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結界と水洗トイレ

 それからみなで話し合った末に、ダンジョンのことは貴族一行には黙っていることになった。あちらが地下の気配に気付けば、先に見つけたことを主張するしかないが、そうでなければわざわざ話すことはないというのが総意だった。


「出来れば地下に降りていく通路を見つけたいな。多分、巧妙に隠しているんだろうけど…」


 広い空間を見渡してコウキが言い、そして続けた。


「それにしてもあいつら遅いな。足場が悪いといっても、俺たちが到着してから一時間近くたっているよな」


 そう言われてみればと、仲間たちは顔を見合わせる。追いかけてくるはずの貴族の馬車が近づいてくる気配がない。


「様子を見てくるか」


 焚き火の側からカエンが立ち上がり、それにコウキが続いた。


「俺も行く。ついでに外に通路がないか見てくる」


「私も行く。ところでイワオ、外に用を足す場所を作ってくれないか?」


 大変に現実的なユーリの訴えに、男たちは忘れていた生理現象を思い出し、残る女子二人は恥ずかしそうに顔を背けている。


「おおお、そうか、そうだよな。よし、わいに任せておけ。男女別にトイレを作ってやる」


 椅子やテーブルを作っている場合じゃなかったと、イワオが腰を浮かせる。


「じゃあ、わいはトイレットペーパーを作る。トイレと言えばペーパーがなくては始まら…いや、終わらないだろう。廃材はまだ残っているしな」


 コウゾの言葉に一緒に馬車の部品の廃材を集めながら、グレンは半信半疑で聞く。


「こんなものから、トイレットペーパーなんか作れるの?」


「当たり前だ、わいは鍛冶屋だぞ」


「鍛冶屋はトイレットペーパーなんか作らないよ。作れるとしたら錬金術師だね」


 エドガーが冷静に突っ込む。


「でも、凄かったよ、あっという間に鍋も柄杓も作るんだもの」


 唯一、双子の仕事を見ていたミハルがフォローするように言った。


「見てみたいです。私も行っていいですか」


 すっかり元気を取り戻したルナが立ち上がり、結局みなで外に出ることになった。焚き火の側でうとうとし始めた小犬が、興味なさそうに前足に顎を乗せて彼らを見送った。



 外は満天の星空、少し歪な青い月がその低い位置に掛かっている。夜に飲み込まれた荒野は、微かに空と地の境界が解るくらいで、全てが闇に染まっていた。


 大道芸人のカエンは、片手に炎を浮かべてると暗闇の中を照らし出した。コウキに炎が扱えると指摘された時から、彼は自分が自在に炎を操れることに気付いていた。

指先に小さな火を灯すことも、何人もの遺体を一瞬で焼き尽くす炎も、更に町一つ焼き払うほどの劫火を生み出せる自信もあった。こんなことが出来て本当にいいのかと、彼は自分自身が恐ろしくなる。


「おお、さすが大道芸人、便利だな」


 隣を歩く村人Aに褒められて、カエンは「そうか」と答える。


(そうか、便利か)


 コウキが放った一言で、カエンは 己を恐れる気持ちが霧散していく気がした。誰かの役に立つのなら、この底の知れない能力も悪くない。彼はそう思った。


「おお…い、お…い」


 風に乗って、遠くから男の声が聞こえてきた気がして、カエンはコウキと顔を見合わせた。


「アエリック隊長だ。おい、こっちだ!」


 コウキが声を張り上げて誘導する。しかし、向こうにはこちらの場所が解らないようだ。


「どこだ!ずっと探しているのに、お前たちが言っていた岩場が見つからん!」


 闇の中、困惑した声が響いてくる。


「どういうことだ…カエン、その火をもっと大きく出来るか?」


 コウキに訊かれたカエンは、その意図を理解して手のひらの炎を、高さ二メートルの火柱に変えた。


「そっちから炎の柱が見えるか?」


「炎?何を言っている。どこまでも真っ暗だ。声しか聞こえん!」


 アエリックの返事を聞いて、仲間たちが集まってきた。


「向こうからはここが見えないらしいな。何が起きている?」


 カエンは仲間たちの真ん中に、炎の柱を置きながら言った。手から離れても、炎はごうごうと明るく周囲を照らしている。


「なんだ、それ。便利だな、薪いらなかったんじゃないか?」


 勿体ないことをしたとイワオが呟く。


「なんとなく、やったら出来たんだ」


 言い訳するように答え、カエンは何気なく二十センチほどの火を作ってみせた。まるで炎の塊のようなそれを、両手の間でぽんぽんと行き来させ、最後に真っ暗な荒野に向かって投げつけた。

