7話 誕生日
わたくしとアレクシアお姉様の、誕生日パーティーの日。
自分のために用意していた赤いドレスを、わたくしはお姉様に譲った。
「たまには違う色が着たいから。あげるわ」
不承不承ながら差し出すと、バカ犬ことロランが吠えてきた。
「その程度のことで償ったつもりか。ずいぶんと都合のいい頭をしているな」
「ロラン」
護衛を押し留め、アレクシアお姉様は微笑んだ。
「ありがとう。……でも、あなたのドレスは?」
「これをもらうわ」
わたくしは部屋の隅にあった、青色のドレスを奪った。
「いいでしょう?」
「エリザなら、きっと素敵に着こなすわね」
柔らかに微笑むお姉様。
グズで気弱で優柔不断で――絶対に、わたくしに怒らない。
胸の奥に溜め込んでいた言葉を吐き出そうとした、その時。
「……ノワイエ候に諭されたの?」
その一言で、すべてが台無しになった。
「あんなの関係ないわよ!」
怒鳴りつけて、部屋を飛び出す。
勢いのままに大理石造りの廊下を突き進み、止まった。
「……謝れなかったわ」
「いえいえ。ご立派でしたよ、エリザ様」
マルグリッドがそっと、背を支えてくれる。
「少しずつです。大丈夫」
「手を握ってもいい?」
「わたしの手など。どうぞお好きなだけ」
皮が厚く、指の太い手。爪は小さくて不格好。
働く者の、卑しい手だ。
でも、ほっとした。
「さあ、エリザ様も着替えましょう。この青色もお似合いになりますわ」
「当然よ」
お姉様が着る予定だったドレスは、暗い青色をしていた。
急遽用意したからだろう、銀糸の刺繍はシンプルで、華やかさを補うように小粒の真珠が縫い付けられている。
わたくしとしては質素で物足りないけれど……まあ、ちょうどよかった。
「これなら、お姉様より目立ちすぎないわよね」
「赤の華やかさとはまた違って、聡明で気高く見えますわ」
鏡の前で着姿を確認していたら、扉が開いた。
「――これは」
ルシアンだった。
わたくしの姿を見て、わずかに目を見開く。
「どう? これも似合うでしょう?」
「もちろんです。……赤のドレスは?」
「お姉様と交換したの。たまには青もいいと思って」
顔を背ける。本心を悟られたくなかった。
「青色、ですか」
普段より、ルシアンの声は硬い気がした。
「不満なの?」
「お忘れですか? 赤のドレスに合わせて、これをねだったことを」
差し出されたのは、ルビーのネックレス。
ダイヤモンドに囲われて、大粒のルビーが燦然と輝いている。
「……すっかり忘れていたわ」
「青にも合わないことはありませんが」
つけようとする手を、わたくしは押し留めた。
「今日はいいわ」
「なぜ?」
「お姉さまより華美にするのはよくないもの」
ルシアンの手が額に触れた。
「……ルシアン。なに、この手は」
「熱でもあるのかと」
「失礼ね! わたくしはいたって健康よ!」
背中を軽く叩いて、憎たらしい婚約者を衣装部屋から追い出す。
「もう十八なのよ。聞き分けるわよ!」
「……そうですか」
すっと、ルシアンの視線がわたくしの後ろに流れた。
宝石箱から別の首飾りを取り出す、マルグリッドへと。
「エリザ様、こちらのネックレスでよろしいですか?」
「ええ、それでいいわ」
扉を閉めるまで、ルシアンの視線は外れなかった。
……あまり、ルシアンの前で親しい様子を見せない方がいいかしら。
引き離されるかもしれない。
身支度が終わると、マルグリッドが突拍子もないことを言い出した。
「エリザ様、わたしをぶってください」
「は?」
「ノワイエ候に疑われないためです」
マルグリッドも、同じ懸念を抱いたのね。
「じゃ、じゃあ、ぶつわよ」
「はい、思いきり。このノロマ、と罵倒でもしながら」
「え、ええ――この役立たず! さっさと出ていって!」
