39 冬に咲く花
「うぅぅ…寒すぎんだろ…!」
山を越えて吹き下ろす風の冷たいこと。ヴォルフは身をぶるりと震わせる。
「ヴォルフくん?君、魔導士だよね?」
そんなヴォルフをレイさんは呆れた顔で見ている。
「あ、そっか」
「わふわふ」
ヴォルフは【火炎魔法】を発動すると、火力を最低限に抑え自分の体に纏う。それを見ていたクロは、ヴォルフの足にぴとっと体を密着させた。
「冒険者が大勢いますね」
手に息を吹き掛けながら周囲を見回す。
「そりゃそうだろ。何たって、報酬『一千万ギル』だからな」
「…”一千まんギル”…」
今俺たちがいるのは、『ミューレン村』。ツィアーノの北に位置する『ヴェルドン渓谷』の麓にある村だ。ナハロ村よりは大きいが、ツィアーノよりは小さい。俺たちは空っ風が吹き荒れる冬空のもと、愛馬たちを走らせ一日掛けてここまで辿り着いた。
「あいつらだって”幻の花”を狙ってんだからな?争奪戦だぞ」
「そうですね。負けていられません」
何故俺たちがこんな遠くまでやってきたのか。それは、冬にだけ咲く”幻の花”を見つけるためだった。
幻の花とはつまり、『青いクリサンセマム』のことだ。クリサンセマムは普通、白い花弁に黄色の花芯をしているのだが、数万本に一本青いクリサンセマムが咲くと言われていた。
では何故その花を皆がこぞって探しに来たのか。それは、各地のギルドへ向けて王宮から『特別緊急依頼』が出された為だった。
「一人のがきんちょの為に皆すげーやる気になっちゃってんなぁ~」
体が温まってきたヴォルフはいつもの調子が戻ったらしい。また捻くれたことを言っている。
「ちょっとヴォルフ、がきんちょって…」
ヴォルフが言っていることはあながち間違いではないが、”普通の”がきんちょではない。
「…お姫さまかわいそう」
…そう。件の『がきんちょ』とは、アントニヌス国王陛下が御息女、”第四王女”シャルロッテ様なのだった。
シャルロッテ様はまだ御年五歳だが、生まれつき肺が弱く、幻の花の”蜜”で作られた薬をずっと飲んでおられたそうだ。
「でもよー、一体誰が何の為に”幻の花”を盗んだんだ?”肺の病”に効くだけなんだろ?」
「王宮なんてのは俺たちみたいな庶民には計り知れない場所なんだよ、”がきんちょ”」
「んだとクソ育成官?!」
レイさんの顔がニヤついている。今日も二人は絶好調だ。
幻の花は王都の生物院にて厳重に管理されていたようだが、ある日突然、忽然と無くなってしまったらしい。しかも犯人は未だに見つかっていないそうだ。
『誰かがシャルロッテ様の命を狙ったに違いない』、『シャルロッテ様が亡くなったら誰が一番得をするのか?』、冒険者の間ではそういった話で持ちきりだった。
「幻の花が咲く条件は、気温が氷点下であること、標高2000m以上であること、近くにヘレナモルフォがいることだ。これ以外は詳しいことは解っていない」
これはかなり厳しい探索になりそうだ。如何せん範囲が広すぎる。いったい何日掛かるのだろうか。
「…思ったんだけど、リュカなんか造れねーの?」
「…多分造れると思う」
”幻の花”の写真も手元にあるし、効能や条件も解っているから、【探索器】は造れる。レーダーを使えば恐らく数時間で見つけられるだろう。
「…さすがリュカ…」
メルの瞳が普段では考えられない程に輝いている。きっと、頭の中のメルは山のような骨付き肉に埋もれて幸せいっぱいのことだろう。
「…ま、それは最終手段だな」
レイさんは事も無げにそう言った。
「えーーー?!何でだよ?!その方が効率的だし確実だろ?!」
それに対し、案の定ヴォルフは大声で抗議する。何ならメルも珍しくご不満だ。
「いいかお前ら。仲間と協力することと依存することは、意味合いが全く違う」
「…そりゃあ、言ってることは解るけどよ…!」
「…けち」
「お前らの横にいつもリュカがいるとは限らないし、いつもリュカがお前らを助けてくれるとは限らない。つまり、今日はてめえらで考えろ」
