第五話「牢破り」
「牢破り」
「図に乗るのも——大概にしろよ、人間がァ……!!」
青白い炎の格子が、鬼の咆哮で吹き散った。
和勇牛、突進。 八尺の巨躯が、岩雪崩のように牢へ雪崩れ込む。振り上げられた大太刀は、刃渡りだけで人の背丈を超える——地獄の門を千年守り、亡者の列を一振りで薙いできた、正真正銘の鬼の一刀。
「今すぐ、その身体を真っ二つにしてくれるわ!!」
「世一様ぁぁ!!」
結の悲鳴。
振り下ろされる白刃を前に——世一は、避けなかった。
むしろ、前へ出た。
「なっ……!?」
両腕を、頭上へ掲げる。手首を繋ぐ黒い鎖が、ぴんと張る。 刃と、男の脳天の間に——鎖が、割り込んだ。
ギィンッ!!
火花。 神鉄の鎖が、断ち切られて宙を舞う。
「——お、前……っ!?」
和勇牛は、見た。 断たれた鎖の先で、自由になった両手が、大太刀の峰を、掌で挟み込んでいるのを。
「ば、馬鹿な……素手で、我の太刀を……!?」
「馬鹿はお前だ」
世一は、嗤っていた。
「罪人の鎖はテメエらの神力で編んである。俺の手じゃ千年かかっても千切れねえ。——なら、千切れるモンに千切らせりゃいい」
「——っ、まさか、貴様、最初から……!」
「挑発に乗ったのはテメエだろ。礼を言うぜ、デカブツ。——牢も、鎖も、開けてくれてよ」
ゾ、と和勇牛の背筋が凍った。
小せえカスだな——あの安い挑発。すべて、この瞬間のためか。 牢の格子は門番の権能でしか開かない。鎖は神鉄。罪人にできることは何もない。何もないはずだった。だがこの男は、たった一つの抜け道を見抜いていた。
——門番自身を、怒らせること。
「開けてくれりゃあ——」
世一の両手が、太刀の峰を掴んだまま、ぐん、と沈む。
「——もうテメエに、用はねえんだよ!!」
てこの原理。八尺の巨体が、自分の得物ごと、宙に浮いた。
「ぬ、お、おおおッ!?」
投げられる——咄嗟に和勇牛は太刀を手放し、空中で身を捻り、石床に着地した。地獄の床が、蜘蛛の巣状に陥没する。
(——投げを捨て、得物を捨てさせるを取ったか。化け物め……!)
だが、これでお互い丸腰。否、体格差は十倍。組み合えば負けはない。鬼の膂力で、握り潰すまで——
顔を上げた和勇牛の視界に、世一はいなかった。
「——どこを見てんだ」
声は、懐から。
潜り込まれている。八尺の巨躯の、顎の真下。最も力の通らない、死角の内側に。
(いつの間に——速い? 違う、これは——読まれている! 我の目線、我の重心、すべて……!)
千年の門番は、その刹那に理解した。 この男は強いのではない。——戦いそのものが、巧すぎるのだ。三百の修羅場が、骨の髄まで染み込んでいる。
「が——!?」
顎を、掌底が突き上げた。脳が揺れる。膝が落ちる。 崩れる巨体の、その膝を踏み台に、世一は跳んだ。両手が鬼の角を掴み——全体重と回転を乗せて、捻る。
「ぬ、ぐ、おおおおおッ!?」
八尺の巨躯が、独楽のように回って、宙を舞った。
ズウウウウン……!!
地獄全体が、揺れた気がした。 仰向けに墜ちた和勇牛の喉元へ、突き立てられたのは——鬼自身の、大太刀の切っ先。
「グ、ハ……ッ」
「勝負ありだ」
世一は、太刀を構えたまま、ふうと息を吐いた。
「……ぐ、う……殺せ……武人が敗れて、生き恥を晒せようか……」
「あ? 誰が殺すか。もったいねえ」
「な、に……?」
「お前、強えよ。俺が今まで斬った中で、間違いなく一番だ。——三百年早けりゃ、俺が死んでた」
和勇牛の目が、見開かれた。
「お前は俺に負けた。だから今からお前は、俺のモンだ。——頭に叩き込め」
「……ぐ……」
鬼は、目を閉じた。長い、長い沈黙ののち——笑った。
「……ふ、ふふ。千年、門を守って、初めて負けた。……我とて武人の端くれ。我に勝ちし者を、主と仰ごう」
「おう。それでいい」
世一は太刀を放り、鬼に背を向けた。
その先に——結が、立っていた。 壊れた牢。千切れた鎖。倒れた門番。呆然と、それらを見渡して。
「よ、世一様……あの、これは、その……」
「結」
「は、はいっ」
「お前の願いは、何だったか。……あー、そうだ」
世一は、転がっていた煙管を拾い上げ、咥えた。
「——破壊、だったな」
「……っ」
「ヤニの礼だ。——壊してやるよ。お前を苦しめてる世界、全部な」
結の息が、止まった。
手は、取らない。力は、借りない。 この男は、自分の足で立ったまま——私の願いだけを、拾い上げた。
「あ……あ、ぁ……」
「お、おい、また泣くのか。忙しい奴だな……」
「だ、だって、だって……っ、ありがとう、ございます……ありがとう、ございますぅ……!」
「礼は世界が壊れてからにしろ」
と——身を起こした和勇牛が、青い顔で口を挟んだ。
「あ、主よ……まさかとは思うが、世界を壊すとは……大神様を、殺すおつもりか……!?」
「あん?」
「む、無理にございます! 主がいかに強かろうと、神は、神は死なぬのです! 殺すなど、誰にも——」
「だまれ」
「ひっ」
巨躯の鬼が、びくりと縮んだ。
「——誰が『殺す』と言った」
「は……?」
世一は、煙を、ゆっくりと吐いた。 紫煙の向こうで、極悪人の目が、嗤う。
「俺は——『壊す』と言ったんだよ」
「こ、壊す……? 殺すと、何が違うと……」
「さあな。——着けば分かる」
世一は、煙管の先を、天のない宵闇へと向けた。
「結。大神とやらの居場所へ、案内しろ」
「——はいっ!!」
涙を袖で拭い、結は、千年で一番いい返事をした。
「では、地獄門を開き、大神への道を開きます! ——和勇牛!」
「ハ……ハハッ! この和勇牛、主のために鬼神となり、主の歩む道をこじ開けましょうぞ!!」
「私は、世一様の手となり足となり、何処までもお供いたします!」
——明朝を待たず。 極悪人と、女神と、鬼。 地獄開闢以来、最悪の謀反が、産声を上げた。
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