 馬車の目印になればと放ったそれは、ポフっと間抜けな音がして跳ね返ってきた。


「おおう、なんだ。なんか、壁でもあるのか?」


 足下に転がってきた炎の塊を、横跳びで避けながらコウゾが叫ぶ。ミハルが「あっ」と声を上げた。


「結界、結界よ!ほら、この周りに円形で壊れた結界があったって言ったでしょ。ひょっとして、それが直ったんじゃないかしら?」


 商人見習いの少女の推察を聞いて、仲間たち炎が跳ね返ってきた方向へ進んでいった。するとカエンの炎に照らされて、薄らと半透明の壁のようなものが見えてきた。どうやらドームのように遺跡を囲んでいるらしい。


「なるほど、本当に結界が張られているな。外からこっちは見えないのか」


 感心したようにユーリが薄い壁に顔を近づける。


「しかし、どうして急に直ったんだ?誰か、何かしたか?」


 大昔の結界が急に生き返ったことにコウキは首を捻り、指先で壁に触れようとした。


「おい、危ないぞ」


 ユーリが嗜めた時には、コウキの指は壁の向こうに抜けていた。


「ああ、やっぱり人間は外に出られるようだな。多分、この結界は外からの侵入を防ぐというよりも、ダンジョンからモンスターの類いが逃げることを防いだんじゃないかな。よし、一回出てみる」


「待て、お前の考えが間違っていたらどうす…」


 カエンが止めようと手を伸ばしたが、すでにコウキは結界の外に出ていた。振り返った村人Aは興奮したように手を振っている。


「凄い。本当に外からは見えないぞ!」


「無茶するな、バカが!戻って来られるのか?」


 怒ったユーリの呼びかけに、コウキはこちらに向かって歩き出す。ぬっと頭が抜けて、何事もなかったようにコウキは戻ってきた。


「うん、無事に戻れたな。じゃあ、あいつらを迎えに行くか。カエン、結界の外に一つ火柱を立ててくれ。それを目印にする。こっちは俺たちに任せて、お前たちはトイレの設置を頼む。思い出したら行きたくなった」


「お、おう。漏らすなよ」


 コウキとカエン、それにユーリの三人が結界の外に出て行くのを見送って、残りの仲間はトイレの設置場所を探して、岩場の後ろに回り込んでいった。



 先を行くコウゾの手には、廃材を利用した松明が掲げられている。燃えているのはカエンが放り投げた炎の塊で、勝手に長めの廃材にしがみついてきたのだ。


「おかしい、木は燃えてないのに、炎は燃え続けている。変な炎だ」


 双子兄の呟きに、炎は抗議するように一際大きく燃え上がる。まるで生きているようだった。


「うお、なんだ。これ!」


 驚いて仰け反るコウゾの隣でグレンが炎を覗き込むと、何かと目が合った気がした。


「な、なんだろうね」


 パチパチと小さな目が瞬きしたような…いや、とグレンは首を横に振る。気のせいに違いない。


(僕は何も見なかった、よし)


「グレン君、ちょっと…」


 不意に後ろから上着の裾を引かれて振り返ると、エドガーが長い前髪の下でこちらを見ていた。


「なに?僕は何も見てないよ」


「うん、君が面倒なことを避けて通るタイプだってのは良く解ったよ。ところで…君、さっき何かのスイッチ入れたでしょ」


 口元に笑いを浮かべてニートの青年が聞いてくる。


「え?何言ってるの、僕はスイッチとか…あ、ああ!」


 そうだったと、グレンは思い出す。この円で区切られた遺跡の中に入った途端、カチッと音が聞こえたのだった。しかも、彼だけに…。何か面倒事の予感がしてグレンは青ざめて行く。