確かにその通りだ。俺自身がリュカの才能に依存していることもあって、とても耳が痛かった。
「……クソーーー、上等じゃねーか!やってやるわ!!」
「…おれだってできる」
「採集系依頼は地道がモットーだからな。覚えとけー」
いきり立つ二人を前に、レイさんは楽し気に笑っていた。
「え、レイさん…?レイさんじゃないですか…!!」
「あ…?」
すると突然、誰かがレイさんの傍に駆け寄ってくる。
「お久し振りです!変わらないですね、レイさんは…!」
「お前……ルシアか、久しぶりだな」
青年は右手を差し出すと、レイさんもそれを握り返した。
「…誰だ?」
「解らない」
ヴォルフもメルも知らないようだ。この素朴な青年は一体誰なんだろう。帯刀しているし、冒険者のようではあるが…
「どうしてこんな所にいるんですか?あ、遂にギルマスをクビになりました?」
「ばーーか。絶賛仕事中だわ」
レイさんが青年を小突く。
「…え、もしかして……育成中ですか?こんな遠くまで?」
「おう。お前らもやっただろ、『特別依頼』」
「うわぁ、懐かしいーーー!」
青年は目を細めて嬉しそうに俺たちを見た。
「僕はルシア、上級冒険者だよ。今年で十八だね」
ルシアはまた右手を差し出したので、俺もそれを握り返した。気さくな青年のようだ。
「僕はリュカです。七つになりました」
「ヴォルフです。同じ年です」
「…メルです」
「七歳か、凄いなぁ…。俺よりも早く冒険者になった子なんて、久しぶりに聞いたよ!」
「良かったなお前ら。こいつは『若手ナンバーワン』の冒険者様だぞ。元々はツィアーノを拠点に活動していたが、今は各国を飛び回ってんだよな」
「なははは……。そうなんです、その甲斐あって、実はもうすぐ超級冒険者になれそうなんですよ!」
この歳で超級冒険者とは凄いな。俺の親父なんか上級冒険者から上がれずに食堂を始めたクチだった。比べるのも失礼な話だろうが。
「そりゃめでてーな。じゃあ俺の代わりにギルマス出来るじゃねーか」
「いつかはやりたいですけどね。でも、レイさん超級⁺じゃないですか?」
「ギルマスは超級でなれるんだよ。あと五歳年取ったらお前を推薦してやろうか」
「え、本当ですか?!」
『悩むな~』とルシアは困った顔で笑っている。
何ともハイレベルな会話だ。二十代のギルドマスターなんて聞いたことがない。
「そういや、オルヴィナとスヴェンはどうした?」
「急遽別の緊急依頼が来ちゃったんで、宿で旅支度に追われてます。僕たちも”幻の花”を見つけるつもりだったんですけどね…」
超級冒険者寸前の実力者ともなれば指名の依頼が後を絶たないのだろう。ルシアから鼻にかける様子は全く見られないし、多くの者から頼りにされている様子が俺の目には浮かんでいた。
「この村にも、他の採集候補地にも、山のように冒険者たちがいる。でも、俺は後輩の健闘を祈ってるよ」
若手ナンバーワン冒険者はにこやかに笑った。俺たちに激励を送ってくれたルシアは、手を振りながら軽やかに走り去っていった。
*
馬宿に愛馬を預けた俺とメルは、目の前に広がる雄大な雪山を見上げていた。
山頂までは約3000m。ヴェルドン渓谷はその手前の山間に位置する。今は晴れているがいつまた雪が降りだすか解らないし、登山道は既に雪で埋もれてしまっている。
「…リュカおんぶする?」
「大丈夫だよ。有難うメル」
結局、俺たちは二手に分かれて探索することになった。俺とメルとクロ。ヴォルフとレイさんのチームだ。ヴォルフは最後まで抗議していたが、『リュカに負けるのが怖いのか?』とレイさんに焚き付けられると、レイさんを置いて無言で飛び立っていった。その後レイさんの放った雪つぶてがヴォルフの後頭部に直撃したのは、仕方のないことだと思う。
