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40 特別依頼 その二

 春の陽光を一身に受け、ランス辺境伯領が主要都市『ヴァルキル』を見渡す小高い丘の上に俺たちはいた。


 今朝方ナハロ村を出発し、今は正午を過ぎたところだ。ツィアーノからナハロ村までは馬で二時間、ナハロ村からヴァルキルまでは馬で五時間ほど掛かる。

 

 ツィアーノに住むレイさんとメルは、昨日の晩はテオさんの宿にお世話になっていた。レイさんとテオさんは宿の隣の酒場で大盛り上がりだったと、ヴォルフはうんざりした顔で今朝教えてくれた。



「ここがヴァルキルかー!」

 ヴォルフは愛馬アンヴァルの上で、感嘆の声を上げる。



「ツィアーノより断然大きいね」


『いえいっぱい!』

「ぎゃあ」

 

 今日はクロとニヴラも一緒だ。二人ともソティラスの背に器用に乗っている。



 クロの言葉が解るようになった俺はナハロ村に帰ってからロロに散々自慢したのだが、ニヴラに依ればこれはどうやら『念話』というものらしい。稀にこの能力を持った者が人の中に現れるのだという。

 

 今回、クロの成長と主人である俺の波長がうまく噛み合ったことで発現したのだろうと、ニヴラは偉そうに教えてくれた。それを聞いたロロは躍起になってクロに話し掛けていたが、終ぞ二人の会話が成立することはなかった。けれど、そのとてもかわいらしい空間に俺がほっこりしたのは言うまでもない。



「…リュカも初めて?」

 メルの愛馬オルフェーブルは、そこら辺の青々とした草を美味しそうに食べている。


「うん。メルは違うの?」

「…おれのいえは近くだから」



「近くって言うか、隣だろ」

 俺たちの会話を聞いていた我らが育成官が、すかさずメルに突っ込んだ。



「…隣?すぐそこじゃん」

「メルはサハス国(獣人族の国)の国境の近くに住んでたんだね」



「…多分、お前らが思っているのと意味合いが全然違うぞ。こいつんちが()()()土地って意味だからな?」


「…ん」

 レイさんの言葉にメルがコクリと頷く。



 それに驚いたのは、俺とヴォルフだ。

「はぁッ?!」

「……メルって貴族だったの…?!」



「…おれ五男だし、かんけいない」

「いや、関係ないことねーだろ!もっと早く言えよ!」

 

 ヴォルフの言うことは最もだ。こんなに心臓に悪い報告もない。レイさんの家に預けられていると聞いていたし、完全に俺たちと同じ平民だと思っていたではないか。



『…ニヴラー。きぞくってなに?』

「大方は偉そうな人間のことだな。例外もいるが」

 

『じゃあ、リュカとロロはちがうな!』

「ぎゃっぎゃっぎゃ!」

 

俺たちがぎゃーぎゃーと騒いでいる隣で、二人のかわいらしい相棒はのんびりと会話を楽しんでいた。




 メルこと”メルキアデス・オーランド”は、なんと獣人国側の辺境伯の子息だった。オーランド辺境伯の名はギデオン・オーランド、どうやらレイさんの同級生のようだ。



「ギデオンが何故かランス辺境伯領の学園に留学したんだ。その時に仲良くなったってわけ」

 