「大丈夫、まだみんな気付いてないようだし、黙っておくよ」


「あ、ありがとう。エドガー君」


 エドガー君がいい人で良かったと、グレンは胸を撫で下ろした。



 トイレの場所は、遺跡の入り口に向かって左側になった。丁度、手頃な岩があったことと、井戸から適度に離れていたことが決めてになった。


「何の石だろう。白っぽくて青い鉱石みたいなものが混ざっているね」


 遺跡の巨大な岩に比べると小さく見えるが、それぞれ直径一メートルはありそうな丸い岩だ。それが四つ、五つと離れて転がっている。


「鑑定してみたら、ブループラントという魔獣の化石みたいね。魔力を含んでいるみたいよ」


 ミハルの鑑定で丸い石の正体が解った。石工のイワオがその表面を撫でて満足そうに頷いた。


「素材として問題はない。むしろ、好都合だな」


「何、どう好都合なのよ」


 興味津々でミハルに訊かれ、喋った本人のほうが困惑した顔をする。


「だから、魔力が通っているから…なんだ、よく分からないけど使い勝手がいい?」


 腕組みして考え込む双子弟を見て、エドガーがぽつりと呟いた。


「なんだろうね、僕らってやっぱり変だよね」


 ニートの言葉にコウゾが頷く。


「確かになぁ。記憶はないけど、なんとなく出来そうなことは解るし、でもやり方が解らなくて…手探りでやってる感じだな」


「あ、私も解ります。前に覚えたことを、また一から始めるようなもどかしい気持ちでした」


 実際に治療師として仕事をしたばかりのルナの言葉は、仲間たちにいろいろなことを考えさせた。


「ま、考えていても仕方ない。トイレは一メートルくらい離して二つでいいな。それぞれは、石壁で囲って…」


 真っ先に我に返ったイワオは、地面に指で簡単な設計図を描いて行った。扉が付けられないので、それぞれ壁を一重半巡らせて外から見えないように工夫する。便器は仲間たちの共通認識の座って使う便座だ。男子トイレにはもう一つ、壁に向かって小用便器を用意するつもりだった。


「あとは水のタンクと排水講か。さすがに垂れ流しは嫌だな」


 トイレといえば水洗トイレという考えがイワオにはある。そのためにはどこからか水を引いてこなくてはいけないし、下水道も設備しなくてはいけない。そう思うと頭が痛くなってくる。


「水はタンクに魔法陣を刻んでおくのはどうだろう。魔力を含んでいて使い勝手がいいってイワオ君も言ってたよね」


 興味深く地面を見ていたグレンが指摘する。


「ああ!そうか、そういうことか。じゃあ、汚水タンクにも浄化の陣を組み込んで、定期的に中を空にしてやればいいか。グレン、冴えてるな!」


 小柄な双子弟に乱暴に背中を叩かれ、グレンは息を詰まらせる。痛いけれど、なんだか懐かしい気がした。設計図さえ頭の中で決まってしまえば、あとは早いようだった。イワオが土魔法で、ガツンガツンと岩を動かし、組み立て、削っていく様子をミハルとルナが目を丸くして見守っていた。

 一方、変な炎に懐かれたらしいコウゾは、松明を地面に置くと廃材を並べ始めた。


「まず、木材から繊維を取り出すためには、細かく刻んで熱を加えて、水に溶かしてからシート状にすいて…そんで乾燥だな。漂白は…省いていいか。いや、茶色いペーパーより白のほうが清潔感があるな」


