
私は、その背中を見つめた。
(…………賭け将棋)
私は、ふと思い出した。
ここへ来る途中。
太一が、
私の将棋盤を見たときのことを。
ほんの一瞬だけ、
その表情が曇った。
あのときは、
なぜそのような顔をするのか分からなかった。
(……そういうことだったのか)
父親が賭け将棋にのめり込み、
借金まで作っている。
太一にとって将棋は、
決して良い思い出のあるものではないのだろう。
……それでも、太一は、何も言わず、
私の将棋盤を運んでくれた。
「…………」
遠ざかっていく、
太一の背中を見る。
(……太一!!)
私はすぐに、
その背中を追って駆け出した。