 何故王立学園に留学しなかったのかと問うと、『近かったから』と答えたらしい。メルの父上はなんとも豪胆で快活な人のようだ。


「つーか、レイさんは何で貴族の子どもを預かってんだよ?もしかしてレイさんも貴族なのか?」

「いや、俺は普通の平民のおっさんだ。残念ながら」



「ギデオンの家は子どもがうじゃうじゃいるけど、メルは能力が高い。色々と面倒だったみたいだな」

 レイさんがメルの白銀の髪をガシガシと撫でた。


「ちょっとレイさん、本人の前ですよ?」

「…ほんとのことだから」



「僕はメルが大好きだよ」

「…おれもリュカだいすき」

 堪らずメルを力いっぱい抱きしめると、倍の力で抱きしめ返される。


「…まぁ、嫌いじゃねーよ」

 ヴォルフはそっぽを向きつつ、メルの頭を優しく撫でた。


 レイさんは、そんな俺たちの様子を見て楽しそうに笑っていた。




「…そんじゃ、そろそろ辺境伯の城に向かうぞ。遅れるとうるせぇんだよあの人」


 レイさんはツィアーノのギルドマスターなのだし、辺境伯と顔を合わせる事が度々あったのかもしれない。心底嫌そうなレイさんの表情の中に、敬愛の色が見えた気がした。



 そう。今日の俺たちの依頼はなんと、ランス辺境伯からの『指名依頼』なのだった。




    *


 山道を下り草原を進むと、街を囲むように流れる川に突き当たる。その川の上に架けられた立派な橋の上には、大勢の通行人の姿があった。


 俺たちは馬から降り、通行許可待ちの長い列に並ぶ。やっと俺たちの番がくると、まずレイさんが衛兵に冒険者証を見せる。



「よぉ、お疲れさん。今日はギルドの依頼で来たわ」


「…あれ?レイさんじゃないですか…?!」

 レイさんに話し掛けられた若い衛兵が、途端に嬉しそうな顔になる。

 


「お前は相変わらず元気そうだなピーター」


「ははは、唯一の俺の取り柄ですからね!」


 ピーターは明朗に笑い飛ばしながら、判を押した許可証をレイさんに渡した。



「で、こいつらも冒険者だ」


 レイさんに促され、俺たちもピーターに冒険者証を提示する。



「…え、七歳?!凄いな君たち!」

 ピーターは冒険者証と俺たちの顔を、何度も交互に見ている。



「…僕も負けてられないなぁ~君たち、頑張ってね!」

  手を振るピーターに手を振り返しつつ、俺たちは東の門塔をくぐった。


 

 東の門塔を抜けて見えてきたのは、両脇に豊かな街路樹を備えた、ヴァルキルを分断する本通りだ。北から南へ、東から西へと、二本の本通りが交差する中央には、美しい噴水広場がある。

 

 ヴァルキルは大まかに四つの区画に分かれている。まず北西の区画には、辺境伯の城と私設兵団駐屯地がそびえ立つ。その隣の北東の区画には、高級ブティックや高級レストラン、それに劇場や歓楽街などが揃っている。右下に位置する南東の区画には広大な領立学園が広がり、左隣の南西の区画には粒ぞろいの商店がひしめき合う。



 街路樹の向こう側にはずらりと店が並んでいる。ツィアーノのカラフルな街並みとは違って、白を基調とした建物が連なる。俺は初めてのヴァルキルの活気に気を取られつつ、ランス辺境伯が待つ城へと向かった。




 城を囲むお堀の上に掛かる橋を渡ると、城の正門に到着する。


 レイさんが衛兵に冒険者証を見せると、俺たちはすんなりと中へ通される。きちんと話が通されていたようだ。さすがはランス辺境伯。


 城門塔を越えて見えてきたのは、色とりどりの木花で整えられた美しい庭園の中にそびえ立つ豪壮な城だった。王城のような豪華絢爛さとはまた違う雄々しさと美しさを兼ね揃えた白煉瓦造りの古城に、俺とヴォルフは暫し圧倒された。



 城の正面には、貴賓の歓待をする中央塔がそびえ立ち、右手東塔には財務、総務、政務など領の行政を担う文官達の庁舎が。左手南塔には、ランス辺境伯らが住まう居城が高くそびえる。


 俺たちは城門塔の隣に建てられた馬房にソティラスたちを預けると、東塔へと進んだ。そこの一階エントランスで、辺境伯の従者と落ち合うことになっていた。


 中に入れば、ツィアーノのギルドを少し彷彿とさせる景色が広がっていた。造りこそ全く異なるが、膨大な資料を抱えた文官が階段を駆け上り、商人らしき男と議論をする文官たちは難しい顔をしている。街の中だけではなく、ここで働く者たちも活気に溢れているのが印象的だった。



「よぉ、()()()()()()!」


 

 そんな時、一人の男が駆け寄ってくる。


「え、キース…?」

 