ヴェルドン渓谷は東西に伸びているので、俺たちは西側から、ヴォルフたちは東側から進む作戦だ。ヴォルフたち先遣隊は【風魔法】で一気にヴェルドン渓谷まで飛んでいくので、俺たちが到着する頃には奇跡的に”幻の花”を見つけているかもしれない。
「…どこにあるかな」
「先人がここで発見しているからね。あるにはあるんだろうけど…」
ピョンピョンと軽やかに跳んでいくメルとクロの後ろに付いていく。俺は二人のように跳んでいく体力はないので、地道に歩く他ない。
「…ぜったい見つける」
「だね」
『一千万ギル』という夢のような報酬額に圧倒されてしまうが、これは一人の少女の命が掛かっている依頼だ。なんとか見つけ出してあげたい。俺はヘレナモルフォの生態を頭の中に浮かべつつ、今後の作戦について考えを巡らせるのだった。
―それから二時間後。
「…まっしろ」
「綺麗な景色だね…」
俺たちは止まることなく進み続け、無事ヴェルドン渓谷に到着していた。およそ標高2500Mの地点、空気が大分薄く感じる。更に上に見える山並みも、俺たちがいる場所も、見渡す限り見事な白銀の世界だった。
「ふぅー…」
額から流れる汗を拭う。メルの脚力と持久力は人族の比ではないので、俺は完全に足手まといだった。それに、メルにはまだ劣るが、クロもなかなか頑張っていた。俺はまだまだ鍛錬が足りない。
「…おなかへった」
「わふぅ…」
殆ど疲れを見せない二人だが、腹は減ったらしい。ぎゅるぎゅると腹の虫が元気に鳴いている。
「とりあえずご飯にしようか」
「…やった」
「ワン!!!」
俺は【魔法のかばん】から、魔牛の肉(上級)やら椅子やらを取り出す。そして、不燃布の上で火を起こした。
「…にーくにーく」
メルは慣れた手つきで肉串に塩を振ると、さっそく焚火の傍で炙り始める。肉の焼ける良い香りが、白銀の世界に漂い始めた…
…次の瞬間だった。
―カサカサッ...
葉がこすれる音に、クロがぱっと立ち上がる。
「…何かいる」
「小型の動物かな?」
俺は串の向きを変えながら、様子を窺った。
ぽすん、ぽすん…
何かが雪の上を歩いている。
…そして、
「…きゅーん…」
可愛らしい鳴き声と共に、草の陰から一匹の白い子狼がひょっこりと姿を現した。
「スノーウルフだ…」
雪のような真っ白のふわふわの毛に、くりくりの黒い瞳。それを見た途端、俺は反射的に立ち上がった。
か、かわいい……
あまりの愛らしさに俺が悶えていると、クロはゆっくりと子狼に近付いていった。
「わふわふ」
クロは子狼の匂いを嗅いでいる。挨拶をしているようだ。
ぎゅるぎゅる……
すると、子狼の腹の虫も鳴き始めた。
「何だお前、腹減ってるのか」
「…わかる」
どうやら肉の匂いにつられて来てしまったようだ。この山には食糧がないのだろうか、そもそも親はどうした。俺も子狼に近付こうと、一歩を踏み出した瞬間だった。
――ガサガサガサッ...!!!!
さっきよりも、”派手”な音が聞こえる。
そして、
ぼすぼすぼす……
重い足音がしたかと思えば、今度は、三頭のスノーウルフが草陰から姿を現した。ちょうど俺くらいの背丈だろうか。
「…たぶんそいつの家族」
メルは肉串が焦げないように火から遠ざけると、そのうちの一本をパクリと口に入れた。
俺の少し先で、クロとスノーウルフ三体が見つめ合っている。俺は背中の弓に手を掛けたが、殺気は未だ感じられない。
すると突然、スノーウルフがクロに向かって一斉に平伏した。
「何だ、どうした…?」
「…クロは霊獣だから…」
俺が目を白黒させていると、メルは俺の口に良く焼けた肉串を入れる。
「…うまい。メル、知ってたんだ」
「…もちろん」
事も無げにメルはそういうと、新たな肉串を焼き始めた。
「がうがうがう?」
「がうがう…」
今度は両方ともお座りをしている。暫し話し合うと、クロが俺とメルのところにやって来る。
「がうがうがう」
「…なるほど」
「クロは何だって?」
非常に悔しいが、俺にはまだクロの言葉が解らない。
「…冒険者が多くてこまってる」