 一人ぶつぶつと呟きながら、コウゾは頭の中で加工の工程を思い浮かべながら陣を描いて行く。こうして作成方法を理解することで、初めて彼の魔法は成功するのだ。


「よし、完成だ」


 松明を遠ざけ、彼は陣に魔力を注いだ。明るい光が浮かび上がり、廃材があった場所に白い紙の小山が現れた。


「おお!」

「凄いね」


 グレンとエドガーの感嘆の声に、コウゾは満更でもなさそうに鼻を鳴らす。


「まあ、待て。こいつはまだただの紙だ。これをもう一度加工すれば、トイレットペーパーを作れるからな」


「なんで最初からトイレットペーパーにしなかったの。そのほうが早くなかった?」


 あえて工程を増やす必要があるのかとエドガーは疑問に思う。


「紙のほうが先に頭に浮かんだんだよ。確かに途中までは工程が同じだから、魔法陣を二カ所くらい書き換えれば済むし…」


 言い訳しながら紙作成の術式を弄ろうとするコウゾに、グレンが待ったを掛けた。


「ちょっと待って、この魔法陣をメモしていいかな?次からは素材を置いて、魔力を注ぐだけで紙が出来るよ。凄いよ、この魔法陣は!」


 完璧な術式を組み込んだ陣にグレンは興奮気味に言った。彼は紙の束から何枚か抜き取ると、困った顔でコウゾに頼んだ。


「ごめん、メモ取りたいから鉛筆作ってくれる?」


「無茶ぶりするなぁ、グレン君」


 呆れたようにエドガーが顎先まで伸びた前髪の下で、苦笑いする。コウゾは腕組みして少し考えると立ち上がった。


「鉛筆を作るのには黒鉛が必要だ。ちょっと待て、イワオに見つけてもらう」


「ごめんね?」


 小柄な背中にグレンは謝り、もう一度魔法陣を覗き込んだ。その視界の端で炎の塊がもぞもぞと動いている。何か長い尻尾のようなものが見え、炎は自分の前足でそれを掴もうとしてコロンと転がってしまった。


「ぶっ…」


 エドガーが吹き出し、グレンはどうしようかと悩んだものの小声で教えてやった。


「廃材から離れているよ」


 炎の塊は「はっ」としたように慌てて廃材の先端にしがみついた。

 なんだろう、これ。

 疑問が渦巻くがやっぱりここは知らん顔をしよう。そう決めてグレンは咳払いした。


『キュイ』


「聞こえない、僕は何も見てない」


 顔を背けて彼は呪文を唱える。そこへコウゾが戻ってきた。


「おう、待たせたな。弟がでかい黒鉛を呼び寄せてくれたけど、鉛筆ならこれくらで大丈夫だろ。粘土も貰ってきたぞ」


 鍛冶屋を名乗る少年は再び先ほどよりは簡単な魔法陣を描き、そこに黒鉛、粘土、廃材の切れ端を置く。コウゾの目がちらりと松明になっている廃材を見た瞬間、炎の塊が抵抗するようにぶんぶん動いた。


「怪しい、怪しすぎる」


 コウゾはそう言いながらも魔法陣に魔力を注いだ。出来上がったのは10ダースほどの鉛筆の山。すぐにグレンはそれに飛びつくと、エドガーにも紙と鉛筆を押し付ける。


「エドガー君は鉛筆の魔法陣を書き写してね、僕は紙のほうを写すから。コウゾ君、トイレットペーパーが出来上がっても魔法陣は残しておいてよ」


「脇役の癖に人使い荒い奴だな、こいつ」


 コウゾが呆れるが本人は気にせずに作業を続けていた。やがてトイレットペーパーが完成する頃には、イワオも立派なトイレを二つ作り上げていた。


「どうだ、兄よ。ミハルに命令されて、女子トイレは防音、防犯機能付きだぞ」


 双子の弟が巨石にもたれて座り込んでいる。その顔は何かをやりきったように輝いていた。


「ちょっと、グレンさん。女子トイレに入ってみてよ」


 ミハルがニヤニヤしながらグレンを手招きする。


「え、嫌だよ。痴漢冤罪とか人生終わるでしょ」


 当たり前だがグレンは尻込みする。


「大丈夫、まだ誰も使ってないんだから。ね?」


 何が『ね?』なんだか知らないが、絶対に嫌だと首を振る。と、その背中をコウゾに思いっきり押され、彼は女子トイレの通路に向かってよろけていった。

 バチンっ!


「痛っ!」


 しかし、グレンの足が通路の中に入り掛けた瞬間、鉄の板に弾かれたように、彼は地面に転がっていた。


「成功ね、これで男子は中に入れないことが証明されたわ」


 満足そうにミハルは言うと、コウゾの手からトイレットペーパーを奪ってルナのところに行った。


「ルナちゃん、先にどうぞ。私はこいつらを追い払っているから」


「でも、ミハルさん」


「いいから、いいから、急いでね。ほら、男共は離れて。いくら防音してあっても、乙女の心は繊細なのよ」


 ミハルに追い立てられ、グレンは情けない気持ちで起き上がる。


「あの、グレンさん。ごめんなさい、ありがとう」


 すれ違いざまにルナが小声で話し掛けてきた。


「う、うん。いや、どういたしまして?」


 どう答えていいのか解らずにグレンはボソボソ呟き、急いでその場を離れた。ちょっと痛い思いをしたが、あれでルナが安心できるのなら良かった。彼はそう考え、ほんのりとした気持ちになったのだった。

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