 『レイヴァンズ』とは誰かと思えば、どうやらレイさんの名前らしい。それに、少し長めの前髪が特徴的なこの男にも見覚えがあった。

 


「何でお前がわざわざ来るんだよ」


「たまにはお前の顔が見たくなってな。嬉しいだろ?」


 二人の親し気なやり取りを見ていた俺は、男の事をふと思い出す。そうだ、イメストラ(悪代官)の事件の時にナハロ村に弁明に来てくれた『キース子爵』ではないか。



「こっちは可愛い女の子を期待してたっつーの」

「ハハハ。そんな人材、うちにはいないわ」


 二人は固い握手を交わすと、俺たちの方へ向いた。



「これはこれはメルキアデス様。お久し振りですね」


「…どうも」


 キース子爵は、朗らかな顔でメルに笑い掛けた。そして、俺とヴォルフにもそのままの笑顔で話し掛けてくる。


「俺はキース、辺境伯様の”小間使い”みたいなもんだな。君たちの話は色んなところから聞いてるよ」


「初めまして。リュカと申します」

「ヴォルフです」


 自分の事を小間使い等と言っているが、キース子爵は側近中の側近だ。ランス家の分家の出身で、領の運営の補佐から城の管理まで全てを担っている切れ者だ。



「『幻の花』の事も勿論聞いている。一体どうやって見つけたんだ?」

 キース子爵は『信じられない』と俺たちを称賛しつつ問うた。


「この子が色々と助けてくれたんです」


『えっへん!』

「ぎゃっぎゃっぎゃ!」


 ニヴラは今回全く関係無い癖にいつも通り偉そうなのは置いておく。その隣で誇らしげに胸を張るクロを俺はそっと抱き寄せた。


「”漆黒”の魔狼ね……それに、本当に小竜を連れてるんだねぇ…」


 キース子爵は顎をさすりながら、しみじみと二人を眺めている。

 

 普通、魔狼の色は白か茶だ。クロは霊獣の子孫なので特別なのだろう。対するニヴラの体も美しいサファイアで覆われている。青いワイバーンはいないのだとロロが教えてくれた。




 無事『幻の花』である青いクリサンセマムをツィアーノのギルドへ持ち帰った俺たちは、そこに偶然居合わせた他の冒険者たちによって激しく揉みくちゃにされた。曰く”祝福”らしいが、酷いもんだった。それによって、ギルドで少しずつ名が知れてきていた俺たちの名が更に知られる事となったのは間違いない。


 後日一千万ギルを本当に受け取った俺たちは、三者三様だった。ああ見えてヴォルフは意外と堅実なので、ほぼ全額をギルドの金庫に預けていた。一方のメルは豪胆なところがあるので、レイさんの家政婦であるドニさん夫婦の家の改築代として、殆ど使ってしまったらしい。


 対する俺は、半分を自分の貯金にまわし、もう半分はルーシュに渡した。ルーシュはかなり驚いていたし、初めは受け取る事を頑なに拒否していたが、押し問答の末ようやく受け取ってくれた。


 それと、レイさんだ。俺たちは報酬金を四等分しようと考えていたが、レイさんはそれをすっぱり断り、1ギルすらも受け取らなかった。『お前らが一人前の冒険者になったら、俺を養ってくれ』なんて、いつも通りどうしようもない事を言っていたけれど、本当にレイさんは格好良い男だと思う。


 

「アントニヌス国王陛下も大層お喜びだったと聞いているし、シャルロッテ王女殿下から手書きのお礼状まで頂戴したんだろ?」


「はい。開けるのに緊張しました」


「そりゃそうだろうなぁ」

 うんうんと、キース子爵はひとり頷いている。


 レイさんから手紙を受け取った俺たちだったが、王家の紋章の封蝋にまず気が引け、シャルロッテ様の直筆サインを見て更に気が滅入った。内容としては、当たり障りのないお礼状だった。それに、『いつの日かお礼を伝えに参ります』という最後の文章が現実のものとなる事もないだろう。