「冒険者…?」
「…魔獣へる。ごはんない」
「あぁ、そういう事か…」
今回の『特別依頼』のせいで多くの冒険者がこの地に来るようになってしまった。冬の間に起きている獣の数は少なく、その多くを冒険者に狩られてしまった、という訳だった。
「それは、災難だったね」
俺は【魔法のかばん】に手を入れる。確か、まだ解体していない魔鹿の死骸があった筈だ。
「あった…一体で足りるかな?魔牛とか魔猪なら沢山あるけど…」
俺はスノーウルフの前に魔鹿の骸を置いた。
「ワンワン!!!」
「…じゅうぶんだって」
「それは良かった。でも、念の為に魔牛も一体置いておくよ。当分冒険者はいなくならないからね」
俺は【魔法のかばん】から魔牛の骸をもう一体取り出した。
「が、がうぅぅぅ…!!!」
すると今度は、俺に向かってスノーウルフたちが一斉にお腹を見せ始めたではないか。
「え、かわい、じゃなくて、今度は何?」
「…リュカはクロの主だから…」
「あ、そういう事ね」
そんなに崇められても。俺は少し照れ臭くなって、頭をポリポリと掻いた。
「…おなかいっぱい」
「だね。そろそろ探索しようか」
ヴェルドン渓谷に着いてから、かれこれ一時間は経ってしまった。俺たちは立ち上がると焚火を片付け始める。
「がうがうがう…」
「がうがう?」
クロとスノーウルフたちはまた何やら会話をしている。その隣で、腹が満たされた子狼はうとうとし始めていた。
「クロ、そろそろ行くよ」
俺は【魔法のかばん】に椅子をしまいつつ、クロに声を掛ける。予想外の客もきたことで随分とゆくっりしてしまった。すると、俺の呼びかけに反応したクロは、一番大きなスノーウルフを伴って俺たちの前に来た。
「え、どうした?」
俺はクロとスノーウルフを交互に見る。
「がうがう!!」
「…え…?」
スノーウルフはメルに一生懸命何かを伝えている。
「スノーウルフは何て?」
「…青いちょうちょ、見たって…」
メルの半目が、極限まで開かれていく。
「うそ………本当に?!」
その言葉を理解するや否や、俺は思わずスノーウルフに抱き着く。嘘だろう。そんな幸運があって良いのか。
まさかヘレナモルフォの情報がこんなに簡単に手に入るとは思わなかった。果実臭で釣って変に呼びつけてしまったら、蝶は元の場所から離れてしまう。【地図】を造って、虱潰しに調べていくしかないと覚悟を決めたところだった。
スノーウルフが尻尾を揺らしながらじっとこちらを見ている。
「…案内してくれるって」
「奇跡だね」
俺たちは喜び勇みつつ、スノーウルフの後に付いていく事にしたのだった。
*
―雪の上を歩くこと三十分。
「この辺りなの?」
「ワン!!!」
「…みたい」
スノーウルフの尻尾がふっさふっさと揺れている。俺たちはなだらかな坂道を上り、巨木がそびえ立つ林の入り口に来ていた。
「有難う、本当に助かったよ」
「ワフゥ!」
『恐れ多い』と言わんばかりに、スノーウルフはその巨体をビクリとさせた。
「ワンワン!!」
「わふわふ」
クロもスノーウルフを労っているようだ。クロの体はまだ成犬ほどの大きさしかないが、立派に魔狼の王をしている。こうやってクロも成長していくのだな。俺は少し感動してしまった。
「予想していたよりも高さがあるな…」
スノーウルフと別れた俺たちは林には入らず、林の右手に広がる崖淵から崖下を見下ろしていた。
渓谷と言えば、なだらかな傾斜の下にさらさらと伏流水が流れるような風景を想像していたが、実際は30mはあろうかという絶壁の崖の下に凍てついた広大な川が広がっていた。
これは、落ちたら死ぬ。
「…おれ崖おりる?」
メルのしっぽがパタパタと揺れている。既に行く気満々だ。
「いや、まずは林から探そう」
この辺りをヘレナモルフォが飛んでいたという事は、幻の花はこの辺りに確実にある。それが林の中なのか、崖肌なのかはまだ解らないが、まずは捜索範囲が広い方から探していきたい。俺たち三人は手分けして幻の花を探し始めた。