目をつむって、平手を食らわせる。
こんなこと、他の侍女には平気でやってきたのに。
今はとても直視できない。
「申し訳ございません!」
頬を押さえて、マルグリッドは部屋を飛び出していった。
ルシアンが何事かと部屋をのぞき込んでくる。
わたくしは、ふん、と鼻を鳴らした。
「行きましょ、ルシアン」
「ご随意に」
困った方だ、といった表情のルシアン。
うまくごまかせたようね。
わたくしは腕を絡ませ、大広間に向かった。
主役のわたくしとお姉様は、すぐには大広間に入らない。
招待客がそろうまで、控えの間で待機だ。
先に到着していたお姉様を一瞥する。
「――まあまあね」
赤のドレスに身を包み、お姉様は落ち着かなさそうにしている。
「堂々としなさいよ」
「だ、だって、こんなに大胆なドレスは初めてで……」
「それは背中とデコルテの美しさを追及して作らせたのよ!? そんなもので台無しにしないで!」
お姉様から薄手のショールをはぎ取ろうとした時、控室にお母様が入ってきた。
わたくしを見て、ほう、と感嘆する。
「急ごしらえとは思えぬな」
上から下まで視線をめぐらせ、お母様は満足げにうなずく。
「おまえは今一つ華がないと思っていたが。
今日は慎ましやかでありながら、凛として静かな威がある。
見違えたぞ、アレクシア」
思わず、固まる。
お姉様があわてて訂正した。
「お母様。そちらはエリザですわ」
「なに?」
「直前に、エリザがドレスを交換してくれたのです」
お母様は目をしばたかせた。
よほど意外だったらしい。
そしてお母様……わたくしと、お姉様の区別がつかないのね。
「あれほど赤でないと嫌だと駄々をこねていたのに。
――良くなだめたな、ルシアン」
「いえ」
誉め言葉を、ルシアンは困り顔で断った。
「ご自分でそうなさったのです」
「なに?」
お母様は、また驚いていた。
わたくしに不可解そうな視線を注ぐ。
「わたくしも、十八ですもの。分別を身につけますわ」
上目遣いに、お母様の反応をうかがう。
「……そうか。もう立派に大人だからな」
「ルシアンはわたくしのお守役なんて、いわれたくありませんから」
「良い心がけだ。これからは、ノワイエ侯爵夫人として恥ずかしくない行いをするのだぞ」
そういって、お母様はわたくしを撫でて下さった。
とても珍しい。
……いつぶりかしら。こんなの。
赤いドレスを我慢した甲斐があった気がした。
「アレクシア、しゃんとしなさい。羽織りも取りなさい。ドレスが台無しだ」
「でも、その、ガスパールが……」
「婚約者は大事だが。あれの顔色をうかがい過ぎるな」
お姉様はいつもお母様に叱られる。
わたくしだったら、もっと要領よくやるのに。
気分がいい。自分が褒められただけに、なおさら。
おかげで誕生日パーティーでは、気分よくお姉様を立てることができた。
お姉様は話すのが下手だ。
話題が途切れれば助け舟を出し、時折、冗談で場を沸かせた。
お母様は、わたくしがお姉さまの敵になることを恐れている。
だったら逆に、お姉さまを立てる姿を見せればいいのよ。
わたくしがお姉様を助け、支える存在だとわかれば、もう余計な警戒はされないはずだわ。
ルシアンだって、くだらない干渉をやめるでしょう。
「今日はおとなしいのね」
「嵐の前の静けさではなくて?」
そんな嘲笑も聞こえてきたけど、聞えなかったフリをした。
癇癪を起こすのは最悪。
リゼットの屋敷の時のような失態はごめんだわ。
「大人になられましたな、エリザ王女」
パーティーの終わり。
大臣の一人が微笑みかけてきた。
「ええ。ありがとう」
わたくしも満面の笑みを返す。
その場の全員が見惚れるくらいの、とびきりの笑顔を。
一夜で評価が覆るほど甘くはないけれど、前進の手ごたえを感じて嬉しかった。