「…悪い悪い、えらく立ち話しちまったな!南塔で辺境伯がお待ちだ」

 キース子爵がレイさんの背中をバシバシと叩く。


「…おい、キース。お前のせいだぞ、ふざけんな」

 レイさんが『痛ぇわアホ』とキース子爵の頭を小突いた。


「大丈夫大丈夫ー」

「本当かよ…」



「さぁ行こうか。未来の『()()()()』諸君!」

 キース子爵がやや大袈裟に振舞うと、南棟に向かって歩き始める。


「…”英雄候補”?何だそれ…」

「激励みたいな事なんじゃない?」


 首を傾げつつも、俺たちもその後に続いたのだった。



    *



「今日は良く来てくれた。それに、先日の活躍もさすがと言う他ない」



 今日も今日とてランス辺境伯様は大変麗しい。黒みがかった艶やかな亜麻色の髪の下には、彫刻のごとく端正な顔がいつものように無表情を湛えている。



 俺たちはと言うと、応接の間ではなく南塔一階の客間に案内されていた。公の場ではないので気を楽にしてくれという辺境伯様の心遣いなのだと、辺境伯の後ろに控えるキース子爵がそう話していた。



「レイヴァンズ。やはりお前の人を育てる才能は確かだな」

「辺境伯様。こいつらの出来が良すぎるんです、俺の力添えなど些細なもんですよ」


 辺境伯とレイさんの和やかな雰囲気が、二人の確かな繋がりを感じさせた。



「それも解っている。リュカ、メルキアデス。お前たちが『幻の花』を見つけたと聞いているが」


「はい辺境伯様。メルとクロが活躍をしてくれたのです」

『えへへ!』


「そうか。大儀だったな、メルキアデス」


「…いいえ。リュカもクロもいたので…」


 いつもよりはちゃんと話している気がするが、メルはこんな時でもぼんやり半目だ。そんなメルに対し、辺境伯が気に留める様子は全く見られない。豪胆というか向こう見ずというか、メルにはハラハラさせられる。



「仲良くやっているようで何よりだ。ヴォルフ、お前も活躍したと聞いている」


 辺境伯に話を振られ一瞬ぎょっとしたヴォルフだったが、メルとは違い丁寧に言葉を返した。

「俺は冒険者の救助をしていただけです。ですので、依頼に関しては何の功績もあげていません」


「救助活動も冒険者として立派な仕事だ。胸を張るが良い」


 どうやら、ヴォルフとレイさんが登った側の方が早く登れる分険しいルートだったようで、少なくない数の遭難者が出ていたらしい。レイさんの指揮のもと負傷した冒険者を麓の村まで運ぶ羽目になったヴォルフは、『俺何しに来たんだ…?』とがっくり肩を落としていたようだ。レイさんがこっそりそう教えてくれた。


 


「今日来て貰ったのは他でもない。我が子息”ニコラエフ”に会ってもらう為だ。それが今回の依頼内容だ」


 辺境伯は顔色一つ変えずにそう告げた。もちろん俺たちは事前に依頼内容を聞いていたのだが、いざ辺境伯本人の口から聞くと何とも不思議な感じがした。たぶん、辺境伯は一見冷たい感じがするので、わざわざ自分の息子の話し相手を用意する事が意外に感じられたのだろう。



「ニコラエフ様にお会いするなんて赤子の時以来ですよ。楽しみですね」

 レイさんが笑顔で顎髭を擦りながら、少し遠くを見た。



「何を言っているレイヴァンズ。お前には別の”仕事”を用意している」


「…はい?」

 レイさんの顔が、途端に真顔になる。



「入れ」

「はっ!」


 辺境伯がそう合図をすると、鎧を纏った一人の男が客間に足を踏み入れた。




「レイさん!」


「ライオネル……」



 レイさんにライオネルと呼ばれた男が敬礼をする。どう見ても一般兵ではないのは明らかだ。



「お久し振りです!お元気そうですね、レイヴァンズ()()

「…やめろやめろ。一体何年前の話をしてんだよ…」



「…え?」

「『団長』…?」 


 ライオネルは今確かにレイさんの事を『団長』と呼んだ。メルは気にせずお菓子を頬ばっていたが、俺とヴォルフは勢いよく顔を見合わせた。



「…あー、言ってなかったっけ?」

 レイさんが頬をポリポリと掻く。



「よう少年諸君!俺は()辺境伯兵士団長のライオネルだ!よろしくな!」

 ライオネルは俺たちに向かって元気よく挨拶をしてくれた。


 ということは、ライオネルの前の団長がレイさんだったという事なのか?