「…ないな」
あれから一時間ほど経過した。雪や茂みを掻き分け、半径100m程の一帯を虱潰しに調べた。
しかし、それらしき花は見つからない。
俺はふと、自分の足元を見る。雪の深さは俺たちの膝まである。クロなんか殆ど埋まってる。『冬に咲く花』とはいえ、こんな場所で育つのだろうか…
「…となると、やっぱり崖肌か」
「…まかせて」
いつの間にか隣に来ていたメルの尻尾が、ぶんぶんと揺れている。
「…ねぇ、メルは怖くないの?」
俺はちょっと嫌だ。行けと言われれば問題なく行けるが、ここは海ではない。
「…ぜんぜん」
メルはキョトンとしている。
この子は一体どんな未開の地に住んでいたのだろうか。メルは郷土のことをあまり話さないので解らないが、メルの身体能力の源が垣間見えた気がした。
「…よし、これでバッチリだ」
メルの身体に命綱をつけ、片方を巨木の幹にしっかりと結びつけた。
「…いってくる」
「気を付けてね、メル」
メルはコクリと頷くと、グローブを付けた手で凍れる絶壁を降りていく。本人は至って平然としているが、見てる方は冷や汗ものだ。こういう時、魔法は本当に便利だと思う。俺は手に汗を握りながらメルの動向を見守った。
三分の一ほど降りた頃だった。メルの動きが、ピタリと止まる。
どうしたのかと見ていると、メルは片手で壁を器用に掴みながらもう片方の手で崖肌を指さしている。
「…あった」
「!!!」
メルの小さな声は俺には届かなかったが、メルが『何か』を発見したことは間違いなかった。
「…おれこの中はいる」
メルが自分と崖肌を交互に指さす。ここからは見えないが恐らくメルの前に”空洞”が広がっているのだろう。
俺が返事をしようとした、その時だった。
「ワンッ!!!」
「!!」
俺がすんでのところでそれを避けると同時に、メルの命綱が切り裂かれる。
「っ、メル!!!」
突然命綱を失ったメルはバランスを崩し、一直線に落下していく。俺は咄嗟に人差し指を口元に寄せた。
「【巨大風船】!!!」
途端、崖下に数十mはあろうかという巨大な水風船が現れる。そして、メルの身体がそこに深く沈んだ。
―――ボヨーーーーンッ!!!!!
その反動で、今度はメルの体が宙に弾かれる。その繰り返しが続いた。
そして、この瞬間を待っていたと言わんばかりに、メルの後方の草むらから三人の男が勢い良く飛び出す。あの内の誰かがメルに向けて【魔法弾】を放ったのは間違いない。
メルを”怖がらせる”ことが目的なら、わざわざ綱は切らなかった筈だ。メルが死んでも構わないらしい。俺の頭の中が一気に怒りに染まった。
「な、何だこの風船は?!」
「崖の上のガキの仕業だろ!いいから”幻の花”が先だ!!」
非常に残念なことにあいつらも冒険者のようだ。冒険者同士の戦闘が”ご法度”である事を知らない訳がなかった。
「いくぞお前ら!【風魔、」
――ヒュンッ!!!!
「っ、チィッ?!」
俺の放った矢が魔導士の足元に突き刺さる。あいつが魔法で何をするか解らないのだから、これは正当防衛だ。
「うが、?!」
「!!」
少し目を離した隙に、メルの飛び蹴りが男の頬にめり込んでいる。男の体が勢い良く後方に吹っ飛ぶ。
「メルっ!戦闘は駄目だ!!」
俺の言葉が届いたようだ。メルは即座にもう一人の男の間合いに飛び込むと、素早く足払いを掛けた。
「は、?!」
瞬く間に倒れた男の上を取ったメルは、男の首の後ろに手刀打ちをきめた。
「がッ、…」
仲間二人は早々に意識を手放したらしい。メルが二人を引きずっている。
「チィッ、ガキが調子に乗りやがってぇぇぇ!!!」
一人残された魔導士は、ここからでも解るほどに怒髪天をつく勢いだった。
「喰らえ!!【雷魔法】!!!」
次の瞬間、突如として巨大な暗雲が現れる。暗雲は雷鳴を轟かせると、地表に向かって一筋の刃を振り下ろした。
――――ピシャァァァァァッ!!!!!