 

 俺とヴォルフはただただ目を丸くするしかなかった。


「今日は一日兵団の訓練に付き合ってくれるんですよね?俺たち準備万端ですよ!」


「……え、そうなんですか?」


「宜しく頼む」

「頑張れよ、レイヴァンズ」


 辺境伯はやっぱり無表情だったし、キース子爵はとても良い笑顔で親指を立てた。


 そして、嬉しそうにぐいぐいとレイさんを引っ張るライオネル団長に連れられ、我らが育成官は一足先に客間から姿を消したのだった。




「入ってこい。ニコラエフ」


「…はい」



 ライオネル団長とレイさんが去ったすぐ後、少年特有の凛とした声が部屋の中に届いた。



「皆さん初めまして。僕はニコラエフと申します。皆さんにお会いできるのを楽しみにしておりました」


 ニコラエフはゆっくりと客間に足を踏み入れると、少し緊張した面持ちでペコリとお辞儀をした。



 ジェラルドの顔は綺麗さと精悍さを足したような顔つきだと思っているが、弟のニコラエフは中性的で愛らしい顔立ちをしていた。ジェラルドが以前俺とニコラエフの事を”似ている”と言った事があったが、やはり顔の事ではなかったのだと再確認できた瞬間でもあった。

 


「メル様は、お久し振りでございますね」


「…うん。久しぶりニコラ」



「お初にお目に掛かりますニコラエフ様。僕はリュカと申します」

「俺はヴォルフです。宜しくお願いいたします」



「今日は公の場ではありませんし、僕のことはどうぞ”ニコラ”と申しつけ下さい」


「…では僕たちはニコラ様と呼ばせて頂いても宜しいですか?」

 隣でヴォルフも頷いている。



「困らせるなニコラエフ」


「申し訳ありません父上……この日を楽しみにしていたもので…」

 ニコラエフは恥ずかしそうに目を泳がせた。



「レイヴァンズから既に聞いているとは思うが、ニコラエフは生まれつき体が弱い。なので殆ど城外へ出たことがない」

 

 所謂、『虚弱体質』というものらしい。腕白盛りの五歳の男の子にとってはとても難儀なことだと思う。


「今日は優秀な冒険者であるお前たちの話を聞かせてやってくれ」


「宜しくお願いします」

 ニコラはまたペコリとお辞儀をした。


  


    *


 辺境伯とキース子爵が退室したので、ニコラの隣にメルが座り直した。  


 俺の正面に座るメルを見れば、ポリポリとまだクッキーを食べている。この後は昼食のようだが…まぁ、大丈夫か。



「ジェラルドお兄様からお話は伺っています。リュカさんの錬金術は本当に素晴らしいのだとか」

 

 緊張が和らいだようだ。ニコラは興味津々という表情で、俺に話し掛けてきた。

 

「少しばかり得意なだけです。ジェラルド様は少しだけ大袈裟でいらっしゃいますので…」


「フフフ……確かにそうですね。でもジェラルドお兄様の人を見る目は他の兄様たちより確かだと、父上は申しておりました」



 そう、ランス辺境伯家の令息は全部で四人いる。まずは長男のディオン、歳は二十二だ。王立学園の領地経営科を首席で卒業し、今は辺境伯の元で色々と学んでいる最中のようだ。次が次男のエルラント、歳は十八。彼は王立学園騎士科を準主席で卒業した後、王都の騎士団に入隊している。


 三男のジェラルドは十七歳。彼は王立学園には行かず、領立学園騎士科を首席で卒業している。その後は辺境伯兵士団へ入隊し、現在はナハロ村に駐在している。



「僕はリュカさんが羨ましいです。お兄様と一緒に冒険されたこともあるのでしょう?」



 冒険……イメストラ(悪代官)の時か、バレアス島(奴隷島)の時だろうか。


「二度ほどご一緒させていただきました。ジェラルド様は腕が立つだけでなく心優しい御方です。いつも助けて頂いてます」

「そうなんです!ジェラルドお兄様はすごく格好良いんです!……」



「……失礼しました…」

 いきなり立ち上がったニコラだったが、頬を赤く染めるとゆるゆるとソファに腰を下ろした。

 

「いえ、ニコラ様はジェラルド様を慕っておられるのですね」


「はい。ジェラルドお兄様は僕の憧れでもあります」



 ニコラの気持ちは良く解る。恵まれた見目と体躯だけでなく、真っすぐで、思いやりに溢れたジェドを男として羨むのは自然だろう。それが自分の兄ならば、尚更当然だ。



「あのっ、ヴォルフ様」


「はい。ニコラ様」

 ヴォルフが優しく微笑む。


 ”ユリア”の時と見違えるほど穏やかじゃないか。そんな風に思っていたのが伝わったのか、ニコラの死角で足を思いっきり踏まれた。



「僕、実は魔法にも凄く興味がありまして……少しだけお見せいただく事はできますでしょうか…?」


「勿論構いません。どの魔法が良いですか?」


「あのっ、何でも構いません!」

 ニコラの頬が興奮で赤く染まる。



「では、【火炎魔法】と【水魔法】をご覧にいれますね」


「え、同時に…?!」



 ヴォルフが両の掌を上に向けると、右手には燃え盛る”火の華”が、左手には”水の蝶”が現れる。


「そのうえ、無詠唱だなんて…!!」


 両者は掌を離れると、ゆっくりと混じり合った。そして、蝶の体にまるで血潮のように炎が流れ始めた時、蝶は窓の外へと消えていった。



「す、凄い…!!!何て緻密な魔力コントロールなのでしょう…!!!」


「…ヴォルフはすごい」

 メルも見ていたらしい。『少し落ち着け』と、ニコラにクッキーを差し出した。


「ありがとうございます………兵団魔導士さまも、ヴォルフさんと同じ事が出来るのでしょうか…?」


「…たぶん無理」

「そうですよね…!!」

 ニコラの目がキラキラと輝いている。


 ヴォルフの魔法は凄い。俺もヴォルフのように魔法が使えたらと思うことが多々あるので、ニコラが興奮する気持ちは凄く解る。あぁ、俺も空を自由に飛んでみたいものだ。 




―コンコンコン


 控えめに扉が叩かれる。


「どうぞ」



「ニコラエフ様、失礼致します」


「ルダンテさん」


 上質な執事服を来た細身の男が入室する。ニコラにルダンテと呼ばれたこの人は、実はロイの父上だったようだ。通りでどこかで見た顔だと思った。辺境伯邸の執事長であるルダンテさんは、ロイに良く似た爽やかな男前だった。


「本日は心地よい春の陽気です。中庭のサロンで御昼食を摂られては如何かと、旦那様が申しておりました」


「さすが父上ですね。素晴らしいご提案です」


「ではそのようにご用意させて頂きます」


 ルダンテさんは美しい礼をすると、流れるような動きで退室した。やはり上位貴族の執事は風格が違う。貴族の世界に殆ど触れた事がなかった俺は、この歳(総年37歳)で社会勉強かと、有難いような、恥ずかしいような、そんな心地がしていた。




    *


 ハナモモのアーチを潜り抜けると、白のタイルにステンドグラスが散りばめられたテーブルセットが用意されていた。城の雰囲気とは少し異なるが、この美しい庭園とは凄く合っている。



「ニコラ様。とても素敵なテーブルセットですね」

 

「有難うございます。確か、おばあさまのご趣味だと聞いてます」



 なるほど、辺境伯のお母上か。こんな素敵なテーブルセットを用意するくらいだ、きっと豊かな感性の持ち主でいらっしゃるのだろう。『実は父上が…』と言われなかったことに、俺はこっそり安堵した。

 