「………は……?」
魔導士の男は、自分が置かれている状況を理解出来なかったらしい。
一瞬にして黒焦げとなった男は、パタリと地面に倒れた。
「…やり過ぎたかな」
俺が今使ったのは勿論、【反射板】だ。こいつには何度命を救われているか解らない。
下を見ればメルが俺たちに向かって元気に手を振っている。今度は俺自身に命綱をつけると、クロを抱え、ゆっくりと崖下に下ったのだった。
*
レイさんに【伝書バト】を飛ばしたので、その内来てくれるはずだ。メルは一人ぶっ飛ばしてしまったし、俺も魔法を跳ね返してしまったが、きっと正当防衛の範疇だろう。
「あんなところに洞窟があるとはね…」
気を失った男たちを縛り上げた俺たちは、崖の下からその穴をを見上げていた。長さは5mくらいだろうか。それと成人の男の背丈程の高さがあるように見える。あれなら日の光も入るだろうし、雪に埋もれることもない。十中八九”幻の花”はあそこにある。
「今度は【階段】か【梯子】を造ろう」
「…らくちん」
また途中で綱を切られたらたまったもんじゃない。一千万ギルは喉から手が出るほど欲しいが当然命も惜しい。それに、また冒険者と遭遇したら面倒過ぎる。
口元に人差し指を近付け、詠唱に入ろうと…
「ワン!!!」
…クロはどうしたのだろう。俺の相棒が目をキラキラと輝かせながら俺を見上げている。
「え、どうしたのクロ?」
クロの尻尾がぶんぶんと勢い良く揺れている。
「…クロがまかせてって」
「え、…」
…何だって?俺はそびえ立つ崖をもう一度見上げた。
まぁ、見事な絶壁だ。多少岩がせり出している箇所もあるが、些末なものだ。
「ワンワン!!!!」
「…オレを信じろって…」
俺はクロと崖を交互に見る。メルならまだ登れそうだ。しかし四足歩行のクロがこんな絶壁を登れるのだろうか…
「…クロ、本当に行くのか?」
「ワン!!!」
力強くひと吠えすると、クロは真剣な顔で俺をジッと見た。
「……よし、解った。援護は任せろ」
「ワンッ!!!」
そこまで言うのなら仕方ない。俺は相棒の力を信じることにした。
「…これで良し、と」
犬用の胴輪に小さな篭をつけた道具をクロに装着する。
「”幻の花”を見つけたらこの篭に入れるんだ。なるべく傷つけないようにな」
「ワン!!!!」
クロが、風のごとく駆け出す。勢いそのまま【巨大風船】の上に飛び乗った。
――――ポヨーーーーーーン!!!!!!
巨大風船の弾力を味方につけたクロは、一気に洞窟の高さへと到達する。
そして、うまく穴の中へ滑り込んだ。
「やるじゃないかクロ…!!」
「…おれもできる」
メルが隣で張り合っているが、俺はそれどころじゃない。相棒の逞しい姿に感動している最中だった。
間もなく、五分が経過する。あっという間だが、少し長くも感じた。痺れを切らしたメルが自分も探しに行くと言い始めた、その時だった。
クロが、ひょっこりと顔を出す。
「ワン!!!!」
「…見つけたみたい」
「クロ……!!!」
もしも俺に子どもがいたら、俺はこんな風に感動しっぱなしになるのだろうか。あんなに小さかったクロが立派に仕事をやり遂げるだなんて…。きっと今の俺は親父の顔をしているに違いない。
「クロ待ってろ!今【足場】を造っ、」
―ダッ!!!!
するとクロは、そのまま飛び降りたではないか。
「ええええええええ??!!」
「…おお…」
そして、
――――ポヨーーーーーン……ヨーーーン....ヨーーン..
メルの時よりもいくらか軽やかな弾音が、周囲に響き渡ったのだった。
「クロっ、大丈夫か?!」
俺は急いでクロの傍に駆け寄る。
20mはあった筈だ。下には【巨大風船】があったとは言え、あんな高さから飛び降りて骨折していないのだろうか。クーガーだって、精々10mが限界だ。全く無茶をしやがる。
『……だろ!』
「…え、メル今何か言った?」
何だろう。少年のような声が聞こえた気がしたのだが…
「…おれじゃない」
「え、」
じゃあ誰だ。ヴォルフでもないし、
『…リュカ!!』
「!!!」
『オレ、がんばっただろ?!』
俺は、思いっきり目を擦った。けど…
「…クロが………喋った…?」
確かに今、クロから声が聞こえた気がする。
「…クロの声きこえる…?」
「そう…なのかな…」
『リュカもしかして……オレのこえきこえるのか…?!』
「!!」
「……あぁ。聞こえるよ、クロ」
やっぱり、聞き間違えじゃなかったようだ。俺はクロをぎゅっと抱きしめた。
『うれしい!!!』
俺の相棒はどうやら言葉まで交わせるようになったらしい。俺の願いが一つ叶ってしまった。
「…花…」
メルの呟きは俺の耳には届かなかったが、クロの篭にはちゃんと、”幻の花”が入れられていた。
クロは土ごと掘って持ってきたのだろう。篭の中は土だらけだった。
この愛らしい手で慎重に掘ってくれたのかと思うと愛おしさは一入だ。俺は自慢の相棒を、心行くまで抱きしめたのだった。