「クロさんとニヴラさんの分も用意させて頂きました」


 俺たちの前菜が運ばれ始めると同時に、ルダンテさんは二人の前にサッと白磁の皿を置く。


『おいしそお…』

「ぎゃあ!」

 

 クロはたらーっと涎を垂らし、ニヴラはビタンビタンと尻尾を振っている。あれは恐らく魔牛(超級)に違いない。あの見事な肉質は絶対そうだ。少し羨ましい。



「フフフ……喜んでいただけて嬉しいです」


「…もしかして、ニコラ様は動物がお好きなんですか?」


 何となくそんな気がしていた。クロとニヴラの事をちらちらと見ているのは気付いていた。もしや苦手なのかと思っていたが、どうやら逆だったらしい。



「そうなんです。あの、僕の愛犬を呼んでもよろしいですか…?」


「勿論です」


 曰く、クロよりも体が大きいので怖がらせてしまうのではないかと、懸念していたらしい。そもそもクロは魔狼なので大丈夫だと伝えると、ニコラは少し恥ずかしそうにした。そしてそんなニコラの頭を、メルが優しく撫でている。



「おいで、ルピン!」


 すると、客間にはいなかった真っ白な犬がどこからか駆け寄ってくる。



「なるほど、確かに大きいですね」


 体高は六十センチ程だろうか。クロよりも二十センチ程大きい。スノーウルフを連想させるふわふわな毛並みがとてもあいらしい。ルピンはクロに近付くと、ペタンと伏せをした。



「え、どうしたんだろう…?」


「実は、クロは”少し”特殊な魔狼なんです。なので、気を使ってくれているのかもしれません」


「なるほど……動物の中にも序列関係があるのですね」

 ニコラは興味深そうに二人のやり取りを見つめた。



「…ルピンは僕の一番の友達なんです。体が弱い僕を、ずっと支えてくれました」


 生ハムのサラダを飲み込むと、ニコラは静かに語り始めた。



 『虚弱体質』というのは何か明確な原因がある訳ではない。それなのに、良くなったり悪くなったりを繰り返す、なんとも曖昧で残酷な症状だ。



「…皆さんは、このクリヲラ大陸の東にある『オリエント』という国をご存じですか?」


「…しらない」

「初めて聞きました」

 俺の隣に座るヴォルフも、首を振っている。



「オリエントはどうやら、薬学が発達した国らしいのです。……実は一緒にオリエントへ来ないかと、アドラステア公爵家ご令息のシュヴァルツァー様にお誘いいただいています」


「!!」


 ……なるほど。今回の依頼の”意味”が見えてきた。



 シュヴァルツァー・アドラステア、御年十六歳。アドラステア公爵家の三男だ。シュヴァルツァーは王立学園をたった二年で卒業すると、いきなり医師の道へ飛び込んだのだと言う。



「シュヴァルツァー様が師事なさっているのが、オリエントから王宮治療院に留学していた、チュウケイ先生です。チュウケイ先生はお若いけれども、とても優秀なお医者様なのです」


 ニコラの手が止まる。メルがニコラのリゾットを狙っている事に気付いたニコラは、笑いながらメルに皿を渡した。

 


「…この度チュウケイ先生は応急治療院での学びを終え、オリエントへ帰られるということでした。そこで、シュヴァルツァー様はチュウケイ先生と一緒にオリエントへ渡航することをお決めになったのです」



「なるほど、そういうご縁なんですね」

 

 シュヴァイツァー様は余程の天才なのだろう。でなければ、公爵家の三男がそんなに簡単に国を出られるとは思えない。


「そしてどうやら……僕の体にはオリエントの”東方薬”が、合っているようなのです」


 ニコラがタラのムニエルをそっと口に入れた。



「その事もあって、シュヴァイツァー様はニコラ様をお誘いになったのですね」


「はい。ジェラルド兄様や母上は反対なさっていますが、父上は僕の思うようにすれば良いと仰って下さっています」



 ジェラルドが激しく反対する姿が簡単に想像できた。しかし、今回ばかりはジェラルドの気持ちは大いに理解できる。何せニコラはまだ五歳だ。加えて体も弱い。そんな弟が一人で渡航するかもしれないのだ、止めたくなるのも無理はない。



「……ずっと、悩んでいました。でも………今日皆さんとお話をして、このままじゃ駄目だと思ったんです」


「ニコラ様……」



「僕の夢は、魔獣医師になることなんです。何度諦めたか解りません。でも、それも今日で終わりにします」


 亜麻色のニコラの目に、決意の色が見えた。


「僕の夢を…笑わないで下さいますか…?」



「勿論です。ニコラ様」

「…ニコラならなれる」

 ヴォルフとメルが力強く頷いた。



「えへへ……有難うございます…」




 その時、何故か俺の頭の中に、”ヨハン”の顔が浮かんだ。



「リュカさん、どうかされましたか?」


「あ、いえ…」


 …彼なら、『行きたい』と言うだろうか。俺なら、行きたいと思う。



「……ニコラ様。実は僕の知り合いに医者見習いの者がおります。その者を連れて行って頂くことなど、可能でしょうか…?」



「え、そうなのですか?!…お恥ずかしい話ですが、知らない人ばかりの渡航にも不安がありまして…」




「本人の意志を確かめさせて頂いてからにはなりますが、もしお許しを頂けるならば、彼を是非ニコラ様に同行させて頂きたく存じます」


「それは心強いです!その方はどちらの方なのですか?」


「ナハロ村で、医者見習いをしています。その者はヨハンと申しまして……」



    *



 ヨハンの返答は結局、『快諾』だった。


 

 雲一つない春の青空が広がる今日、ヴァルキルの南にあるランス辺境伯領の港から、アドラステア公爵家のキャラック船が出向する。



 ヨハンがナハロ村に来てまだ五か月余り。ゴル爺の診療所で堅実に、着実に、経験を積んでいる。だが恐らく、こんな機会はもう二度と訪れないだろう。その事を誰よりも理解しているゴル爺は、俺と一緒にヨハンを説得し続けてくれた。



 『お前と過ごした日々は短いけれど、ワシはお前の事を息子のように思っておる』



 出発前ヨハンにこっそり見せて貰ったゴル爺からの手紙には、そう記してあった。ヨハンの三白眼の瞳が涙で揺れていたが、俺はそれを見ない振りした。



「…じゃ、行ってくる」 

 

「うん。手紙たくさん書くから」


 俺とヨハンは堅い握手を交わす。九つ歳の離れた俺たちだが、俺たちはたぶん、互いのことを親友だと思っている。


 辺境伯家の従者と共にヨハンが巨大な船に乗り込んだのを確認すると、俺はニコラの元に向かった。

 


「ニコラ様」


「リュカさん!わざわざ有難うございます!」


 灰がかったニコラの亜麻色の髪が海風で舞い上がる。ニコラはとても清々しい表情をしていた。



「もし良ければ、どうかこの子を旅のお供に連れて行って下さい」


 そんなニコラに向かって、俺は【魔法のかばん】から一匹の”ファルコン(はやぶさ)”を取り出した。



「え、ファルコン……?!」

「【キー!】」



「僕が造った【伝書バト】です。この子は誰よりも速く、貴方の大切な文を届けます」


「嬉しいです……大切にします…」


 ニコラはぎゅっとファルコンを抱きしめると、ファルコンはそのまん丸の瞳を嬉しそうに細めた。



 最後の最後に駆けつけたジェドはずっと泣いていたし、そんなジェドの様子に、辺境伯はいつも通りげんなりとしていた。


 シュヴァイツァー様はかなりの天才のようだが、ロロのような大きな眼鏡を掛けるなど、どこか風変りだった。そんなシュヴァイツァー様はヨハンの事を気に入ったらしく、たじたじのヨハンを気に留める事無くぐいぐいと話し掛けた。



 なんだか羨ましいな。若い男たちの船出が、きらきらと輝いて見える。




 チュウケイ先生が甲板の上から俺たちに向かって長躯を丁寧に折り曲げる。

 

 そしてゆっくりと、彼らを乗せたキャラック船は東の国『オリエント』へと旅立って行ったのだった。



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